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今まで普通に出来なかったこと、どんどんしてこうぜ

全人類が「普通に」してることってあると思う。毎日、毎日無意識的にしてること。呼吸することと同じ様に行ってること。でも、その普通は、ある視点から見たら「普通に」できないことでもあるかもしれない。

今日はそんな、「普通にやってること」についての話。

「新しいことを始めることマジ余裕」時代の僕

自分で言うのも生意気だと思われるかもしれないが、個人的に「新しいことを始めること」への精神的ハードルは圧倒的に低い。

英語を全く喋ったことがなかった僕は、いきなり英語に囲まれた環境に身を投じたし、高校で体育会系部活に入っていたけれども、大学から音楽系サークルに入ったし、留学も、インターンも、正直精神的な負担を感じたことが無かった。(もちろん、そのプロセスの中で緊張をする場面に立たされることはあるが。ライブで、人前で始めて歌った日は、ガチガチに緊張していた。当時の映像はもう恥ずかしくて、目にすることは無いだろう。) 

留学に出発前日の夜の俺「やべえ、明日からアメリカじゃん、早く行きてええええええ」

という感じで、大学3年生、留学開始時には、もうビビるものはあんまり無くなっていた。

カミングアウトも、まあいけるな

カミングアウト(自分の性的指向を周りに伝えること)も、僕にとっては新しい体験。始めてカミングアウトをすることへの精神的ハードルは、圧倒的に高かった

あっ、初めて読む方へ。僕は、男性の体で男性が好きな人間です。一般的にゲイって呼ばれてるかな。

特に1年生のときは、カミングアウトする毎に涙を流していた。あの時受け止めてくれた皆、本当にありがとう。皆のおかげで、もう正直中高の友達以外だったら、あまり精神的ストレスを感じることなくカミングアウトできるんじゃないかな。

セクシュアル・マイノリティ(以下「セクマイ」)は、誰かと人間関係を構築する/した際、「カミングアウト」と常に隣り合わせになる。

日常の何気ない会話で、

「そういえばお前、彼女いないの?」

なんて聞かれると、その瞬間に「カミングアウトをする」か「しない」の2択を迫られる。

僕は、必ずこういう状況では、「しない」を選択してきた。そして、人間として信頼できるか否かを見極めて初めて、「する」を選ぶ。そして、カミングアウトをするために、自分が落ち着いて話すことができる環境を整える(もちろん、偶然自分が落ち着いて話せる環境が舞い降りてきたように作り出される場合もあるし、どの様な状況が安心な状況なのかは、カミングアウト経験値()を上げていくことで変わっていく。個人的見解)。

例えば、こんな状況。

俺「なあ、◯◯。ちょっと話したいことあるから△△日空いてる?」

友人A「おお、どうした。空いてるよ。」

--- 当日 ---

俺「今まで言ってなかったんだけどさ、俺ゲイなんだよな。」

友人A「そっか。まあ、なんとなく気づいてた。」

という感じに、状況を自分で設定してきた。そして、こうすることで落ち着いてカミングアウトできたことも事実だ。誰にも聞かれない場所で、信頼した相手にカミングアウトをする。これには安心感を感じた。

「カミングアウト」に対する違和感

カミングアウトは、僕にとって「普通」になった。毎日誰かと話してる中で、「そういえばさ!俺ゲイなんだよね」なんて突然言えちゃうぐらいには、普通になったと思う。

そんな中で、やはり多くのセクマイが感じるであろうことがこれ。

「なんで、カミングアウトしないといけないんだ」

「差別的な社会じゃなければ、カミングアウトなんて必要ないんじゃないか」

僕も、同じように感じ始めた。「カミングアウト」という行為自体への違和感。「カミングアウト」が必要な社会への違和感。「カミングアウト」は、 "Coming out of the closet" (クローゼットからの出てくること)という表現に由来する。そう、僕たちはクローゼットの中にい。もっと言うと、異性愛者中心の社会では、クローゼットの中に居ざるを得ない状況がある。僕たちは、自分らしく生きるためには、クローゼットの中から出る勇気が必要である。なぜならば、クローゼットから出る行為にはリスクが伴うからだ。

