神城蒼馬

野生の物書き。主に小説やコラムを書いてます。好きなものは競馬と読書とアニメ・ゲーム。最近はドールズフロントラインにハマってます。

神城蒼馬

野生の物書き。主に小説やコラムを書いてます。好きなものは競馬と読書とアニメ・ゲーム。最近はドールズフロントラインにハマってます。

マガジン

  • 硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか‐

    1932年、ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した馬術界のレジェンド・西竹一。 オリンピック選手としての華々しい活躍と、軍人としての悲劇的な最期から、今もなお多くの人々の心を惹きつけてやまない「英雄・バロン西」ですが、その実像は〝伝説〟の影に隠れています。 この短編は、バロン西が栄光を手にしたロサンゼルス大会ではなく、彼の運命が流転する分岐点となった1936年のベルリン大会にまつわる記録から、〝戦前を生きた馬術家〟としての素顔を追いかけるものです。 NHK大河ドラマ「いだてん」によって近代オリンピック史への関心が強まるなか、ドラマの主人公・金栗四三が涙を飲んだ1916年のベルリンオリンピックから20年後に繰り広げられた〝もう一つのベルリンオリンピック〟物語をご覧ください。

最近の記事

ドルフロ攻略①「異性体ランキングその1」

異性体イベント始まりましたね。今回から難易度が選択式になってビギナーから中級者でも攻略しやすくなった点は良いですね。私は全てEXステージで進めましたが、マップにしっかりと目を通せばギミックや攻略法が分かるようになっていて遣り甲斐がありました。 でも、ミニゲームのバイクEXが一番難しかったのはどうなんでしょう(汗) AK-12が当たり前のようにフォースシールド張ってることに驚愕しつつ(普段の戦闘でも使ってよ!)、無事にランキングステージ「混沌の幕引き」が解放できたので、さっ

    • ドルフロ考察④「プロジェクトD‐戦術人形開発史・IOP編‐」

      ドルフロ考察その4です。今回はゲームの主役である「戦術人形」について、その開発経緯や各バリエーションによる違いなどから、ドルフロ世界における人形たちがどういった存在なのか考えていきます。 1.戦術人形の開発系譜自律人形および戦術人形は、第三次世界大戦(以下、WW3)を節目に戦前~大戦中に開発された「第一世代人形」と大戦後に開発された「第二世代人形」とに大別されます。以下の系統図を参考に、各世代ごとの開発経緯をたどってみましょう。 ・1-1.第一世代人形~自律人形開発とその

      • ドルフロ考察③「デイ・アフター・コーラップス・イン・アメリカ」

        ドルフロ考察その3は、前回の続きで北蘭島事件後のアメリカの置かれている状況から2060年代の世界情勢について考えてみたいと思います。 1.北アメリカ大陸の汚染状況 ・1-1.北アメリカ大陸の汚染北アメリカ大陸の汚染は、以下の二段階に分かれています。 ①太平洋に落下したコーラップス容器が西海岸へ漂着し海岸線が汚染される ②米国企業が回収した容器が大都市で爆発し西部一帯が汚染される まず①の北アメリカ西海岸に漂着したコーラップス容器により、アラスカのアンカレジから中南米

        • ドルフロ考察②「アフター・コーラップスの世界」

          ドルフロ考察その2です。今回は設定資料から読み解ける北蘭島事件後の汚染範囲を中心に、ドルフロの世界がどのような状況におかれているのかを考えてみたいと思います。 1.北蘭島事件における汚染エリア 上の図は公式設定資料集vol.2の巻末テキストを参考に「北蘭島事件」の汚染範囲をまとめたものです。(以前Twitterに載せた地図の改定版) 「北蘭島事件」でのコーラップス汚染は数段階に別れていて、以下の順に汚染範囲が拡大しています。 STEP①:北蘭島遺跡の爆発により上海ほか

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        • 硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか‐
          13本

