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ここにはなにもない。

「今日のツアーはこの一本道を数百メートル歩くだけです」と言ったらみなさんどう思いますか。「え? 田んぼと民家だけですよね?」と思うかもしれませんが、実はここには4つも5つもトピックがあり、なんなら2時間だって3時間だって話すことができます。では少し歩いてみましょうか。

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いろんな石碑、石塔、石像が集められていますね。一番奥のものはかつてこの村で教育に尽力した方を称える碑なんですが、それを読もうとする人はまずいないでしょう。でもこう言ったらどうですか。この方はカールスモーキー石井さんの曽祖父、鈴木道治(みちはる)さんなんです。「地区ではドウジ先生と呼ばれていてですね」と私は話し始めます。

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少し歩くと民家の庭先に大きな地蔵像。こちらは子育地蔵さまで、毎年8月23日には地区で集まって拝んでいるそうです。「で?」という感じでしょうが話は終わりません。この地区がある旧泉藩は150年前の廃仏毀釈により領内のすべての寺院が消えました。その数60余り。その後復活したのはたったの2か寺です。この地は今でも仏教不在なんですが「ではなぜここにお地蔵さまがあるかというと」と私は話し始めます。

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また少し歩くと道路わきの植込みに石碑があります。拓魂碑。「ああ、開拓地なんですね? で?」と思うかもしれませんが、これは戦時中に満州へ渡った石城開拓団に関する慰霊碑です。「なんだ、それなら日本中にあるでしょう」と言うかもしれません。しかし炭砿があった常磐では農家の次男三男でも仕事があり、また炭砿で働くことがお国のためだと推奨されていました。「ではなぜこの方々が」と私は話し始めます。

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低く水音が聞こえています。鮫川堰(さめがわぜき)です。この地は背負っている山々の面積が小さいこともあり、水資源が豊富だとは言えません。この水は遠く鮫川から隧道を掘って引いてきたものなのです。工事は困難を極め何度も頓挫しました。ところでみなさん今日はどこから来ましたか。なるほど、「実はあなたが普段飲んでいる水も」と私は話し始めます。

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共同墓地が見えます。さきほども言いましたがこの地に仏教はありません。神式の墓石群はそれだけでも興味深いでしょうか。この墓地の最奥に、泉藩士・衣笠弘氏の墓があります。彼は戊辰戦争後の泉藩で若手のリーダー的存在でした。廃仏毀釈に大いに関わっていたと目されていますが、死後「七言絶句」一本しか出てこなかったという謎の多い人物です。「その彼の墓がここにあるのは」と私は話し始めます。

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土盛した不自然な更地があります。なんだと思いますか。実はここには大熊町の応急仮設住宅がありました。つい最近まで人々の暮らしがあったなんて信じられますか。一時は市内のあちこちで見られた仮設住宅ですが、今ではそのほとんどが取り壊されています。「ここは規模が小さく、またよそと比べても高齢者が多い印象で」と私は話し始めます。

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さて、おつかれさまでした。ツアーは以上でおしまいです。ここまでで600メートル歩きました。一見なにもない場所ですが、みなさんはなにを感じ、なにを持って帰るでしょうか。「んー、なんだかよく分からなくなってきました、変な気分です」などと言われると、きっと私は嬉しいのです。

聞き取り調査に入ると多くの土地で「ここにはなにもない」と言われます。「炭砿の前はなにもなかった」「原発の前はなにもなかった」という話も非常によく聞きます。そのたびに私は心の奥でひそかにワクワクするのです。なぜなら、なにもない土地など何処にもないからです。

先日、双葉町にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」に行ってきました。導入の映像を観たあと螺旋状のスロープを登っていくと、壁に地域の歴史が書かれていました。「東日本大震災・原子力災害関連年表」と銘打たれたその1行目は「1884 磐城炭礦創業」。それ以前は「関連がない」というよりもそもそも「ない」とでも言いたげな印象で、私はその前にしばらく立ち尽くしてしまいました。

風景には無限のトピックがあります。人にも無限のトピックがあります。私はどちらかというと文献にあたるより人の話を聞くほうが好きで、お金と時間に余裕があれば、いつまでもいつまでも歩き回り、知らない土地の、知らない家に上がって、知らない人の、知らない人生を聞いていたいと思っています。社会学や民俗学の専門家ではないのでお金にはなりません。私が普段やってることはすべて「趣味」ですし、それが当たり前だと思っていました。

しかしです。「いごく」の活動をしているうち、私がするようなことも、もう少し実際的に何かの役に立つのではないかと考えるようになりました。たとえば内郷白水で。たとえば好間北二区で。たとえば上三坂で。これまでとは違う不思議な化学反応が起こっているような気がしています。

「なにもない」と言われる土地に入り、見えないものを見、聞こえないものを聞き、人々に出会い、それを書き留め、発信し、思考する。それが何かの役に立ち、「仕事」になるならば、もうそれしかしたくないとまで思っています。そんなことも「そこなん」の活動のひとつとして成立するでしょうか。やっぱり難しいですかね。

長くなってしまいましたが、あまりうまく書けた気がしません。でも私が言いたいことは詰まるところこんな内容で、今後も手を替え品を替え、同じようなことを書いていくのだろうと思っています。一見なんの変哲もない景色の中に押しつぶされそうな程の情報量を感じたとき、人はみな自ずと謙虚な気持ちになるのではないでしょうか。私はそれを、とても大切なことだと思っているのです。

(文・写真:江尻浩二郎)

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