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【秘封二次創作のための】京都の大学ってどんなとこ?【参考用】

にゃーん(挨拶)。そひかです。

最近、京都の大学に関する質問をよく受けるようになりました。質問してくださる方の殆どは、秘封倶楽部シリーズの二次創作をしている同人作家さんです。二次創作をする上で登場人物の蓮子とメリーが大学で活動している描写をする機会は多く、設定を詰めたり整合性を取ったりする上で大学に関する知識が必要になったというわけですね。

そうした需要をちょっぴり感じたので、今回は京都の大学について、秘封倶楽部の設定と関わりがありそうな部分を重点的に紹介していこうと思います。想定している読者は秘封倶楽部の二次創作をしている方、もしくはこれからしようとしている方です。

先に方向性を述べておくと、このnoteはあくまで細かい描写を詰める上で必要になりそうな「学生の通学手段は?」とか「大学の三限って何時に始まるの?」とか「どんな学部が存在するの?」といった質問に答えるためのものです。もしあなたが京都の大学生の「雰囲気」や「情緒」を知りたいと考えているならば、今すぐこのnoteを閉じ、森見登美彦の小説を読んでください。

以下は文章というよりは情報の羅列といった感じになるかと思いますが、よろしくお願いします。また、途中から方式を変えてフォロワーから頂いた質問に答えるQ&A形式になっています。統一感なくてごめん。


(前置き)この文章の位置づけ

以下で私が言わんとすること(タテマエ)を理解していただける方は、この前置きを飛ばしていただいて結構です。

「蓮子とメリーがどこの大学の学生かは分からないが、実在のモデルがあると二次創作がしやすいという方向けに、以下では主に京都大学を例にして情報を述べることにする」

まず私が以下で提供する情報と秘封倶楽部原作の間の関わりについてはっきりさせておきます。

結論から言うと、あまり関係がありません。

確かに秘封倶楽部のブックレットから、宇佐見蓮子(以下、蓮子)とマエリベリー・ハーン(以下、メリー)は大学生であると読み取れます。また、三作目の「卯酉東海道」では二人が京都から出発し東京に向かう過程で、何かと京都と東京を比較してあれこれ述べていることから、彼女らが京都またはその周辺に住んでいることが予想されます。ここから順当に考えれば、蓮子とメリーは京都で大学生をしていると言えるでしょう。

しかし、彼女たちの住む世界は我々のそれとずいぶん様子が違います。ある程度時代を経た未来か、あるいは別世界かもしれません。いずれにせよ、我々の世界にあるものを単純に彼女らの世界に対応させることができないのは確かです。そのため「蓮子とメリーが通っている大学は○○大学だ」と断言することはできません。仮に彼女たちの時代に現代と同じ大学が残っていたとしても、京都にはたくさんの大学があります。

京都の大学

この中から二人の大学を一意に決定できる情報はブックレットには存在しません。ここには解釈の余地があり、その判断は二次創作者に委ねられます。

というわけで、このnoteは秘封で創作をする際に「何かモデルがあった方がやりやすいな」と感じる方に向けた二次資料だと思っていただければ幸いです。






京都の大学生の一日

目が覚めて、時計を見るとなんと八時! こんなシチュエーションを想像して、貴方はどう感じるでしょうか。「ヤバい、遅刻だ!」と思うかもしれませんが、大半の京都の学生は「あぁよく寝た」程度の感想を抱くでしょう。

理由を説明します。学生は、京都市内で下宿していることが多いです。彼らの通学手段は徒歩又は自転車、バスなど。バイクを使う学生は稀に居ますが、車となると皆無です。実家が近くて電車で通っている学生もそれなりに居ますが、これも少数派。実際、京都大学の学生の平均通学時間は15分程度とされています(cf: 東京大学では40分程度)。このように通学に時間がかからないため、学生の起床時間は遅いです。講義の30分前に起きても間に合うとか。その油断がしばしば遅刻に繋がるのですが。