        記事

          ドルフロ考察①「ドルフロ用語辞典ver.1.0」

          ドルフロ考察記事の第一回として用語辞典を作ってみました。基本的には二次創作用の独自資料として製作したもので、ドルフロの世界観を理解するための補助やゲーム中に登場した単語の備忘録を兼ねています。おおよそ大型イベント「特異点」辺りまでをカバーしたものなので、ネタバレを気にする方は注意してください。(「秩序乱流」「第十一戦役」で登場する単語も一部含みます) ※この用語辞典はあくまでもファンによる考察であり、公式設定ではありません。また予告なく改定・加筆修正される場合があります。

          ドルフロ考察①「ドルフロ用語辞典ver.1.0」

          ドルフロ用語辞典(テスト版)

          ドルフロ用語辞典のテスト版。一部は執筆中です。 ■英数○7号ファイル ペルシカの元同僚であった研究者リコリスが残した研究データ。鉄血の勢力下であるS02地区に残されていた。 ○36号ファイル パレット小隊所属時にROが捜索していた文書ファイル。その正体は人間居住区における犯罪組織の犯罪記録。この捜索の過程でパレット小隊は奇しくも鉄血の新兵器「ジュピター」の存在を察知することになる。 ○16LAB ペルシカを所長とした戦術人形の開発研究所。第二世代型戦術人形を世に送り出し

          ドルフロ用語辞典(テスト版)

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑬【完】

          エピローグ「はるかなる蹄音」  大本営発表による『硫黄島、玉砕』が報じられてから数日後。  日本兵の抵抗が続く硫黄島で、西はまだ生きていた。  アメリカ軍の攻撃を辛うじてしのいだ西は、生き残った部下と共に連隊本部壕へ引き返した。しかし、一昼夜かけて戻ってみれば、本部壕は敵の砲撃に吹き飛ばされていて跡形もない。  それでも諦めず、西たちは兵団司令部のある北海岸を目指して移動する。だが、またもアメリカ軍に発見されてしまう……。  それからのことはよく覚えていない。  銃撃戦を

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑬【完】

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑫

          終 章「1945年 再び硫黄島」  サイパン、グアム、レイテ――南方諸島が次々と陥落し、現地の将兵たちが壮絶な玉砕を遂げるなか、残る硫黄島には二万人の守備隊がかき集められた。 『小笠原兵団』と名付けられた守備隊を率いる最高指揮官は、栗林忠道(くりばやし・ただみち)中将である。  栗林中将はかつて騎兵隊に所属し、軍馬と騎兵の絆を謳(うた)う『愛馬進軍歌』の制作にも関った陸軍の古参だ。  西と同じ騎兵上がりの軍人というだけでなく、彼は東京オリンピックで馬術選手の監督役として名

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑫

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑪

          第十章「1944年 東 京 ‐ウラヌス、我が友よ‐」  日米開戦の翌年から軍務に復帰した西を待っていたのは、騎兵はすでに時代遅れであるという現実だ。  すでに陸戦の主役は、騎兵から戦車と自動車機械化歩兵による機甲部隊の時代へ移り変わっていた。日本でも先のノモンハン事件での大敗により、欧米各国に遅れる形で戦車師団が創設され、騎兵の価値は急速に失われていった。  時代の流れに従い、西も戦車兵への転向を余儀なくされた。  戦車隊指揮官としての隊長教育を経て中佐に昇進し、1944年

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑪

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑩

          第九章「1940年 東 京 ‐幻のオリンピック‐」  1940年、秋。  明治神宮は紅葉に美しく染まっていた。  手入れの行き届いた木々を楽しむには、この時期が一番いい。年の瀬が近づく晩秋に入ると心が急いて、どうしても落葉の寂しさが目に付いてしまう。  境内に落ちる楓の一葉(ひとは)を見て、西はそんなことをふと思った。  御社殿では多くの参列者に見守られるなか、神旗奉献(しんきほうけん)の儀が執り行われている。  十八日間に渡って行われた『紀元二千六百年奉祝・全日本軍用保

