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耳が聞こえなくても、言葉が話せなくても、クリエイティブはできる!?

「耳が聞こえなくても、言葉が話せなくても、クリエイティブはできるはず?」

と思っていたが、驚いた!
目が見えるのに、クメール文字がスムーズに読めないのだ。

我々ソーシャルコンパスは2023年3月10日と20日の2回に渡ってPhnom Penh Thmey Special Education High School(プノンペン・トメイ特別教育高校)の聴覚および言語障害のある学生が30名ほどに対してワークショップを行った。

以前、ソーシャルコンパスは情報大臣の依頼でコンポンチャムの聴覚視覚障害のある特別学校でもアニメーションのワークショップを行ったことがある。しかし、一回だけのワークショップではあまり意味がない。

そこで、定期的にクリエイティブ教育を行えるように、プノンペンにある聴覚視覚障害のある特別学校のPhnom Penh Thmey Special Education High School(プノンペン・トメイ特別教育高校)にコンタクトを取った。

場所は、プノンペン北部のトゥールコック地区。

プノンペン・トメイ特別教育高校は、1994年以来活動してきたNPO法人Krousar Thmey(クローサートゥマエ)が母体となってスタートした。2019年に教育・青年・スポーツ省に移管して、国営の学校となる。

耳が聞こえない聴覚障害の学生が145名。
目が見えない視覚障害の学生が60名。
合わせて、約200名の学生が通っている。

視覚や聴覚に障がいのある学生たちが、専門的な教育を受けられるように、社会生活に必要なサポートを提供する教育機関だ。

校内に入って、驚いた。
ちょっと、地方のリゾートホテルのような建物。

予想外に綺麗な学校に拍子抜けする。

カンボジアの首相フン・セン氏も、片目を失明して、義眼ということもあり、この学校には力を入れているらしい。

トメイ特別教育高校の校長先生
点字を学ぶための器材

そんなプノンペン・トメイ特別教育高校は、図工や美術の授業は行われていないが、芸術教育には興味は持っていたようで我々がワークショップを行うことを、快く受け入れてくれた。

定期的に交流を続けていくために、まずは我々ソーシャルコンパスの十八番であるアニメーションのワークショップを行うことにした。

目が見えない学生は今回は対象から外して、耳が聞こえない学生だけ30人程度。

日本語で私が話して、JessyAnがクメール語の通訳をする。それを、先生が手話にする。

二重通訳だ。

しかしながら、スベった。
大いに、スベった。

今まで何度となくアニメーションワークショップをやってくる中で、一番反応が悪い・・・そんな、気がした。

プロジェクタで投射した、クメール語のスライドにも反応は鈍い。
ちょっと冷や汗が出る。。。

スベって、焦る中村の図。

しかし、後から知ったことだが、どうやら英語はもちろん、クメール語を読めない学生が多いらしい。

目が見えるのだから、クメール語は読めるものだと思い込んでいた。
手話はわかるが、クメール語教育は行き届いていないようだ。

聞くところによると、手話を中心としたコミュニケーションだけなので、圧倒的にボキャブラリーも貧困だという。

ダイナミックでユニークなキャラクター
作ったキャラクターについて前に出てプレゼンしてもらう!
キャラクターだけでなく、名前・年齢・好きなもの・好きな色を描いてもらった。
そして、描いたキャラクターを切り取る。
作ったキャラクターをスマホで撮影。

ところが、皆、ユニークなキャラクターを描く。
そして、スマホでコマ撮り撮影して、そのキャラクターが動き出すと驚きとドヨメキの声が。

思った以上に自分の描いたキャラクターが動き出すことに、喜んでくれるようだった。その反応を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。そして、ちょっと感動してしまう自分がいた。

スベり倒したと思った今回のワークショップ。
みんな、話すことができず、リアクションができなかっただけで、思った以上に興味を持ってくれていたようだった。

そして、思った以上に丁寧に撮影して、ちょっとした工夫も出てくる。

表現するということを、心底楽しんでくれている。
ちょっと、涙出てくる。

みんな、真剣な眼差し。
そして、みんな笑顔も溢れ出す。

スベったどころか、今までの中でも最も反応が良いアニメーションワークショップになったのかもしれない。

私はクメール語も話せなければ、手話もできない。
ジェスチャー以外の、直接のコミュニケーションは全く取ることはできない。けれど、何か通じ合えたような気もした。

カンボジアでは、障害者は哀れみの対象と見られることが多いのかもしれない。まだまだ、偏見は多いのである。特に、耳が聞こえないだけなのに、クメール語が読めないことに驚かされた。手話はできるものの、まだ十分なクメール語の教育が行き届いていないのだ。

耳が聞こえないだけで、社会的には十分な人間とは見なされていないように感じる。

それでも、表現する喜びは持っており、ユニークなイラストを描いたり、丁寧に撮影することができた。

可能性は、めちゃくちゃあるのだ。

カンボジアの聴覚障害の学生から、世界に羽ばたくアーティストを生み出したい。

そう思った。

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