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ディオールを存分に浴びた3時間

女性らしさって何だろう、男の僕はときたま考えたりする。この何でもないような疑問が、朝から午後にかけて、ずっと気になることがある。グレース・ケリーみたく気品に満ちたクール・ビューティー、あるいはアンナ・カリーナのように乙女チックな可愛らしさ。そんなふうにゴダールは言っていなかったか。

いずれも、男の女々しい支配欲を叙情的な風味で押し付けたものが、女性らしさってことなんだろう、卑怯なやり方である。これもゴダールが言ったのか、言っていなくても別に構わない。それくらいゴダールはすごい。

女性のための女性らしさに向け、ファッションが並々ならない手腕を振るってきたことは、誰も異議を唱えられない。長く続いた愚かな世界大戦争の終わりから75年、服装と壮美によって女性を守り、異常なテンポで鼓舞し、新鮮なヴァイタリティで慣習やしきたりを圧倒させ、強く優しい一条の光を発揮させて来たのは、まちがいなくディオールだ。そこは断言してよいと思う。

その勇ましい歴史を、タイムトラベラーとして眺めるかのように観察できる機会が、とうとうやって来た。「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展が、東京現代美術館(江東区)で、開催されている。学割を使うと700円安くなる、700円あれば珈琲西武でブレンドが飲めてしまう。卒業してしまうまえに、大急ぎで行ってきた(珈琲西武じゃなくディオール展の方です)。


展示は、(1)ニュールック「バー」スーツ、(2)歴代クリエイティブ・ディレクターの代表作、(3)日本文化とディオール、(4)芸術からファッションへの歩み、から構成されていた。

空間演出を担うは、「原宿クエスト」や「天神ビジネスセンター」をデザインした、建築家の重松象平だ。キュレーションは、フロランス・ミュラー(仏ファッション史家)が手掛けた。

そこですごいものを僕は観た。絞ったウエスト、ヒップラインを強調させるピプラム、大きく開いた首元が特徴的な「バー」スーツや、日本の織物を使った真っ暗なドレス「羅生門」、白い布のみで作られた、試作品が集まる「トワルの部屋」。


どれも教科書でしか見たことがない、歴史上の名シーンの数かずが実際に並んでいた。まさか見ることができるとは、その本物が集結していたのを、僕は3時間かけて観た。観ながらおかしくなった。ここは大英博物館か、さもなければルーブルかメトロポリタンか、まさかオランジュリーやオルセーではないだろうか。

つまり人類のファッション進化の大絵巻物が、2001年宇宙の旅レベルに壮大な資料として繰り広げられている、これは恐るべし、えいえい頭が高い、控えおろう、とひれ伏すくらい大げさに興奮した。わたくしは静かに暮らす市井の民でございます。思わずそう言って許しを乞うてしまったではないか。

するとどうだろう、ディオールのコスメを使っていた、高校時代の女友達の顔をなぜか思い出した。コスメ(美容)にお金をかけるためにバイトしこたましてるんだあ、とその子はたしか言ってたっけ。いや言っていなくても別に構わない。それくらいディオールはすごい。展示会にまんまと影響を受けまくった僕は、今年からショーもチェックしていくつもりだ。

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