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生まれた町でもなく、そこで育ったのでもない町について語るということ――下北沢ノート①

 15年前から、下北沢という東京南西部の小さな町に住んでいる。この文章はこの町に住みながら、町について考え、人に出会い、話をしたことについて記録するフィールドノートとでもよぶべき試みだ。

 この原稿の執筆は2008年に行われた。初出は春秋社のPR誌「春秋」である。とくに断りがないかぎり、時制は執筆時のままとお考えいただきたい。以下、連載時の四回分を随時公開しつつ、そのあとは書き下ろしで現時点での「ノート」をつづけてみたいと考えている。

 町を語る言葉の不在から

 下北沢は大正一二年(一九二三年)の関東大震災後、東京という都市が郊外に向けて急速に拡大するなかで生まれた商業地であり、郊外住宅地である。新宿と渋谷から東京西郊へ向かって走る二本の私鉄(小田急電鉄、京王井の頭線)が交差する駅であることも、町の発展に拍車をかけた。萩原朔太郎、横光利一、坂口安吾、森茉莉ら多くの文学者が住んだことでも知られ、一九八〇年代以後は、芝居小屋やライブハウスが集まることで、若者文化の町と呼ばれるようにもなった。

 下北沢という町の特徴の一つは、通過者の町であることだ。私が住みはじめる前から、下北沢には私の友人や知人が幾人も住み、また仕事場を構えていた。かつて私がこの町を訪れる目的の大半は、友人を訪問することだった。その友人たちの多くは、いまではこの町を去った。人生の一時期を下北沢で過ごし、去っていく人は多い。

 このフィールドノートを始めるにあたり、最初に考えてみたいのは、生まれた町でもなく、そこで育ったのでもない、通過していくだけの町について人は何を語ることができるか、ということである。生まれ育った町についての記述であれば、二十世紀を象徴する大都市ロサンゼルスについての感動的なメモワールである『要塞都市LA』の冒頭で、著者のマイク・デイヴィスが引いたベンヤミンの次の言葉がまさにあてはまる。

 「皮相な誘因、エキゾチックなもの、絵に描いたように美しいものが効果をもたらすのは外国人にだけである。ある都市を描写するには、そこで生まれ育った者はもっと別の、もっと深い動機がなければならない。地理的な遠くにではなく過去へと旅する者の動機が。生まれ育った都市についての本はつねに記憶とかかわりがあるだろう。そこで子供時代を過ごしたことは意味がないことではないのである」

 だが私は、生まれ育ったのではない場所、通過していくだけの場所についての記述も、生まれ育った町や都市と同様に「記憶とかかわりがある」と言うべきだと思う。都市や町は空間的な存在であるだけでなく、歴史的な存在である。その町にいまあるものだけでなく、かつてそこにあったものや、住んだ人々、通過した人々の記憶もまた、町のなかに同じくらいの強さで存在している。現在という時制のなかにしか存在しない町などというものはない。それは人間が、記憶と共にしか生きられないことと同じである。町についての記憶を失うことは、自分たちを語る言葉を失うことに等しい。

 町を語る言葉がかつてあり、それを「失う」というかたちで、町への思いを語れる人はまだしも幸いだろう。生まれ育った「東京」という都市について、私自身はまだ、うまく語る言葉をもつことができずにいる。失う以前に、記憶として残るような、明瞭な手応えを得たことがないからだ。それは私にとっては、自分自身を語る言葉をもたないことと同じである。私はまず自分が生まれ育ったのではない下北沢という町についての手応えと、それを語る言葉を見つけ出すことで、自分について語りうる言葉にたどり着きたいと思う。そのためにも――パリについて『パサージュ論』という膨大なメモ書きを残したベンヤミンには遠く及ばないにしても――この町についての断片的なスケッチを重ねるなかから、町をめぐる本質的な思考を導き出したいのだ。

 高校を出て東京西北部の私大に通うという理由で一人暮らしをはじめた後、私はまるで出来の悪いロードムーヴィさながらに、東京都内を少しずつ「西へ」「西へ」と移動していった。ぼろアパートであれ、狭苦しいワンルームマンションであれ、古ぼけた一軒家であれ、そのときどきの懐具合に見合った安い物件で十分だった。都内で幾度となく転居を繰り返したが、ひとたび東側地域を脱出した以上、二度とそこに戻るつもりはなかった。

 だが実際に住んでみると、東京の「西側」は、決して落ち着ける場所ではなかった。いま思えば、当時の私は、これから住もうとする町に対して過大な幻想を抱きすぎていた。自分からなにもアクションを起こさない転入者を、町が(つまりは人が)、無条件で好意的に受け入れてくれるはずがないのだが、そんな当たり前のことにも気づけずにいたのである。

つづく

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