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政治のメディア化とは何かーー「近代日本メディア議員列伝」シリーズ創刊記念対談①

国会議員がこぞってSNSで発信し続ける現代政治に、私たちはどう向き合うべきか?
明治から戦後にかけて、〈政治のメディア化〉を体現したメディア議員たちを取り上げ、一人につき一冊まるごと割り当てて深掘りする人物列伝、「近代日本メディア議員列伝」シリーズが創刊いたしました。

本シリーズの開始に際して、立ち上げ人の佐藤卓己氏と、評論家である與那覇潤氏の対談イベントを2023年7月3日に開催しました。
本noteでは全3回にわけ、その対談の一部を公開いたします。
現代の政治状況のなか、自ら言葉を発することのできたメディア議員の足跡を振り返ることで、「書くこと」と政治の本質的な関係に光を当てる対談です。

シリーズ第1回配本『池崎忠孝の明暗』

シリーズ構成と趣旨

佐藤 まず「近代日本メディア議員列伝」シリーズの説明を私の方でさせてもらって、その後で與那覇さんに私の『池崎忠孝の明暗』を取り上げていただきながら、メディア議員とその言葉、その政治というあたりを幅広い観点からディスカッションできればと思います。
 創元社のパンフレットでは與那覇さんと、有山輝雄さん、藤野裕子さんに推薦の言葉をいただいています。その中で與那覇さんには「政治の言葉が遠く隔たってしまった歴史的分岐点を探る」という見出しで、まさに書くことが政治だった時代、つまり明治の初めの自由民権運動の時代を考えれば、政論を起こすことが行動することであった時代から思いを起こしてもらっています。それが現在、チャットでつぶやく議員はいるけれども、実際そうした政治の文脈というものが、かなりないがしろにされているような状況もあるのではと與那覇さんは言われています。現状に至る流れの中で、メディア議員という観点から日本の政治を見ることは重要な意味があるんじゃないのかと、期待のコメントをいただいているわけです。
 シリーズの特長がパンフレットに書いてありますけれども、「メディア議員」という枠組みを立てることでこれまでは注目されなかった中堅の議員、首相になったりするような有名な議員だけではなくてもっと幅広い特徴のある議員、たとえば女性議員、左翼系の議員とかも視野に入ります。そして後でお話ししますが、戦前の衆議院においてはメディア議員が多い時には3割以上を占めていました。おおむね2割以上を占めている状況が長く、全国紙から議員になる人だけではなく、地方紙や雑誌の経営から議員になった人たちも多い。
 もともとは科学研究費のプロジェクトで、2015年から間を挟んで8年間行われた共同研究の成果ですけれども、私が列伝を書きましょうと呼びかけた時には、教育・メディア・政治の3軸からその活動を見ていくと、新しい政治史のあり方を示すことができるのではないか、そうした問題意識を執筆メンバーが共有していたんですね。
 1巻から15巻まであって、15巻は人名辞典と、それまでの14巻分の総索引がつく形になります。15巻だけ買っても便利かなという気はしますけど、なるべく関心のある巻をお読みいただきたいと思います。1巻から4巻までの舞台は基本的には明治の言論空間、5巻から10巻までは大正から昭和戦前期、11巻・12巻は戦後初期に当選した議員、最後13・14巻は高度成長期以後に活動した議員という形で、だいたい4つの時期に配分されています。
 ただ各巻末にある全巻構成リストを見ていただければ明らかなように、実は5巻から10巻の、1880年代に生まれた人が大体半分を占めている。彼らの政治活動が本格化する1920年代は日本のマスメディアの成立期であって、まさに「政治のメディア化」の出発点にあたる時期です。この部分が厚いのもこのシリーズの特徴かなと思っています。ちなみに15巻に関しては、議会選挙が始まった1890年の第1回議会から現在までの特徴的な「メディア議員」についての、包括的な人名事典を付けたいと思っています。

與那覇 包括的に現在までと言うと、令和の今も入るということですか?

