信じる前に立ち止まって問いただしてほしいこと
おはようございます。
今朝からくしゃみが止まらない男そうちゃんです。
今日は日々を生きる中で信用していいのかどうかを考え直してほしいことについてお話します。
これらは僕自身の価値観の構築や自我の芽生えにかかわっていた部分でもあります。
やりすぎると病みますけど、自分の行動や考え方がガラッと変わりました。
苦しむだけの意味はあります。
常識だと思っているものは自分の思い込みではないか
これが一番苦しいです。
なぜなら自分が生きる中で何年も信じていたものが粉々になるかもしれないからです。
僕自身これを4年くらい問い続けてますけど、答えを出してはまたこの質問をします。
なかなか満足のいく答えは出ません。
でもまじめに自分に質問してみて欲しいです。
例えば、
本当にいやいや学校に行くために朝起きなきゃいけないのか?
(定時制やフリースクールもあるし学歴にとらわれない生き方もあるよね)
本当にご飯は3食必要なのか?
(原始人はもっと食事の回数が少なかった)
人によって信じてる常識は違うので、質問の内容も人によって変わりますが、一度自分に問いかける価値はあると思います。
目標や夢がポジティブなだけの妄想になっていないか
僕自身もやってしまいがちです。
僕は将来自分のお店を持ちたいと考えています。
しかし以前まで考えていたことと言えば、キラキラしたお菓子を並べて笑顔で働くみたいな理想を思い浮かべるだけで満足していました。
なにが必要で、どんな計画を立てて何年後までに出せるかなという現実的な計画や、人を雇うなら給料を賄うだけのお金をどうやって稼ぐかといった、泥臭い部分を勉強せずにいました。
子供の将来の夢なら構いませんが、分別のある大人がこれをやってはいけません。
目標を立てるなら、現実的な期間、達成までにかかる時間的、金銭的、人的なコスト、達成した際のメリット、デメリット、達成できなかったときの対応などを愚直にノートに書いて考えるべきです。
自分の夢や目標を輝いてるもので終わらせて満足してないか、自分に問いかけてみてください。
大切な誰かのための行動は自己満足ではないのか
これは個人的な好みです。
僕の場合は自己嫌悪の主な原因の一つにもなりました。
僕は「あなたのためを思って言ってるのよ、やってるのよ」と言い訳をして説教やおせっかいをする親が嫌いでした。
でものちに自分も同じことを友達にやって迷惑をかけていたことに気付いて自己嫌悪に陥りました。(自己嫌悪って自分を責める自分に酔っているだけなのでやめた方がいいと思います。)
人助けや説教なんていくら善意だといっても、受け手がありがたいと感じなければ、ただの迷惑な自己満足にすぎません。
その行動をする前に
相手に求められているのか?
相手に嫌われようともやるべきことなのか?
自分に問いかけてみましょう。
でも命がかかわっているなら、秒速で動きましょう。
最後に
自分を変えたいと思う人は常に自分に問いかけをしましょう。
質問の内容はメモの魔力という本にたくさん載ってるので活用してはどうでしょうか?
では良い一日を。
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