"Coming out of the closet"という普通、そしてその先へ。

セクマイにとって、「カミングアウト」という行為は身近に感じる人が多いと思う(まだ、カミングアウトしたことがない方にとっては、身近ではないかもしれないが )。そしてこの行為をすることが、僕にとって「普通になった」のは、先に述べたとおりだ。

そして、ここでもう一度言うが、個人的に「新しいことを始めること」の精神的ハードルは圧倒的に低い。カミングアウトへの精神的ハードルも、もはや低い。

しかし、こんな僕が今でも、心臓をバクバクさせながらやっていることがある。それは、

明確なカミングアウトをすることなく、自然と会話の中で「好きなタイプの男性の話をする」だとか、「元カレが居た」こと、「彼氏がいること」を話すことだ。(今彼氏はいませえrんあおえなうあふぉいsjふぃおpゔぁsdvfわえpふぁdふぁおsぢjふぃおあs)

つまり、「俺実はゲイなんだ」という前置きを無しに、「俺の彼氏がさ〜」という話をすること。

「え?普通じゃん」って思った?そこのあなた、100点満点です(上から目線ですみません)。これが普通に出来る社会。これを普通と感じる社会。本当に素敵だよな。異性愛者にとっては、ごくごく普通なことかもしれない。恋バナや結婚、好きなアイドル、俳優・女優の話をする時、必ず「俺実はゲイでさ」という前置きをしてから、自分の話をしていた。自分の中で、明確にカミングアウトをすることが当たり前になっていたから。

僕にはこれが、結構ハードルが高い。今も意図的に、心のなかで「よし言うぞ」って決めてからでないと言えない。慣れている途中。

昨日、先日加入したある団体の、オンライン飲み会に参加。自己紹介では、自分に関する事柄を3つ言う。そして、そのうち1つは嘘であって、それを皆で当て合うというアイスブレイクがあった。ほぼ全員が初対面の中、僕は、3つの事柄の1つに

「実は日本の方とお付き合いしたことがありません」

という事実を入れた。この文章に、僕の性的指向が分かる言葉は使っていないのだが、やはり異性愛者であると間違えられる(詳しくどんな発言があったかは覚えていないが、異性愛者と思われてるな〜と思った記憶がある)。

そしてネタバラシのときに、「『元カレ』は、◯◯人と◯◯人でした」と伝えると、やはりその後の空気がかすかに変わる。この空気が、怖いし、きっと相手も、どう反応してよいのかわからないのだろうと予想できる。

この様に、何も言っていないのに、「この人は異性愛者である」と無意識に思ってしまうような、そんな社会構造が裏にはある。そして、僕がしていることは、この構造により構築される社会的な規範に、力づくで抗うこと。力づくで、その規範を打ち壊していく行為。だから、こんなにも緊張してしまうのだろう。

でも、目指したいのってそこじゃないかな。「クローゼット 」なんてない世界。「カミングアウト」なんて概念が存在しない世界。自然と、「俺の彼氏がさ〜」とか「私の彼女がさ〜」って話をできる世界。アウティング(他者のセクシュアリティを他者に伝えてしまうこと)なんて概念が存在しない世界。

そんな社会にするために、地道だけど、社会的規範を打ち壊してこうと思う。

これが、僕が今まで普通に出来なかったこと。今まで普通に出来なかったこと、どんどんしてこうぜ。

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msy03さんの絵をお借りしました。とても素敵な絵で好きだったのと、タトゥーも「普通でない」とされていることが多く、タトゥーもしっかり考えて自分なりの意見があってやるなら全然やっていこうぜ!とか思ったりなんだりして、この絵を使わさせて頂きました!ありがとうございます。

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