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「フランス語」なんて使えたところで...

 フランス。このカタカナ4文字を聞くと何を思い浮かべるだろうか。ルーヴル、バスティーユ、凱旋門、エッフェル塔、モンサンミシェル、シャンボール城、パリ、マルセイユ、カンヌ、ボルドー、エスカルゴ、ラタトゥイユ、チーズ、ワイン、チョコ…挙げれば無限に出てくる。中でもパリは世界で最も多くの観光客を魅了し続けている町であり、知らない人はいないと言ってもいい。



 では、フランスに「語」という1文字を加えるとどんな印象を持つだろうか。1語加わるだけで、ほとんどの人が馴染みのないものになってしまうのではないか。



「俺はフランス語を勉強している」というと、決まって「なぜそんな難しい言語をやろうと思ったの」と言われる。でも始めた理由やきっかけはなにもなかった。



 遡ること8年前、高校3年生の時。俺は昔から数学と理科系が大の苦手だった。特に理科の物理と化学は拒否反応を起こすくらいのレベル。それなのに高校では何を思ってか理系のコースを選んだ。


受験が近づくにつれてこの選択は間違っていたことを悟り、大学では文系科目を勉強することにした。経済でも法律でも経営でもなく、なぜか外国語を。それも英語ではなく、ヨーロッパ言語を。


俺が目指していた大学ではドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語があった。でもどの言語も馴染みなんてこれっぽちもなかった。結局友達の「フランス語はフランスだけじゃなく、スイスやベルギー、アフリカでも使われているからいいんじゃないか」というアドバイスを真に受けてフランス語を選んだ。



 そんなことだから、当時フランス語にはまったく興味はなく、それを仕事に活かしたいなんて考えてもいなかった。ただ高校の授業で数学と理科の授業が全然ついていけなかったという経験から、大学の授業でもこんな苦い思いはしたくなかったので、大学生になる前にちょっとだけ独学でかじっておいた。


これが意外にも功を奏し、授業にも難なくついていけるし、初めて勉強が「楽しい」と思えた。しばらくは「もっと知りたい」という好奇心だけでこの言語を勉強し、日本にも多くのフランス語が取り入れられていることを知った。


グランプリ、パフェ、モンブラン、クロワッサン、オードブル、マヨネーズ、グラタン、カフェオレ、ルーレット、マスク、アンケート...これも挙げればきりがない。


 でも次第に、「技術の発達で翻訳機の性能も格段に上がっているこの時代に外国語を身に着ける必要なんてあるのかな。何の役に立つのかな。」と思うようになってきた。


実際、グーグルの翻訳機能はすごいレベルにまで達しているし、わざわざ勉強しなくても海外旅行ではなんの問題もないだろう。だんだんとこの言語を勉強することの意味が自分の中で見い出せなくなり、俺から好奇心が距離を置きだした。



 そんなある日、京都でのこと。家に帰るためにバス停でバスを待っていた。京都にいれば外国人観光客を見ることなんて日常茶飯事だし、場所によっては日本語よりも外国語の方が聞こえることも珍しくない。


だから仮に、フランス語が聞こえてきても「あ、フランス人がいるな」くらいで、話しかけようとも思わない。


でもその日はバス停に俺一人とフランス人の家族連れ(4人)がいた。何かをブツブツと言っているので、気になって見ると、まぁ険しい表情でイライラしているのがはっきりとわかった。


その時俺はとっさに「何かお困りですか」とその家族に声をかけた。尋ねてみると、どうやらその日泊まる宿に行くためのバスがどれなのか、どの方向なのかがわからないとのことだった。その宿の住所を確認すると、偶然にも俺が乗ろうとしているバスと同じだった。


「俺も同じバスに乗るから降りるところまで案内するよ」と言うと、家族たちは今までのムッとしていた表情が一瞬にして嘘のように穏やかになり、機嫌を取り戻した。


彼らからすれば、まさかフランス語を話せる人が隣にいるとは想像していなかったから、彼らは驚いたと同時に嬉しかったのだろう、そこからバスの中では会話のキャッチボールが途切れることなく続いた。


話の中身はいたってシンプルで、フランスのどこから来たのとか、日本に来るのは初めてとか、日本の印象は、逆にお前はフランスに来たことはあるのかな云々。


それまでフランスには数回行ってたし、彼らの出身地(アヴィニョン)にも足を運んだことがあったから、会話はますます弾み、お互い話すことに夢中になっていた。気がつけば、目的地までたどり着き、彼らを最寄りまで無事に送ることができた。


