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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その9 【どこでも自転車】

一家に一台の『マイカー』がやっと普及し、運転や所有はもっぱら父親のものだった頃から何年かかったのだろう。ようやく母親たちが免許を取り始め女性も運転をする時代となり、我が家のブルーバードの横に10万円の中古軽自動車が並んだのは1987年だ。とはいえクルマでの親の送迎はごく一部のお金持ちの話で、伊豆は韮山のような田舎の高校生にとって、日常の足はまだまだ自転車。

静岡県立韮山高校に入学しサッカー漬けの毎日だった(詳しくは【サッカーはやめててしまったけれど】に書いています)。とにかくどこにでも自転車で行った。修善寺でも沼津でも、御殿場や富士宮といった片道30km以上もある他校へも。いつでも自転車で練習試合や試合会場に出向き、そこで2試合も3試合もやって再び自転車で帰ってくる。今考えてもタフだ。

そうそう、思い出といえば会場が三島や長泉といった近くだと、帰り道にサンテラス駿東(今のサントムーン柿田川)にある《すがきや》でラーメンが定番。あの値段(一杯180円)は高校生の財布には優しい。小遣いに余裕があって試合に勝ったおりは、国道1号線の箱根登り口にある《味の終着駅次郎長》‼︎。普通の倍あるラーメンを大盛りにして大盛りチャーハンも付けペロリ(この三島の名店30年経った今もあります)。

時代はバブル景気のはしり。三島に出ればなんでも揃っていた。マック、ミスド、サーティワン、ロッテリア、ケンタッキー…etc。そこへ遊びに出向くのに、韮山駅から伊豆箱根鉄道(いずっぱこ)に乗る仲間とMTBに乗る自分とでよく競争した。最短ルート調べまくってぶっ飛ばして、ほぼほぼ全勝。今考えても元気だったなぁ。

あの頃、そんな風にMTBは僕にとって、まるでどこでもドア。
『どこでも自転車〜』だったのだ。つづく

#どこでもドア #MTB #韮山高校 #サッカー部

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