佐藤 そこのところはどうしようかと考えていて、今を入れるとなると……。

與那覇 膨大になりますよね。平成には「地方TV局のアナウンサー出身」などの候補者が、知名度を活かして地元で当選を飾る例が増えました。彼らはまさに本シリーズが定義するところのメディア議員ですが、全員を拾うとなると大変では。

佐藤 そうなんですよ。さらに言えば、いわゆるYouTuberみたいな議員も、逮捕されちゃったけど……。

與那覇 その政党を作った人も、職歴としては「元NHK勤務」になりますよね(苦笑)。

佐藤 そのあたりを入れるかどうかは、まだはっきりと打ち合わせをしていないんですが、でもそれを全く無視して作るのもどうかな……と考えているのが現状です。
 パンフレットでは、「刊行にあたって」という文章を私は書いています。そこで「メディア議員」とは、メディア経験を持つ代議士あるいは議席を持ったジャーナリストだと書いていますが、実は私が卒業論文を書いた時に熟読した最初のドイツ語文献の一つが、Waltraud Sperlich, Journalist mit Mandat : sozialdemokratische Reichstagsabgeordnete und ihre Arbeit in der Parteipresse, 1867 bis 1918, 1983という本なんです。『議席を持ったジャーナリスト:1867年から1919年までの社会民主党帝国議会議員と党機関紙における彼らの仕事』と訳せますが、ドイツ第二帝政期の社会民主党議員の中で新聞関係のキャリアが持った意味を分析した研究なんですね。この本が、私の場合、論文を書くという仕事の出発点だったので、残すところ私もあと2年で定年になりますが、最後にこうした「議席を持ったジャーナリスト」で、日本でも同じようなものを作って、自分の研究の締めくくりにしてもいいかなと思って、このシリーズに取り組んでみたと言えなくもない。
 ちなみに、拙著を読んだ高齢の有名なジャーナリストから手紙を貰いまして、池崎忠孝は僅か3年しかジャーナリスト経験がないのに、あれをメディア議員という風に呼ぶのはいかがなものか、とありました。自分は40年近くジャーナリズム体験があるということをおっしゃりたいわけでしょうが、「長さの問題じゃなくて密度の問題」という風に本当はお返事したいですね。またメディア議員を「メディア経験を持つ代議士」と定義するときには、ジャーナリストだけでは必ずしもなく、メディアを所有したり経営したり、メディアの役員も含んでいるので、「元ジャーナリスト」と完全にイコールではないということは、予め強調しておいた方がいいかなと思います。


佐藤卓己・河崎吉紀編『近代日本のメディア議員』

学問の死角だった「メディア議員」

佐藤 先程言った共同研究の成果は、創元社から『近代日本のメディア議員』という論文集が出ていますけれども、サブタイトルが「〈政治のメディア化〉の歴史社会学」となっています。そもそも「政治のメディア化」とは何かというのも、いま政治学で流行りの研究テーマなんですね。「政治の論理」つまり理念の実現とか政策の実行が、「メディアの論理」つまり効果、影響力の最大化で上書きされていくプロセスを言います。ある意味それは当たり前かもしれなくて、選挙で勝つためには、「論文を書くよりも握手する方が効果がある」という現実は、メディア議員に限らずみんな知っている。そうした影響力を重視するスタイルは、ちょうどメディアが内容以上に視聴率なり販売部数なりを競っていく状況とパラレルなんだということですね。
 そうしたメディア議員が、満洲事変から太平洋戦争までの時期に衆議院の3割を超えていた事実は、これまで指摘されてこなかった。なぜかと言えば、一つは政治史の空白だと思うんですが、理念や政策よりも影響力を重視する政治はポピュリズムで、そういう政治家は二流の政治家だということで、あまり分析の対象として選ばれなかった。だからメディア議員の評伝も少ないし、あるいはメディア議員でありながら彼らを「メディア議員という形で分析する」ということが無かったということはあると思います。
 さらにジャーナリズム論者あるいはジャーナリストの側からすれば、メディアは権力監視の装置で「体制批判の役割がある」というのが建前ですね。権力や体制とは「距離を置くものだ」ということを前提にしたジャーナリズム論の中では、メディア議員は政治家なのかジャーナリストなのか分からない蝙蝠のような存在、どうしても二股膏薬的な扱いを受けてしまう。そうした評価のために、こうした研究があまり行われなかったのだと思います。
 そこでこの列伝シリーズを書く前の準備作業として、『議会制度百年史』中の衆議院議員名鑑に出てくる5579人すべての学歴・職歴をリスト化して、その中で「メディアでの経験があるか、経営をしているか、役員になっているか」をチェックしました。それに該当する議員が984名いて、その分析を共同研究で行ったわけです。その結果分かったことの一番大きな点は、メディア関連議員比率のピークが第20回総選挙、つまり1937年の4月選挙、日中戦争の3ヵ月前の選挙で、34.1%をメディア関連議員が占めている。
 この現象をもう少し長いスパンで見て、近代日本史をメディアの発展で時期区分すると4つの時期に分けられます。日露戦争までのメディアの成立期(第Ⅰ期)、日露戦争後から日中戦争までのメディアの自立期(第Ⅱ期)、それ以後の「報道のメディア化」の時代、つまり報道が政治の論理からメディアの論理に変わっていく時代(第Ⅲ期)、そして戦後加速していく「政治のメディア化」、もっぱらメディアの論理で政治が動いていく時代が1970年代以降に明らかになってくる(第Ⅳ期)。現在の第Ⅳ期では見かけ上「メディア議員」の数は減ってはいて、必ずしもメディア出身の議員が議会で多くはないわけですけど、それでもほとんどの議員がいまや自らSNSで情報発信をしているわけですね。

表 メディア関連議員の衆議院議席占有率
(佐藤・河崎編『近代日本のメディア議員』2018年、76頁)
表 「政治のメディア化」の4局面
(佐藤・河崎編『近代日本のメディア議員』2018年、16頁)

 與那覇さんにコメントしていただく、池崎忠孝の「メディア議員」時代というのは、18回総選挙から21回総選挙まで、2.26事件から日中戦争をはさんでアジア太平洋戦争の敗戦まで、1936年から1945年までの8年間になるわけですが、それは先ほどのⅡ期からⅢ期への、政治家とジャーナリストが分離していく時代、そして報道がメディアの論理に上書きされていく時代への転換期にあたると思います。私は輿論と世論、パブリック・オピニオン(公論)とポピュラー・センチメンツ(民衆感情)を分けるわけですが、この時期はパブリック・オピニオンじゃなくてポピュラー・センチメンツを反映する役割を、メディア議員が果たしていた時期とも言えます。
 新聞が大衆化した満洲事変から太平洋戦争までの時期は、新聞がマス・ペーパーというかマス・コミュニケーションの媒体として実体化する時代で、その中でメディア議員とくに新聞出身議員が増えていく。そう考えると、メディア議員が多数を占めていた「にもかかわらず」戦争を止めることができなかったのではなく、メディア議員が多数を占めていた「からこそ」世論に逆らうことができず、戦争に反対することができなかったと考えるのが妥当ではないのかということが、一つの仮説になるわけです。
 日米開戦で日本人がなぜ熱狂したかについて、NHKが「新・ドキュメント太平洋戦争『1941―開戦(後編)』」(2021年12月5日放送)で、池崎忠孝を日米戦の「いまでいうインフルエンサー」としてフィーチャーしている。メディア議員という存在からは、「権力の監視」という枠組みでは捉えられない「ジャーナリストと政治の共犯関係」が現れてくる。つまり、戦争報道と密接に関わるメディア議員を見ることが、非常に重要ではないのかという思いで、私は池崎忠孝の評伝に取り組んだわけです。
 この6月に『池崎忠孝の明暗』が出た後は、11月に『降旗元太郎の理想』という、明治期の地方ジャーナリズムからスタートした政治家が取り上げられます。年内にもう一冊、『中野正剛の民権』も出ます。今年だけでもあと二冊、すぐ来年1月の『三木武吉の裏表』と続くわけですが、残念ながらまだ私の一冊しか出ていません。本当は與那覇さんにすべての巻が出たところで登場してもらって、というふうに……。

與那覇 光栄なご指名ですが、しかし14人分の評伝を全部読んで論じるって、むちゃくちゃ大変じゃないですか(笑)?

佐藤 (笑)。ということで、與那覇さんにバトンを渡して、感想を含めてお聞きできればと思います。


日本近代史の「最後のピース」

與那覇 シリーズの配本第1冊となる佐藤先生の『池崎忠孝の明暗』、500頁以上ある大冊ながら、途中で手が止まらず一気に読ませていただきました。ちなみに、14人分がすべてこのボリュームというわけではないんですよね?

佐藤 違います。最初の私だけ、総説付きという意味もあり、100頁ぐらい多くなるように計画しました。ただ、実際はさらに100頁以上多くなってしまったんですけど。

與那覇 「力作評伝」といった形容で出版される本は山とありますが、まさにその頂点をなす一冊だと思いつつ拝読しました。読了後、まず浮かんだ印象としては、日本の近代史の叙述における「連続論」の最後のピースが、いよいよこの本、そしてこのシリーズで埋まるのではないかと。それが最大の感想です。
 歴史叙述のあり方をざっくり2種類に分けますと、ひとつは、ある時代が「ものすごく特殊な時代で、今の感覚では信じられないことがいっぱい起きていました」という書き方があり得ますね。「前の時代とも後の時代とも全然違う、むちゃくちゃユニークな時代でした」という断絶論の語り口で、自分が研究する時代の魅力を伝えると。
 これに対して連続論は、たとえば「前近代と近代ではまったく違う社会だ」という前提がある。歴史学だけでなく、社会科学も含めてあらゆる学問がそう定義している。しかし、よく見ると江戸時代と明治時代は「繫がっていて、そこまで変わってない側面がいっぱいあるよ」と、こうした語り口です。断絶があったとされてきた時代の裂け目は、本当に存在したのか。むしろその前後を貫いて続いてきたものがあるんじゃないかと。
 平成以降、ないしポスト冷戦の時代に、日本の近代史をめぐって打ち出される新しい学説や「画期的な成果」と呼ばれる著作には、後者の連続論の立場が多かったように思います。「全然違うぞ」ではなく「意外と同じだ」という驚きの方が、この30年間ほど、近現代史の研究を推し進める原動力になってきました。