その矢先降りようとしたときに、「またフランスに来ることがあったら連絡してきなよ、アヴィニョン周辺を案内し、泊めてあげるよ。だから連絡先を交換しないか」と言われた。


この一言には家族の俺に対する喜びと感謝がこもっているように思えて、とても嬉しかった。無事に連絡先を交換でき、フランスに行く楽しみがまたひとつ増えた。


今思うと、バス停にいた時俺には二つの選択肢があった。彼らに話しかけるか、それとも彼らのことを気にも留めず、フランス語を知らない、話せないふりをして一人黙々とそのままバスに乗って家に帰るか。


俺は極度の人見知りで、初対面の人とは必ず一定の距離を置いてしまう。最初からオープンで何かかも話すことは酔っ払っていてもまずないし、なぜか言葉遣いもすごく慎重になってしまう。


だから、これまでも俺の周りでフランス語を話す観光客はちらほら見かけたけど、自分から声をかけにいくことはなかった。


それがどうしたことか、無意識のうちに体が動き、脳が「話しかけろ」と俺の口に命令し、目に見えない何かが俺の背中を強く押した。


家に着くと真っ先に口に出した言葉が、「フランス語を勉強していてよかったー」。初めてフランス語を話せることの恩恵を受けた。


 それから数ヶ月後、幸運なことに彼らと再会する切符を入手できた。フランス入国。TGV(日本でいう新幹線)に乗って家族のいるアヴィニョンまで向かう。


この時、俺には二つの感情が交錯していた。一つは誰にでもあるだろう。


「もう会えないと思ってたのに再会できることの嬉しさ、喜び、楽しみ」。


長く会っていない人に会えるとわかると、その喜びは今でも凄まじい。それは小学生のとき、遠足や修学旅行の日がだんだん近づいてくると、それに比例して楽しみが増し、夜なかなか眠れなくなるようなあの時と同じ感覚だった。


もう一つは、なぜかわからないが、これとは真反対の感情。


これは今でもそうだが、どれだけ仲のいい人と会うときでも、久しければ久しいほど「不安」に押しつぶされそうになる。


「ちゃんと話できるかな」「沈黙が続くとまずいな」と思ってしまってネガティブになってしまう。少しずつ胸が締め付けられて、心拍数が3倍ほど早くなる。


挙げ句の果てには楽しみよりも不安の方が大きくなってしまって、「行きたくない」が勝ってしまう。だからといってドタキャンしたことは一回もないけど。


この時は母国語ではないフランス語を使った久々の実戦だったので楽しみという感情は不安のそれに完全に踏み潰されていた。


目的地に着くと、もうバクバクが止まらない。でももう後戻りもできない。歩みを進めると心臓が活発になり、後退すると少し安心するが早く行かないとという義務の重りがズンとのしかかってくる。完全な板挟みであった。


 「どうしたらいいんや」と思っていると、先に家族が俺のことに気づいてくれて、温かく迎えてくれた。無事に再会できた。ここでようやく不安の重りは砕け散り、「あぁきてよかった」という喜びで満たされる。


結局、俺の日程の都合で1泊しかできず、一緒にいた時間は長くはなかった。それでも彼らはこの短い時間のためにおそらく何日もかけて準備をしてくれていたと思う。


特にフランスの最も美しい村の一つと言われている小さな村、ルシヨンを案内してくれたり、フランス伝統のクレープやディナーをご馳走してくれたり、翌日仕事や学校があるにも関わらず遅くまで話につきあってもらえた。

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話していて思ったのが、アニメや漫画、日本食は日本を代表するものの一つであるのはいうまでもないけど、外国人は日本の歴史や教育に特に興味を持っており、自分の口で説明や議論できることは非常に大切であること。


ペラペラであるとか、豊富な知識があるとか、そんなことはどうでもいい。自分の意見や価値観をしっかり示すこと。これができれば、大半のフランス人は家族同然として迎えてくれるし、接してくれる。


こういった交流は、たとえAIや技術が発達しても永遠に残り続けるし、外国語を学ぶ一番の意義はここにあるんじゃないかと思う。

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 家族とまたの再会を願ってお別れした後、思わず口に出てしまった、


フランス語を勉強していてよかったー」。





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