流れるプールのその先へ
高校の物理の授業で習った『波』。
理系の私でさえめちゃくちゃ苦手だったこのジャンル、多くの人にとってはさっぱりピーマンだと思います。
でも最近になって、この世界のいろんなものって、実は『波』っぽい動きをするものが多いんじゃない??と思うようになった。
物理のやりすぎだ~~なんて言わないで、まじで嫌いだからあの分野。
例えばさ、音とか光とか電気とかミクロな世界を突き詰めていくと、たいてい『波』の話になる。
みんながこの文字を読めているのも、音楽を聴けるのも、波のおかげ、身体なんて電気信号だらけだしさ。心電図とかまんまじゃん。
もう少しスケールを広げると、人間の情緒とか、人生の幸/不幸とか、一連の『波形』で表現するよね。
こいつらは必ず+のときもあれば-のときもあって、いつでも滑らかに連続的に変化していく。
株価の変動とかもそうだね。
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こんな感じで、歴史とかのめちゃめちゃスケールの大きい概念的なことも、たいてい『波』みたいな特徴があるなぁと思うわけで。
ここで『波』みたいな特徴っていうのは、一種の周期性があるってことなんだけど。
例えば歴史的な大災害。
私たちはこの地球に住まわせてもらっているんだ、他の生物と共生しているんだということを思い出させてくれるように、忘れたころに必ず自然の猛威が襲い掛かってくる。
大地震、異常気象、疫病...。
これらは不思議と毎年のように襲ってこない代わりに、幾年かに一度必ず、巨大な何かが思い出したように生じる。
来たら大変なことになることを知っているのに、不思議と気を抜いたときにやってくる。ロスタイムの失点と同じだ。
一方でポジティブなものでいうと、科学技術やライフスタイルの革新とかかな。
コンピュータ、WWW、携帯電話、スマートフォン、AI...。
生活様式の急な変化にやっと慣れたころには、次の大革新がすでに頭を覗かせている。
もはや誰もがこのスピードに振り落とされているけどね。
結局ネガティブになっちゃった。てへ。
こんな風にいろんなものが周期的にやってくるとすれば、最近ずいぶん音沙汰がないのは、やっぱり"世界的な戦争"で。
中国がどうとかアメリカがどうとか北朝鮮がどうとか。そんな具体的なニュースを見なくても、空気感というか、雰囲気というか、もやっとした気配が意外とそんなに遠くないとこまで近づいてきている気がするんだよね。
この70数年を"休戦期間"と揶揄するのも、あながち間違ってない気がする。
しかしながらそれを先見できたとて、この法則にテコ入れをして未来を変えることもできなければ、戦火で耐え忍ぶほどの備えをすることもできなくて。
それほど私たちはちっぽけで、せいぜい、「ほらね」と得意げに見栄を張る程度のことしかできないのだ。
物理の世界では、波と波とが干渉しあう。
これは私たち人間の間でもそうで、お互いの感情がシンクロするとか、良いところを消しあうといったような関係性に、各人がもつ波の固有振動数みを感じる。
でも、この世界がはらむ不思議な傾向、つまり物事の循環性というかサイクルというか周期性に、私たち人間ひとりひとりの力が作用しえることなんて、ほとんどなくって。
流れに身を任せるとか、ビッグウェーブに乗っていくとか。
大きな力に抗うにはつくづく無力な波だよな~。
だから私は、そろそろ大変なことになりそ~~となんとなく予感しつつも、ドタバタ取り乱すこともせず、まったりと過ぎ行く景色を楽しむんだ。
流れるプールで浮き輪にぷかぷか浮かんでうとうとするみたいにね。
せめて、身をゆだねる波を取り違えないようにしましょうね。
今日より明日がどうとか言ってる内に今日は去って
荒波に毎日を非日常へ流さないで
ー『aranami』/ tacicaー
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