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エンド・オブ・ライフ ケアにおいて倫理的に考慮すること(1)

家庭医ギータです。

在宅専門医試験、あっという間の30分でした。無事に通過していることを祈るのみです。

1) 本日の論文

今日はこちらの論文を読みました。

緩和ケアのセッティングでは、毎日、倫理的に悩ましい問題に直面します。明快な答えがない中で、関わる人ができるだけ納得できるように話し合う必要があります。

なかでも、急な経過で病状が悪化してしまい、本人は意思表示ができず、家族に意思決定支援を行うケースは悩ましいです。臨床倫理の原則について触れられているので、理解を深めたいと思います。

2) 臨床倫理の5つの原則とは?

(Introductionの途中から)

 終末期の患者さんに対するケアの目標は、苦痛の軽減、死が訪れるまでの生活の質の最適化、そして死の過程における快適さ(comfort)の提供です。 しかし、これらの目標を達成することは必ずしも容易ではありません。 医師や患者さん、その家族は、医療技術を駆使して延命するのか、自然な死を迎えるのかといった治療法の選択について決断を迫られるため、終末期医療に関するさまざまな倫理的ジレンマに直面します。

こうした問題を解決するために重要なのが、臨床倫理の原則です。5つの原則があります。

自律性(autonomy)
有益性(beneficence)
無危害(nonmaleficence)
忠実性(fidelity)
正義(justice)

続いて、Universal Ethical Principals(普遍的な倫理原則)のパートで、それぞれについて説明があります。ザックリと表すとこんな感じでしょうか。

自律性 →患者の自己決定権
有益性 →患者にとっての最善を尽くす
無危害 →不必要な危害を加えない
忠実性 →例えば、患者の予後などについて正直に話すなど
正義  →医療資源を公正に分配すること

3) 現場でよく使われる「無益性」の意味

これらと関連する言葉として、現場では「無益性」(futility)がよく使われます。無益性が高いと判断した場合、より踏み込んだ形で患者さん(多くはそのご家族)に治療の差し控えと苦痛緩和を主体とした関わりを提案することになります。

 患者が有益ではない、あるいは延命だけの治療を主張した場合、医師はその治療が患者の利益にならない理由、医師が患者に与える可能性のある損害、治療の提供がいかに資源の不必要な使用につながるかを説明することで、患者のケアから撤退することができる。 また、医師には患者の生命を守る義務があるが、この義務を不必要な資源の使用と混同してはならず、無用または無益な治療を続けることで患者をさらに傷つけてはならない。……(中略)……医学的に無益な治療や介入とは、患者の利益になる可能性が極めて低いものである。

 無益性の高い医療とは、患者さんに利益をもたらす見込みがないにもかかわらず、患者さんに提供される医療のことである。原則として、無駄な医療かどうかの判断には患者さんが関与すべきです。 終末期医療における無益で高価な治療は、医療費を増加させ、医療における不平等を助長する。 先端技術は治療を約束するものではない。 これらの技術の使用は、時として患者に利益をもたらすどころか害を与えることもある。 したがって、医師は、患者または患者の代理人の自律性という倫理的価値を確かに考慮すべきであるが、治療によって起こりうる損害や、不必要な資源の使用が医療費の増加につながることについても議論すべきである。 医師は、無駄な治療や無益な治療を患者に適用する必要はない。

今でも、特にICUや救急のセッティングで、死に直面した患者さんへの治療の選択肢を医師が家族に提示して選ばせる、というやり方がまだまだ多いかもしれません。

しかし、無益性の高い治療介入と医師が判断した場合には、その見解を共有した上で、プロフェッショナルとして推奨する方策を提示する必要があります。

4) まとめ

この先、「終末期医療における意思決定」という話題になりますが、こちらはまた明日、続きを読みたいと思います。

ちまちまと闘いはつづく…


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