負の感情と生きる

全部が嫌いなわけじゃない

皆さんは嫌いなもの、人はいるでしょうか。

人間も動物も、それが物であれ生き物であれ嫌いなものは必ずあります。

嫌いなものなんてないしと思ってる人も、大半の物事に無関心なだけで

心の奥底に眠っているだけかもしれません。

そして意外と必要なものなんだと思います。

僕も子供の頃は世の中の不条理、不公平、不平等、暴力が大嫌いでした。

正義の味方のつもりだったんでしょう。

正しくないことが嫌い、自分への敵意が嫌い、自分への悪意が嫌い。

自分で決めた悪を嫌っていました。

でも、高校の時の失敗から嫌いという感情を持つ自分が、嫌いになりました。

そこからは自分が違うと感じていた文化や価値観を理解しようとし、嫌いだった人間の感情も理解する努力をすることにしました。

でも、寛容になろうとするほど、

過去の自分と似たようなことをする人、

過度な感情を他人にぶつける人間に対して不寛容になり、

嫌悪感を抱くようになったのです。

嫌いという感情を捨てるのは不可能なんでしょう。

でも自分の嫌いに気づくのは重要なことですし、何が嫌いなのかをよく観察しないといけません。

本来はいいところが自分は嫌いなんてこともあります。

そして嫌いの原因は案外自分の中にあったりします。

単なる勘違いだったり機嫌が悪い時だったなんてことも。

そういった部分に振り回されず、自分の力ではどうしようもない嫌いと向き合うことが、これからの成長にもつながるんじゃないかと思います。

何に怒っているのか

いつも不機嫌そう。

叱るのではなく必要以上の感情をぶつける。

こういった人たちはいったい何に怒っているのでしょうか。

僕自身仕事も遅いほうなのでバイトなどで怒られることもありますが

たまに、それとは関係ないことで否定されたり、突然人格に言及してきたり…

気づけば自分は最初何について注意されたのかわからなくなります。

結局「彼らは怒ってた」という事実だけが僕らには残り、

何の身にもならない。

20年ほど生きてきましたが怒りを他人にぶつけても、ぶつけられても

物事が好転したことはほとんどなかったように思います。

しかし、やはり怒りも必要なものです。

過去より成長できてない自分、先に進んでしまう仲間を見て

こんなものなのか自分は!

と自らを進ませる燃料にするのです。

決して人に向けるためだけの感情ではありません。

でも、他人に対して怒らないといけないときも

必ずあります。

その瞬間を間違えることのないように。

最後に

僕はどちらかというと暗い性格の人間で

他人に対しても自分に対しても暗い感情を抱くことは多いです。

才能があるのに努力しない人間に怒って、憎んで、嫌っていました。

でもそれは変えることのできないことですから、

自分が努力して追い抜いていくしかありません。

立ち止まったときに自分に怒り、

嫌いの中にも可能性を見出す努力をしないといけない。

常に変化し続ける自分でありたいですね。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

あなたの人生がたくさんの気づきであふれていますように。




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