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大拙の宇宙霊 (1) フォースのはたらき

鈴山明弘

 こんにちは。鈴山です。

 大拙に「宇宙霊」という言葉があります。私の好きな、とても怪しげな言葉です。これは、大拙の言葉ですから、もちろん、普通にいう神のような独立の主宰者のことではありませんが、私たち人間の意志の出どころについて、考えさせられる言葉だと思います。まず、大拙の文章を引用します。

 宇宙霊というような言葉は該当性をもっているかどうかわからぬが、とにかくわれら人間の見るところでは、宇宙は生きている、じっとしていつも寂然不動の静者態を持続してはいない。生きているというのは、個多の上では生死するが、その生死を生死してしかもそのうちに不生なるもの、すなわち不生の生または無生の生なるものがある。これを宇宙霊といっておく。

全集第一巻 150頁【禅の思想】、第二篇 禅行為、宇宙霊


 ここに「不生」の文字が出ていて、盤珪禅師の不生禅との関連性も感じられますが、そのことは後で触れることにして、それよりも、まず、宇宙は生きているという見方です。これは、現代人の多くが、それぞれの解釈はあっても、まあ大きく言えばそうだろうと納得できるのではないかと思います。大拙は、その生きているということの原型を、自然界の力に見ています。つづけて、引用します。

 生きるということのもっとも単純なる原型は動くことである。物理性である。電子の旋回である、原子の抱合と反発である、電気の陰陽性、などなどである。すなわち生は力である。もっとも原始的な意味での力である。概念的に二次的に発展してきた力ではない。単に動くという意味の力である。この限定をつけておいて、霊は力なりといってよい。

全集第一巻 150頁【禅の思想】、第二篇 禅行為、宇宙霊


 霊は力だというと誤解される面がありますが、権力などの二次的力ではなく、ここでは、霊の原型は、自然界の物理的・化学的な力だというのです。筆者は技術屋として、霊は電子の旋回であり、原子の抱合と反発だという大拙の主張には、大いに興味をそそられます。

 けれども、問題は、宇宙霊というときに連想され得る「宇宙の意志」です。霊は、原子の反発と抱合で、電子の旋回だというなら、私たちの意志はどこから出てくるのかという疑問が生じます。電子や原子の自然界の力が、如何にして、スターウォーズのフォースのような意志の力になるのかと、聞いてみたくなりますよね。それはさておき、大拙は、まず、生命の誕生に言及します。

 この物理的・機械的・化学的力が躍進して生命というものになると、霊の姿がより鮮やかに現れる、そして、より深い意味をもってくる。一切の生物はこの点で物理的・化学的なものよりも、より霊的であるといえる。しかし、彼らは生死し繁殖してゆくよりほかをしらない、彼らには自覚の生活がない。心理学的自覚の影のごときものはいくらかあろうが、霊的・宗教的自覚はない、無分別即分別性の自覚はない。これは人間にいたって初めて現れる。人間は、ある意味では、宇宙霊そのものであるともいいえられる。

全集第一巻 150頁【禅の思想】、第二篇 禅行為、宇宙霊


 ここに、自覚という言葉が出てきます。先に、霊は力だと言っていましたが、それはあくまで霊の原型で、霊の霊たる所以は自覚にあるということになります。そして、大拙は、人間に至って初めて知性が現れたと言わずに、「無分別即分別」性の自覚が現れたと言っています。人間の意識というもののはじめには、知的分別以前に、無分別の分別があるのだと。この原初の意識を私の言葉でいうと、現前意識あるいは「覚かる」ですが、大拙の別の言葉を使えば、霊性とも言えると思います。日本的霊性の霊性ですね。最初に生まれたのは二分性の知性ではなく、主客未分・動見未分の不生の意識だと、そう言っているように思います。

 長くなってきたので、少しまとめますと、意志の起源、フォースの源は宇宙霊で、それは、不生の現前意識だと、ひとまず、そういうことにしておきたいと思います。今日は、この辺で失礼致します。

Aki. Z


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