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残念しっぱい雑記『球が怖い』

妻が、運動不足解消にテニスを始めた。
誘われたが、丁重にお断りさせてもらう。

私は『球技』が苦手なのだ。

身体測定のソフトボール投げで『球』は3mも飛ばない。
男女合わせても、クラス一の貧弱さ。

サッカーにバスケットボール、ドッジボールから、卓球、ボーリング、ビリアードまで、『球』であれば全て苦手。

数学の『球』の計算も怖い。(もちろん、今ではすっかり忘れている。)

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もう、『球』はトラウマですらある。

よく「学生時代に戻れるなら。。。」という、妄想トークを振られることもあるけれど、『球技』をやりたくないので、絶対に学生時代には戻りたくない。

「あの、昼休みにドッチボールに誘われる億劫さ。」
「サッカーでぼーっと突っ立っていて、役に立たないバツの悪さ。」

何よりも『球』の前では、全てが「スカッ!」と空回ることしかイメージできない。

思い出しただけでも、目眩がする。
まさに悪夢。

大学に入ると、
「『球技』をしなくても良い!?なんて幸せなことなんだ〜!」
と、心底思えた。

そんな『球』からの束縛から逃れた開放感は、今でも忘れることができない。

嬉しいというか、ホッとした感じだ。

今、デザインやアート系の仕事をしているので、図工や美術が得意だったと思われがちである。

『球技』への苦手さのマイナスベクトルに比べたら、図工や美術の得意さのベクトルなんてカワイイものだ。

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このベクトルが全く逆だったら、オリンピックだって目指していただろう。

というか『球技』が苦手すぎて、図工や美術の得意な錯覚に陥っていただけなのかもしれない。図工や美術なんて、今思えばたいして得意ではないのだ。

学生時代は『球技』は、コンプレックスでしかなかった。

周りと比べた時の劣等感。
学生時代の『球技』至上主義は、私を図工や美術へ逃げ込ませる。

『球技』コンプレックスが、決して得意とはいえない図工や美術を伸ばすパワーに原動力になったのかもしれない。(ちなみに勉強も不得意だった。。。)

球技や勉強ができない私の一筋の光は、図工や美術しかなかったのだ。

その数少ない一筋の光に、一点賭けした人生。
それが私の今の人生だ。

一応、私は今、図工や美術の延長線上にある「デザインやアートの仕事」で飯を食っている。

『ちょっとだけ得意』の一点買いは、ちょっとだけ勝っている。
自分の本質的な能力からすれば、大勝ちと言ってもいいかもしれない。

そう思えば、『球技』が苦手でよかった。

こんな駄文なのに最後まで読んで頂き、
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それにしても、このベクトルが逆だったら、今頃、大谷翔平だって夢ではなかったかもしれない。。。


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