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ニーズとイデアの間で

デザイン史の勉強をしていて、作り手と使い手の距離が縮まってきているなぁと感じる。

デザインする側の目的は、受け取り手のニーズや価値観を重要視している。おしゃれや美しいやかっこいいの規準はいまや形骸化していて、一種の標準みたいなものすらある。いわゆる流行とか風潮とか。

作り手であるデザイナーももちろん使い手でもあって、使いやすさとか機能性とかは絶対に外せない要素だよね。
自分が実際に使うケースを想定して、その時の問題を解決するようにデザインは行われる。

作り手と使い手の距離感の変化は、目的だけじゃなくて方法の点でも。

かつては特別な教育を受けたり、師弟関係を結んだ徒弟制度のもとで工芸とか設計とかのデザインは行われていました。芸術家とか職人とかをイメージしたら、本当に一握りの専門的な人がモノを作っていたんだよね。

でもいまでは、美大に行かなくても、PhotoshopとかIllustratorのツールを使えば、いつでもだれでも複雑なデザインができる。技術の進歩はすごいや。

☆☆☆

じゃあ、この現状は良いのやら悪いのやら。

まず、良い点について。

誰もがクリエイターだから、この世界は、綺麗で便利なもので溢れかえる。
放っとけば誰かが"なんか良い"ものを作ってくれるし、それらの作品を無限に"いいね"することができる。退屈しのぎにはもってこいだ。

次に、良い点と言えるか怪しい点。

それは、創造性・独創性の欠落なんじゃないかな。

色んなツールで簡単にデザインされる作品の多くは、教科書通りにあしらわれた"美しい"だったり、いつまでもコピーやオマージュの組み合わせで構成される"おしゃれ"に身を包んでいて。

かつては個人のイデアに基づいた芸術に端を欲しているデザインだけど、使い手を意識しすぎるあまり、「おしゃれだと思ってもらうには・・・」とか「いいねがたくさんつくには・・・」みたいに、最大公約数的な大衆に迎合した見てくれになっちゃうのが多いよね。


僕は、人に優しく、思いやりをもち続けたいという動機から、UX/UIデザインに従事するけど、他人のために全霊をかけることは、一方で個の創造性・独創性が幾分埋没してしまうことなんじゃないかと、少し不安に思っちゃった。

個人的なイデアが摩耗して、デザイナーという匿名の記号になってしまわないように気を付けないとなぁと考えながら、今日も研究は進みませんでした。

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