さて、大学につきました。講義の時間です。一例として京大の時間割を挙げます。
・一限: 8:45~10:15
・二限: 10:30~12:00
・三限: 13:00~14:30
・四限: 14:45~16:15
・五限: 16:30~18:00
一コマ90分の構成です。(二コマ、三コマ連続した講義も存在する)。とはいっても、一日で全てのコマを受ける(フルコマする)ことは稀です。学部にもよりますが、受けなければならない講義(必修科目)は限られており、残りは自由に選択できることになっています。医、薬学部など必修の割合が非常に高い学部もある一方、例えば理学部は高学年になるにつれ必修科目が減っていき、四回生になると自分の専攻に関わる課題研究(卒業研究のようなもの)を除くと全て自由になります。卒業要件さえ満たせていれば最後の一年間を課題研究以外全て講義無しで過ごすことも可能です。

一限目から五、六限目まできっちり埋まっていた小・中学生の頃の時間割と比べると、大学生というのは随分と余裕や暇がありそうに見えますね。実際、暇を持て余して遊んでいる学生も居るにはいます。ただ、講義がない時間は全て自由であると考えるのは間違いです。

文科省では大学生が一つの講義に対してその講義と同じ時間だけ予習と復習をすることを想定しています。講義の時間だけ聞いていれば卒業できるというのは基本的にあり得ません。一回生のうちは講義時間だけで完結できるものもありますが、三、四回生になると予習復習がないと講義を受けている時間が丸々無駄になるようなものもあります。これは身の回りの理学部生を観測する限りの話ですが、土日を潰してずっと勉強していても講義に追いつけないことが多いです。加えて、講義とは別に学生同士で輪読する本を決めて行う自主ゼミをしている学生も居り、世間一般で言う「遊び」に時間を割ける人は少ないです。

今述べた例は少し特殊な例でしたが、時間割に沢山穴が開くというのは事実です。「今はお昼の時間」「今日の大学は終わり」といった時間の区切りは義務教育の学校に比べると曖昧で、10時ごろに朝ご飯を食べたり、15時に昼ごはんを食べたりはよくあります。「大空魔術」のように大学構内のカフェでゆっくり話をする時間は比較的簡単に作れます。

「今は大学にいる」「今は家にいる」という区別が弱いという表現もできるでしょう。講義がなくても大学の図書館や自習室で勉強したり、休憩室の黒板で友達と議論をしたり、そして気づくと夜になっているなど、大学それ自体が生活の場になっています。多くの学生が徒歩か自転車で移動できる範囲で生活しており、バスの時間や終電を気にする必要がないのです。

「蓮台野夜行」における「蓮台野」が京都の上品蓮台寺周辺を指しているとするなら、上に述べた事情から、活動を「二日前」に計画し「夜に出発」して電車やバスも無いはずの「深夜二時半」までに到着するというのが決して無理な活動計画ではないと分かります。寧ろ気軽な部類です。二人が京都盆地のどこを拠点としていても、実現可能なことでしょう。

大学の年間スケジュール

大学生が一年間でどのような生活をするか、についてはそこまで顕著な地域性は認められないので、日本の大学の一般の話をします。

大学の学期の分け方には、主に二通りがあります。
・二学期制(前期・後期に分ける)
・四学期制(二学期制でいう前期・後期をさらに二分割する)
上記の中間のようなシステムをしている大学も多いです。学期のことをセメスターと呼んだり、前期・後期を1学期・2学期、春学期・秋学期と呼んだりといった細かい違いのことは、この際どうでもよいです。重要な特徴は、二学期制でいう前期と後期の間にはクソデカい休みがあることです。夏季休業(7,8月)と春季休業(2,3月)です。逆に大晦日や正月三が日を含む冬季休業はめちゃくちゃ影が薄く、後期はこれを跨ぎます。