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑩

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑨

          第八章「1936年 伯 林 ‐オリンピックの覇者‐」  総合馬術・三日目の8月16日は、オリンピック最終日でもある。  午前の障害飛越審査、そして午後から行われるプリ・デ・ナシオン(優勝国賞典)が終わればそのまま閉会式となる。すでにベルリン郊外のオリンピック競技場は、大会の締めくくりを見届けようと押し寄せた10万人の観客で埋め尽くされていた。  障害飛越審査(スタジアムジャンプ)は余力審査とも呼ばれている。ここまでの二日間の競技で参加馬は心身ともにヘトヘトだ。その状態でな

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑨

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑧

          第七章「1936年 伯 林 ‐総合馬術競技・二日目(後)‐」  木立を抜けた先にある土手をアスコツト号は一気に駆け登る。   西たちは細い農道を抜け、第三区間である牧場地へ入っていた。  第三区間は15キロと全区間中もっとも距離が長い。起伏のある地形と自然林の間を抜けるコースは変化に富み、人馬の体力と気力をじわじわ削ぎ落としてゆく。    太陽はすでに中天に近かった。額から流れる汗を軍服の袖で拭いながら、西は愛馬の様子を確かめる。  第二区間の競馬場を過ぎてから、そろそろ一

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑧

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑦

          第六章「1936年 伯 林 ‐総合馬術競技・二日目(前)‐」  野外耐久審査(クロスカントリー)で使用されるコースは、選手村の南に広がる丘陵地帯に造られている。  コースは五つの区間で構成され、全長36キロにも及ぶ。それを二時間以内に走破せねばならない。  区間ごとに決められた規定時間より、通過タイムが遅ければ減点。またコース各所の障害飛越に失敗しても減点となる。  速さだけでなく、騎手には冷静な判断力が、馬には障害物に怯まない精神力が求められる。その上で、長時間の野外騎

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑦

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑥

          第五章「1936年 伯 林 ‐ベルリンに陽は暮れて‐」  ザーザーと降り続く雨音を聞きながら、西はテーブルに置いたウィスキーの小瓶と睨めっこしていた。  一日目の競技を終えた西は、国内外の馬術仲間からの誘いを「風邪がぶり返すと不味いから」と断り、選手村へと戻った。  しかし、自室のベッドで横になっても思うように寝付けない。それで気晴らしに一杯やろうと、敷地の一角に建てられたヒンデンブルグハウス内のサロンへ足を運んでみたのだが、どうにも酒が進まないのだ。  遠くの空では雷が

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑥

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑤

          第四章「1936年 伯 林 ‐総合馬術競技・一日目‐」  総合馬術は、審査が三段階に分かれている。  まずは一日目に行う『調教審査(ドレッサージュ)』。  これは審査員の前で馬術の技を披露し、演技の正確さと美しさが評価される。  次に二日目の『野外耐久審査(クロスカントリー)』。  障害物や水濠が配置された野外コースを走破するもので、人馬の技量と持久力が求められる。  最後に三日目の『障害飛越審査(スタジアムジャンプ)』。  競技場内に用意された障害コースを走り、飛越の上

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐⑤

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐④

          第三章「1936年 伯 林 ‐アスコツトの夢‐」  アスコツト号は皇室より託された御馬(みま)である。  同馬は宮内庁管轄の下総御料(しもふさごりょう)牧場で生産された栗毛のサラブレッドであった。  御料牧場といえば、明治時代にかの内務卿・大久保利通によって開設された我が国初の皇室御用牧場である。  西がロサンゼルスで金メダルを獲得したのと同じ1932年には、競馬競技において栄えある『第一回東京優駿競争(現在の日本ダービー)』の優勝馬・ワカタカ号を輩出し、名馬の生産地とし

          硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐④