僕の好きなクルマはこれからも面白いか①

■初投稿なので自己紹介

はじめまして。普段は新米サラリーマンをやっている者です。物心ついたときからクルマが好きで、現在も生粋のクルマ好きを自称しております。

さて、技術革新や環境保護の観点などから、ここ数年CASEやMaaSなどの自動車・モビリティ業界の話題が増えてきております。新たな競争時代に、各メーカーが将来を思い描いたクルマを発表していますが、その情勢に僕自身は若干の抵抗を覚えるのです。流行りや最先端技術に、自分の大好きなクルマのこれからを方向付けられてたまるか、と。以来、いろいろ頭の中で思うことはあるのですが、友人の勧めもありこうして文章化することにしました。

せっかく技術やサービスが向上しているのですから、それに伴ってクルマの面白さも増加されるべきです。最先端であっても面白くなければ、なんの魅力もありません。では、クルマの面白さとはなんでしょう。その本質を問い直していきたいです。では、本文に参りましょう。

■30年前のフィクション

1987年に出版された星新一の著作、『妄想銀行』の中に収録されている『小さな世界』という話をご存じだろうか。自分が初めて読んだのは小学生のころ、すなわち十数年以上も前のことだ。というかそれっきり読んではないが、なぜか記憶に残っている。その内容は、大金持ちで自動車を欲しがっているアール氏のもとへ、その噂を聞きつけた自動車販売店の営業マンが売り込みに訪れ、ついにはアール氏がその自動車の購入を決める、という話だ

その自動車というのが、自動運転は当然で他にも、アロマセラピーの機能があったり、囲碁やチェスなどゲームの通信対戦ができたり、マッサージ機能付きのシートが装備され、電話は自動音声が対応してなど至れり尽くせりなのである。

その自動車を気に入ったアール氏は購入を決めるが、ふと営業マンにこんな質問をする。

「そうそう、この車の速度はどれくらいかね」

営業マンは時速30キロだと答え、アール氏は「だめだ、こんなのろま車は」と一瞬購入を取り下げようとするが、営業マンが「この車の持ち主は、どなたさまも平均時速15キロぐらいで走らせておいでのようで・・・」と話すと、アール氏は少し考えた末に納得し「わかった。すぐに代金を払おう」と言う。というのがオチである。

■すぐそこに見えてきたミライの自動車

ここからは現在のリアルな話をしていこう。先進的な自動車メーカーとしてボルボが挙げられる。ホームページのURLを貼っておくが、彼らは360cという自動運転の電動コンセプトカーを通じて、”自由に過ごせる快適でパーソナルな移動空間”を提案している。そこでは二つ並べられたシャンパングラスや、オフィスとして使われる車内、移動するベッド(夜に出発し、寝ている間に自動運転で目的地に着く)といったイメージが描かれている。(https://www.volvocars.com/jp/why-volvo/human-innovation/future-of-driving)

また、ソニーは今年1月に開催された世界最大のデジタル技術見本市「CES」で、自動運転システムを搭載した電気自動車を発表した。2020年1月10日付の日本経済新聞(電子版)によれば、彼らの目的は、自社の強みである画像センサーを、自動運転車の開発に活かしたいという意思表明であった。なお、その自動車では、ソニーの得意なスピーカーやスクリーンでもって、あらゆるエンターテインメントが楽しめるという。

業界の先端を行かんとする両社に共通するのは、いかに時間と空間に価値をつけるか、ということであろう。(自動運転は時間を生み、電気自動車はエンジン車ほど部品を必要としないので空間を生む。)

■楽しさは文脈に依存する

技術はこのような新しい価値を生み出したが、それはどのくらい多くの人々にとって価値を成すものなのだろうか。

極端なたとえ話をしてしまうと、コップ一杯の水だって砂漠を彷徨う旅人と、川で溺れかけている人では感じる価値に大きく差が出るはずだ。つまり、寝ている間に明日の出張先に着いておきたい人にしか、ボルボの寝室のような自動車は意味をなさないし、移動中に映像を楽しみたい人しか、ソニーが提案した価値は意味をなさないのである。

クルマをどのように体験するとき、人は楽しいと思うのだろうか。クルマと楽しさがむすび付く人というと、マニュアルトランスミッションのスポーツカーに乗っているような人が連想されがちかもしれないが、実際はそうではないはずだ。

大型のSUVにアウトドア用品を積み、友人を乗せてキャンプに行くのだって、恋人を乗せて夜景の美しい首都高速を走るのだって、通学中にお気に入りの音楽をかけて、ハンドルを指でたたいてリズムをとりながら熱唱するのだって、その人たちにとってクルマと楽しさは身近な関係にあるのではないだろうか。

となると、技術が先行した最近の次世代自動車競争が急に冷めてくる。各メーカーは新しい技術を無闇に乱用するのではなく、いったん、人々はクルマをどのように体験しているのかよく考えてほしい。

■最先端な自動車が必ずしも総じて面白いわけではない

冒頭で紹介した星新一の物語に登場するアール氏が自動車の速度を気にしなかったのは、パーソナルで快適な空間を欲していたからである。が、実際のところクルマはそれ自体の価値のほかに、クルマを通じた価値をもたらしてくれるものだ。

自動車業界のトレンドとして、自動運転と電動化があり、それによって新規参入の動きが絶えないが、人を動かすのは決して技術ではないと念押ししておきたい。技術の前に人々がクルマをどのように楽しんでいるかを、つまりクルマの本質をきちんととらえてから、クルマの未来は表現されるべきだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?