「卯酉東海道」で蓮子とメリーは「大学の休みを利用して」「彼岸参り」をしているとありますが、上の情報だけでもこの「彼岸」は秋ではなく春を指し、「大学の休み」が春季休業のことであると分かります。

夏季休業は義務教育のカリキュラムと近いですが、それと同じくらい春季休業が長いのには明確な理由があります。大学入試です。先生方は試験問題の作成や採点に頭を抱えており、事務方も願書を捌いたり入学書類を作成したりなどで大忙しです。その間、学生は長い休みを享受するわけです。

ただ、この二つの長期休業が具体的にどれくらい長いかは大学や学部によってまちまちですし、この期間に食い込む講義があったり、夏季の集中講義があったりします。では結局何が「学期の終わり」を決めているのかというと、学生の肌感覚では、期末考査の存在が大きいです。二学期制にしろ四学期制にしろ、期末考査を以てその学期が終了します。各学生の成績を出さなければいけない期限が存在するので、これがまわりまわって学期の区切りを生み出しています。

最後に、具体的な例が欲しいという方のために、京大の理学部の大まかな年間スケジュールを提示しておきます。
・前期:   4月数日~7月31日
・夏季休業: 8月1日~9月30日
・後期:  10月1日~1月31日(申し訳程度の正月休みを挟む)
・春季休業: 2月1日~4月数日
前期、後期ともに最後の一、二週が期末考査期間です。また、学祭である11月祭は11月20日あたりから土日を含むように四日間行われ、後日の片付け日も含めて五日間ほど講義は休みになります。

N回生? N年生?

大学の学生の年数を表す言葉には、「何年生」「何回生」という二つの呼び名があることが知られています。今では関西では「回生」、関東では「年生」と呼ぶ、という程度の雑なくくりで方言の差異の一種だと見なされることもあり、学生も入学した大学で使用されるどちらかの呼称に慣らされて使っているだけというのが現状です。

ただ、歴史を遡るとこの呼称の違いはかつての東京大学と京都大学の進級制度の違いが発端であることが分かります。
東京大学では各学年ごとに取得するべき科目が決まっており、その条件を満たさないと進級できないという「学年生」を採用していました。なので「N年生」というのはカリキュラム上N番目の年度で取得するべき科目を履修中の学生を指すことになります。その学生が何度留年し、入学から何年経っているかは関係ありません。
一方、京都大学では卒業までに最終的に必要な科目を取得すればいいという「科目制」を採用していました。なので「N回生」というのは単に入学して何年目であるかを指すことになります。四年で単位が揃わなければ卒業できず、その学生は「五回生」「六回生」になっていくわけです。

しかしそれから時は流れ、大学も増えていき、制度も少しずつ変化していきました。学年制か科目制かというきっぱりとした区別は薄れていき、「何回生」「何年生」という呼称の使い分けも曖昧になって行ったのです。ただ、京大の学生については今も「回生」が入学してからの経過年数を表すという認識をある程度持っているように思います。

「秘封倶楽部」シリーズにおいては、蓮子とメリーが何回生であるかという記述がそもそも存在せず、彼女らの間で「何回生」「何年生」のどちらの呼称が使われているのかすら定かではありません。なので、秘封二次創作においては、以上の歴史を踏まえたり踏まえなかったりして、ご自分の秘封観と照らし合わせながら柔軟に記述を決めていくことをお勧めします。


学部と学科

大学はふつう、学部という単位に分かれています。受験生は入試の時点で特定の学部を志望し、合格するとその学部に属する学生になります。カリキュラムや卒業要件は学部ごとに異なるので、学生はこの点に注意して受ける講義を選ぶ必要があります。入学した初めのうちは全学部共通の講義もありますが、上回生になれば各学部向けの講義を受けるのが普通です。各学部向けの講義は、たいていその学部の延長線上にある大学院の研究室に属する先生方が受け持っています。

学部はさらに学科という単位に分けられていることがあります。学科の扱いは各学部でまちまちです。京大を例にすると工学部や農学部は入試に合格した時点で学科も決定する一方、理学部は一旦全員が「理学科」として入学し、3回生になるときに数学や化学といった学科に分かれます(系登録と呼ぶ)。理学部のこのシステムは東大の進振りに似ていますが、競争はあまり激しくなく、平均的な成績をしていれば試験無しに志望が通ります。学科の枠に対して学生が溢れてしまう場合に限り、通過ギリギリの学生に対して試験が課されることがあります。

秘封倶楽部の蓮子とメリー、それぞれが何学部の学生だろうか、というのはいつもホットな話題です。ひもの研究は理学の領域だから蓮子は理学部かもしれないという推論はさておき、いち大学生の所感としては、彼女らは何学部の学生であってもおかしくないと思います。特にメリーは謎で、彼女の専攻である「相対性精神学」という分野を私は大学内で見かけたことがありません。科学世紀には科学世紀なりの学問分野が存在する、その可能性の広がりを前にすると、私が提示できる役に立ちそうな情報といったら、これくらいしかないかもしれません。

というわけで、京都大学にはどんな学部が存在するかを列挙しておきます(なげやり)。どのくらいの人数比なのかという参考のために、2020年度の入学人数も併記しておきます。
・文学部   : 224
・法学部   : 343
・経済学部  : 249
・教育学部  : 67
・総合人間学部: 126
・医学部   : 108
・薬学部   : 80
・理学部   : 324
・工学部   : 993
・農学部   : 309


大学院(修士・博士)、そしてその先

二次創作のテーマとして、蓮子とメリーの将来を考える方も多いでしょう。そこで、彼女たちの進路の一つの可能性として、大学院の話をしておきます。(就職した先の話を知りたければ社会の人間に聞いてください。私には社会が分かりません)。

大学には、四年制の「学部」の他に、より高度な教育・研究を行う「大学院」という機関が存在することがあります。基本的には学部を卒業した者(する予定の者)が大学院に進学するる権利を得ます(学部生として所属する大学と進学先の院が同じ大学である必要はない)。大学院に進学することを「院進学」「院進」「入院」などと呼び、大学院に在籍する学生を「院生」と呼びます。

院生は大学院の中に複数存在する「研究室」のうちのいずれかに所属して研究活動を行うことになっています。その配属を決めるのが大学院入試、通称「院試」です。院試は院入学予定の半年前の夏頃に行われるため、学部からそのまま院進する予定の学生は四回生になる前後から夏休みに差し掛かるくらいまでの間、学部の講義と並行して院試の勉強をすることになります。

いわゆる大学院の課程は二つに分かれます。修士課程と博士過程です。修士課程(博士前期課程ともいう)は院に入ってすぐの学生が行うもので、最短二年間の研究活動を通して「修士号」を取得します。そこから更に研究活動を続けるのが博士課程(博士後期課程ともいう)であり、博士課程に進むことを「D進」と呼びます。こちらでは最低三年間の研究活動を経て「博士号」を取得します。

修士課程の1年生、2年生のことを修士(Master)の頭文字を取って「M1」「M2」と呼び、博士課程の1、2、3年生のことを博士(Doctor)から「D1」「D2」「D3」と呼びます。

博士課程まで来ると、人生を学問に捧げるか否かを本気で吟味するような人間ばかりが残っていきます。それはとても険しい道のりです。修士を取って社会に出るという学生は多いし、途中で博士の取得を断念する者も少なくありません。また、最終的に博士を取得した者であっても「修士二年間」「博士三年間」という最短コースを通ったとは限りません。学部とは違い、大学院では単なる成績ではなく研究手腕や実績、精神力、忍耐力、覚悟などが問われることになるからです。

博士を取得した時点で、人は完全に「学生」という域を脱します。それでも更に学問の道を進むとなれば、大学や研究機関のいち職員として活動する、つまり研究職に就くことが一つの大きな目標になります。しかし研究職のポストというのは世の中に限られており、それを手にするまでの間はある研究室に手伝いとして入ったり、良い師を見つけて弟子として修業を積んだりするしかありません。この状態を「ポスドク」と呼びます。(ポスト・ドクター、"博士の後"の意)

しばしば耳にする「助教」「准教授」「教授」といった肩書は、この次の段階で、その人が正規の研究職員であることを意味します。彼らはポスドク時代を脱し、職としての研究者という立ち位置を得た選ばれし者たちです。ここに至るまで、果たして何年かかるでしょうか。それは本人にすら分からなかったことでしょう。秘封倶楽部とは直接関係はありませんが、15歳で「助教」である北白河ちゆりや、18歳で「教授」である岡崎夢美というのが、現代の(日本の)制度や価値観とは如何にかけ離れた存在であるかということが、これで理解できるでしょう。


蓮子のしている〝ひもの研究〟とは

「夢違科学世紀」にて、蓮子は〝超統一物理学〟を専攻しており、〝ひも〟の研究をしていることが分かります。また、「大空魔術」では蓮子の生きる時代でつい最近「重力が他の力に統一された」とあります。以上のことから、蓮子の研究対象は「超弦理論」だと推測されます。

この推論に関する話は少し長くなってしまったので、別の記事にまとめました。気になる方はどうぞ。

超弦理論は物理学の歴史の中では比較的新しく高度な理論で、今だ探索途上のフロンティアです。力の統一に関する説明能力が見込まれている一方で実験的裏付けがまるで取れておらず(ノーベル物理学賞に超弦理論関係の受賞がまだ存在しないのはこのためです)、厳しい目線を向ける同業者も多いです。そうした難しい分野なので超弦理論を研究対象とする機関は限られており、大学というくくりの中に限れば、少なくとも現在のところ、超弦理論を扱うのは大学院の理学研究科の物理系(又は数学系)研究室だけです。学部の範囲で超弦理論の講義が存在することはまず無いと思います。なので仮に蓮子が学部生でありかつ「ひもの研究をしている」というのなら、それは科学世紀が大きく進歩しており、高級な理論が学部生でも学べるほどに浸透したことの証左でしょう。あるいは、蓮子の物理学の才能がずば抜けているかのどちらかです(実際、学部生の段階でこの分野での論文の著者として名を連ねていた人間が私の同期にいます)。

以上は蓮子の専攻のお話でしたが、メリーが専攻しているという「相対性精神学」とは何なのか、思い当たることがある方がいらっしゃいましたら教えてくださると嬉しいです。




終わりに

実のところ、大学の外にいる人間が大学に関して何を知っていて何を知らず何を知りたいのかということが、大学の中に居る私にはあまり分かりません。なので知りたいことを質問していただくのが一番助かります(上の文章自体、殆ど既にいただいた質問に答えているだけです)。是非、twitter: Sohika_QLOCKSへ質問をお寄せください。この記事は質問に応じてどんどん追記されていくことになります。

というか、気持ちとしてこの記事はまだまだ「書きかけ」です。アンサイクロペディアならこの辺で猫が寝ていると思います。どうか、私が感じるこの物足りなさと同じものを感じた方は、どんなことがもっと知りたかったか、教えてください。

あと、京大生や物理屋さん、そして旧作クラスタによる訂正があればそれも助かるのですが、こわいのでお手柔らかにお願いします。

以下は読者とのQ&Aになります。


Q. 大学はどう専門的なのか

A. 小、中、高では天下り的に与えられた「事実」に対し、その正当な理由や起源を学ぶ。あるいは、その「事実」をどう活用し社会に役立てていくかを学ぶ。事実の羅列に満足せず、それを体系付ける。等々。学部によっても専門的であること、の方向性は違う気がします。