佐藤 それは例えば、総力戦体制論も含めてということですね。

與那覇 はい。佐藤さんも執筆された論文集『総力戦と現代化』(柏書房)は、戦後50周年と呼ばれた1995年の刊行。それまでは戦時中の総動員体制は「悪いもの」、逆に敗戦後に実現した戦後民主主義の体制は「良いもの」として、そのあいだには圧倒的な断絶があるとされてきたのですが、「実は両者を貫いて、ずっと続いてきた変革の流れがあるのでは?」 と。こうした見方が総力戦体制論と呼ばれ、非常に大きなインパクトを持ちました。
 学者のみに限られた話ではなく、同じく1995年に出た野口悠紀雄さんの『1940年体制』(東洋経済新報社)は、幅広いビジネスパーソンや政治家に読者を得ています。戦後の自民党一党支配における権力の源泉だった、護送船団行政や「国土の均衡ある発展」の発想は、実は戦時体制に起源を持っており、これからはそれらを打ち壊して市場主導型に改める改革が必要なのだと。平成期における歴史観の転換は、そうした眼前の社会のニーズとも噛みあったからこそ、広い影響力を持ち得た面がありました(拙著『平成史』文藝春秋)。
 日本史学では一般に敗戦までが近代史で、戦後は「現代史」に入りますが、近代史のはじまりをなす明治維新をめぐっても、1990年代以降は連続論的な描きなおしが強くなっていきました。たとえば、従来なら「明治の自由民権運動」とは西洋化を求める運動で、鎖国していた江戸時代にはありえないものとされたわけですが、本当にそうなのか。民権運動の「激化事件」と江戸時代後期からの「世直し一揆」を並べると、起きていることは同じじゃないかと。民権運動は「近代的」、百姓一揆は「前近代的」のようにOSがまったく違うのではなくて、むしろ同じOSの上でver.1.01がver.1.05になりましたくらいのマイナーチェンジしか、明治維新では起きてないんじゃないの(笑)という視点が強まっていった。
 こうして「江戸と明治は実は繫がっている」、「戦時中と戦後もやはり繫がっている」となってくると、じゃあ「真ん中の部分」はどうなんだというのが気になってきます。つまり、大正期を挟んで前方には「日露戦後」、後方には「戦前昭和」となる30年間前後の時代は、どうすれば一本の筋で繋がるのかと。これが、連続説で日本近代史を描く上で最後まで残っていたピースだと思うのですが、『池崎忠孝の明暗』およびこのシリーズの全体が、まさにそれをぱちんと嵌めるのではないかと感じました。
 ずばり答えを示すのが、先ほど佐藤さんの示された「メディア関連議員の衆議院議席占有率」のグラフです(『池崎忠孝の明暗』325頁にも再録)。グラフ下の「4局面」の図表における「Ⅱ」の局面にあたるのが、まさに先ほど申した「最後のピース」の時期。Ⅲ期はいわゆる翼賛選挙(1942年)から始まるので、戦前というよりも完全な「戦時下」になりますが、その手前の「日露戦後から戦前昭和」にあたるⅡ期に、一貫してメディア議員の比率が衆議院議員の3割前後で安定する、高原状のピークを形成するわけです。
 標準的な政治史ですと、どうしても男子普通選挙(法制定が1925年、初の実施は28年)の「前か後か」で切りますから、なかなか明治末からの流れは目に入りません。でも、「どんな人が議員になっていましたか?」という着眼点で見れば、そういうことか! と。自分の筆で読者を動かす「メディアの論理」に馴染んだ人が、かつてなく議員として政治に食い込んでいき、結果として政治がどんどんメディア化して、つまり国民へのウケをめざすようになって、最後は戦争に至る。そうした形で「日露戦争の栄光」から「満洲事変、日中戦争の転落」までは繫がるよと、最後のピースを示していただいたように思いました。


【「近代日本メディア議員列伝」シリーズ創刊記念対談】
②「炎上ビジネス化する政治
③「総力戦体制とメディアの受け手の責任

【登壇者】
佐藤 卓己(サトウ タクミ)
1960年、広島県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東京大学新聞研究所助手、同志社大学文学部助教授、国際日本文化研究センター助教授などを経て、現在は京都大学大学院教育学研究科教授。専攻はメディア史、大衆文化論。2020年にメディア史研究者として紫綬褒章を受章。著書に『大衆宣伝の神話』(ちくま学芸文庫)、『現代メディア史』(岩波テキストブックス)、『『キング』の時代』(岩波現代文庫、日本出版学会賞・サントリー学芸賞受賞)、『言論統制』(中公新書、吉田茂賞受賞)、『八月十五日の神話』(ちくま学芸文庫)、『輿論と世論』(新潮選書)、『ファシスト的公共性』(岩波書店、毎日出版文化賞受賞)、『負け組のメディア史』(岩波現代文庫)など多数。

與那覇 潤(ヨナハ ジュン)
1979年生。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程をへて、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。その他の著作に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)、『歴史なき時代に』(朝日新書)、『平成史』(文藝春秋)、『過剰可視化社会』(PHP新書)、『長い江戸時代のおわり』(池田信夫との共著、ビジネス社)、『危機のいま古典をよむ』(而立書房)、『ボードゲームで社会が変わる』(小野卓也との共著、河出書房新社)など著書多数。