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「フットボール風土記」第4章 ~女川町にJFLクラブがある理由~ コバルトーレ女川 2018・陸月

今日はフットボール風土記の紹介記事の第4章編です。



2011年3月11日、宮城県女川町は東日本大震災による高さ18メートルの大津波で甚大な被害を受けた。


千年に一度の大災害で瓦礫の街となってしまった女川だが、あえて港には防波堤を作らず、「海と生きること」を選択した。

その代わりに津波が来たらすぐに高台に逃げられる街づくりを目指したのだ。


ここに人口およそ6700人のミニマムな自治体にJFLまで上り詰めたチーム、コバルトーレ女川がある。



女川の中心にある商業施設の中にオフィシャルショップ兼クラブ事務所がある。

そこにはチームを見事JFL昇格に導いた監督の阿部裕二がいた。

彼は今年からGMになったそうだ。



平均身長でも平均体重でも他チームに劣り、元Jリーガーも皆無という状況で地域CLで見事な優勝を成し遂げた雑草集団だ。


2006年に設立されてから徐々にステージをあげていく過程で彼らを襲った震災。

ユニフォームもボールも流されてサッカーをできる状況ではまるでなかった。


そうして1年間の活動を停止してでもここに残るか、外に出てサッカーを続けるかという選択を迫ったのは代表の近江弘一である。


彼は石巻日日新聞代表取締役社長でもある。

この会社は震災直後、機械で新聞をすることもできなくなっても、マジックペンで書いた号外を出し続けたということで知られている。


近江が高齢化が進んでいく女川でスポーツコミュニティ構想を打ち出し、地域を活性化させる計画を進めた。

結果、震災を挟んだにも関わらず6年で全国リーグに達した。



メインスポンサーである女川町の水産加工メーカー、高政

彼らは震災直後も社員全員に給料を払い続け、社員たちの生活を守ったことでも知られる。


これもコバルトーレ女川のスポーツコミュニティ構想に共感した結果である。


新スタジアムの建設に関しては地元の人口や自治体の規模などを考えて、なかなか簡単にいくものではないという。



コバルトーレ女川の魅力は全国でも類を見ない街づくりと切り離して語ることはできない。






地域と密接に紐付いたコバルトーレ女川がスポーツを通して地域に貢献しているという事実がスポーツの凄みを物語っているように感じた。

そしてスポーツができるということはみんなが安心して暮らせる環境にいるということだと感じた。


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