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いじめ、中傷などで自殺を考えてしまうような日々を送っている人が逃げ込める世界はあるのか...?

無くならない社会問題の1つである「いじめ」という大きな問題。
何故起きてしまう現象なのか、何故なくらない現象なのか、小さいと思われているこの問題だが、当人からしてみれば計り知れないほどに大きな問題であり、年間数え切れない程の人が自らの命を絶っている。

社会では自由でも学校では縛られていることが多い

例えば制服などもそうだが、身だしなみという表現で服装や髪型などまでも制限されるようなことや、出来るだけ人と同じことをしなくてははみ出し者扱いされてしまう。などといった現象はいつになっても無くならない。

とにかく他人との比較を行うことが多く、平均みんなと同じという表現を使われる場所だと言っても過言ではないだろう。しかし、社会人になればみんなと同じでは結果を出すことが難しい状況が多いはずだ。

日本の教育の中にあるルールが「いじめ」を助長させているのではないか?とも考えられるケースも少なくはなく、縛りの中で行きている学生が多いからこそ生まれるトラブルもあるはずだ。

学校という集団生活の中で起きる問題

当たり前に行かなければならない義務教育があるこの日本では、少なくても中学までは行かなければいけないとされている仕組みだ。しかし、いじめを受けている人からしてみると、学校に行きたくないと思うはず。

そんな理由があるにも関わらず、学校に行かなければ「不登校」というレッテルを貼られ、周囲からもそのような目で見られてしまうことだろう。それが友達だけではなく、先生や学校側からも問題児のような扱いを受けるケースも少なくない。

また、小学校では、社会科見学が多かったり、学校の中よりも外の世界を見せようという教育が多いのにも関わらず、中学校からは閉鎖的な教育に転換しているような気もする。

結局のところ、学校では勉強以外に得られるものが多いことには間違いないが、それは全員ではなく、順応できる人のみに得られるものだということを理解していない教員も多いはずだ。伸びる子はとことん伸ばしてやろう、というスタンスはあるものの、孤独を感じている子に対しての対応は少ないだろう。

自分はそのつもりでなくても当人はいじめだと感じているケースも多い

実際にいじめで命を絶ってしまう学生が多い中、いじめている側は、全くいじめているという自覚が無いと言ったケースも多い。勿論いじめられている側も拒否をしていないケースも多いが、それに気づいて止められる友達が居ない場合は、教員が気づかなければいけないはずだ。

教員に多くを求められすぎているように感じるが、実際学校とは集団生活を行っているコミュニティに違いないので、運営している側の責任は大きくなければおかしい。ましてや自殺まで考えている生徒に気づかない、などはあってはいけないことなのかもしれない。

そんな社会問題から自分の価値を表現することができる世界を創っているSNSがある

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その名も「Yay!(イェイ )」というアプリだ。このアプリを提供は、学生限定SNS「ひま部」というSNSコミュニティを運営していた企業だ。

ひま部といえば学生だけの唯一の居場所とされていたSNSコミュニティであり、学生ユーザー同士で友達をつくったり、電話をしたり、趣味思考が合うユーザー同士がグループを組みディスカッションすることができる機能などでユーザー数は800万人を超えていた。(現在はサービス終了している)

Yay!(イェイ)はいじめや差別的な社会問題で損をしている人が居場所を提供している

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冒頭から取り上げている「いじめ」や「不登校」や「自殺」などの社会問題をリアルに考えており、出来るだけそういった環境に置かれている人の気持ちを理解しているように思える。

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人生を通じて信頼できる仲間」と出会えることは、どんな人にも与えられている環境ではありません。また、環境によっては、無理な状況な人も少なくないということ。

しかし、それはリアルな現実社会の問題であり、インターネットを通じて対策すれば変えられるのではないか?という考えから、コミュニティを提供しているようで、平等に自分の環境を表現できる世界を作りたいという願いが詰まっているSNSとなっている。

実際に、Yay!(イェイ)以前に運営されていた「ひま部」では、数多くの学生ユーザー達が「ひま部があったから友達ができた」「ひま部があったから辛いことも耐えられた」「誰にも相談できないようなこともひま部のユーザーになら話せた」といった、リアルな感謝の言葉が現在も絶えない。

実際に運営側だけの利益を考えているサービスやコミュニティは少なくない現状、このようなユーザーが優先されるサービスがあってもいいのではないか、そういったサービスを批判するのは何故なのか?と思えた。

学校よりもコミュニティ・環境へ力を入れているのは明白

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Yay!(イェイ)では、上記資料のように、コミュニティに対しての安全対策をAIだけではなく、人の目を使ってパトロールを行なったり、外部機関と協力していることからも、ユーザーを守るといった点では、学校よりも遥かに整っていると断言できる。

結果的に、学校だから良い、現実社会だから良い、などといった固定観念で物事を話すのは、もう古いのだ。そういった人間がこれからの未来居なくなって行くと同時に、排除されていく世界出なくてはならないと思う。

保守的な日本だからこそ、様々なルールや固定観念をひっくり返しながら、もっと数多くの悩める人が自由を感じ、孤独から解放されれば、もっと楽な社会が訪れるのではないか、と思える。

今孤独を感じて止まない人は、1度騙されたと思ってYay!(イェイ)を利用してみては如何だろうか、どんな小さなことでも諦めず試してみることは悪くないものだと思う。