Q. どの学部に居れば、○○を学べるか

A. これは京都大学の特徴かもしれませんが、どの学部に属していても大学内に存在するたいていの講義を受けることができます。学部内でも自分より上の学年向けの「上回生配当」講義を受けたり、「他学部聴講」のシステムを使ってその学期の間他の学部の講義を聴きに行ったりすることができます。ただ、学部ごとに卒業に必要な単位数が決まっているので、上回生になるとそうした余裕が無くなるのも事実です。なので、学びたい内容の専門性が高い場合は、やはりどの学部に属するかは重要になります。
どこで何が学べるかを知るには、その学部を教えている教授・助教授の研究内容を見るというのが一番早いです。こうした情報は大抵大学の各研究科のホームページに乗っているので、気になる方は調べてみてはいかがでしょうか。


Q. 学部と院の専門性の差はどこにあるか

A. 肌感覚の話をするので再び理学部の例に限ってしまいますが、学ぶ内容については地続きだと思います。差があるのではなく、ただ必要な積み上げが延々とあるだけで、少なくとも学問の内容の中に学部の内容と院の内容という線引きがあるわけではありません。単に学部四年のうちに学べる量が学部のカリキュラム内に在って、そこに収まり切らないものが大学院の内容になっているといった感じです。とくに数学や物理は「前提」が多い分野で、一から土台を組まないと専門的な領域に達することはできません。たいてい、学部四年間はこの「土台」を作るだけで終わってしまいます。卒業までに学べる内容はだいたい一世紀~半世紀前に最先端だった内容で、院に入っても暫くは土台作りが続きます。(*2020/11/17追記: 筆者は自分が院試にて提出した自由課題の内容が48年前既に論文になっていたことについ最近気づいたところである)。
土台作りの道のりの長さを示す例として、「超弦理論」を学ぶに至るまでの過程を見てみましょう。超弦理論は標準理論と一般相対論の整合を1つの目的としているので、超弦理論を学ぶ前に、その両方について精通していなければなりません。素粒子というミクロな世界を説明している標準理論は場の量子論の言葉で書かれていますが、場の量子論は量子力学と特殊相対性理論が両立するように作られたものなので、その両方の要素を含みます。特殊相対性理論はローレンツ変換という座標変換を扱い、この変換が量子の状態にどう反映されるかはローレンツ群の表現という数学的な体系が無ければ理解できません。また量子力学は学部でしつこく学習する分野で、ミクロの世界の様子を記述する上で不可欠です。量子力学の理論自体は多分に数学が含まれており、系の状態及び物理量という物理的な対象をヒルベルト空間の元およびそこに作用する作用素という数学的対象に対応させることを前提としていて、これは数学の函数解析という領域になります。ヒルベルト空間はベクトル空間であり、量子状態のエネルギーを調べることはエネルギー演算子(ハミルトニアン)の固有ベクトルを調べる固有値問題なので、学部一年生で習う線形代数が身についていなければそもそも議論ができません。また、重力を説明する一般相対論は時空間という物理的対象を多様体という数学的な対象に対応させ、質量がその多様体にどう影響するかをアインシュタイン方程式で記述しているので、多様体論を知らなければ為す術がありません。最後に、これら物理の議論は全て解析力学の手法によって展開されており、系の自由度を決め、適切な変数を用いてラグランジアンを構成し、最小作用の原理から系の運動方程式を導出して、その振る舞いを調べるという一連の流れが理論物理学における「六信五行」であることを身に染みて理解していなければならないのです。この解析力学は学部二年の内容なのですが、その重要性を理解するのは上記のような応用をたくさん知った後になることでしょう。


Q. 京大の食堂は美味しい?

A. 美味しい。そして食堂ごとに特徴があります。吉田キャンパス内は吉田南、医学部、西部、中央、北部に分かれていますが、それぞれに吉田食堂、南部食堂、カフェテリアルネ、中央食堂、北部食堂が存在します。個人的にこれらは北に行くほど美味しいと思っています。
北部食堂には中華鍋を豪快に振るう職人が常駐していて、日替わりで種々の炒め物、オムライスの派生料理、天津飯などを提供しています。混雑時には4人分ほどを一気に作って振る舞うなど手際も良く、美味しいので人気です。また丼コーナーではかつ丼が人気で、他の丼ものはしばしば入れ替わりますがかつ丼だけは必ず存在します。(2021年追記: 某流行り病のせいで北部食堂の丼コーナーが縮小し、カツ丼がなくなってしまいました!)
西部構内のカフェテリアルネではケバブ職人が居て、本場さながらのケバブプレートが食べられます。アラビア語担当のシリア人講師は「ليس كباب(あれはケバブでは無い)」と主張していましたが、それはおそらく地域性の違いで、ルネのケバブは私がトルコ・イスタンブールで食べたものと見た目も味もほぼ同じでした。またルネではカフェと名を冠するに恥じずいくつかのパフェが食べられます。京大の食堂は関係者以外でも利用できるグレーゾーンなので(ただし学生の集中する12:00~13:00あたりは学生優先としている)、昼下がりにここで学生の気分を味わってみるのもいいかもしれません。
なお、京大には他に宇治や桂など離れた場所にもキャンパスが存在しますが、学食のメニューは8割近くが共通しています。


Q. 大学での喫煙環境はどうなっている?

A. 大学によってまちまち。京都大学では時計台裏など数か所に喫煙所が設けられています。一方、同志社大学では2019年7月から年度末にかけて敷地内全面禁煙化が行われたようです。同志社の例にあるように、基本的には日本社会全体の嫌煙の流れに沿って大学内でも厳しくなる方向に進んでいるのではないでしょうか。科学世紀にはどうなっていることやら。


Q. 京都駅からのアクセスは?

同じ京都にあっても、大学によってアクセスの良さは大きく異なります。京都はバスの路線が極めて複雑で、常に遅延しており、観光シーズンは満杯で乗れないなどの問題があるため、電車移動だけで済むというのがアクセスの良さに直結します。例えば同志社大や精華大、大谷大、龍谷大などは最寄駅から降りてすぐのところにあります。一方一度バスに乗らざるを得ないのは立命大衣笠キャンパスや京都造形芸術大学(大学名についてセンシティブな問題があるためこの名前で呼んでいます)、京都市立芸術大学などです(※)。京大と京都駅のアクセスは悪く、バスで一本で行けるじゃんと17号系統や206号系統(本当に最悪)に乗ると逆にタイムロスなので、南北の移動は京阪または烏丸線で済ませて東西の移動をバスでするのが無難です。

(※2020/12/26追記: 京都市立芸術大学は京都駅東側へのキャンパス移転計画を進めており、これが完了すると最も京都駅に近い大学となります。2020年11月頃には建設予定地の団地が1ブロック丸ごと更地になっていたので、これから本格的に建設が始まる模様です。)


Q.経済的困難を抱えている学生はどう生活している?

A. 京大には授業料の免除制度があり、貧しい学生にとってはこれが一番大きな救いになっています。授業料の免除は学期ごとに書類で申請する形式で行われ、学生が経済的困難を抱えておりかつ成績が一定ラインを満たしていると大学当局が判断すればその学期の授業料が免除されます。

家賃などの問題を考えると、大学寮の存在も苦学生を救っていると言えるでしょう。京大の吉田寮は目を疑うような家賃の安さで有名です。

ただ、最後にモノを言うのは友人や地域との繋がりかもしれません。例えば、私の知り合いには本当にお金が無いときに一ヶ月間さまざまな友達に奢ってもらって生活したという学生が居ました。また、つい最近閉店してしまいましたが、出町柳の「餃子の王将」では皿洗いを対価に無料で食事を提供するなどのサービスが行われていました。(追記: 2023年3月に同店主が「いのうえ餃子」としてサービスを再開しました)。京都は余所者に厳しいという側面を確かに持ってはいますが、その一方で学生を大切にする風潮があり、私はそれを日々の生活から感じ取っています。



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