日本人らしさ 2
それでも敢えて「日本人らしさ」とはなんなのか挙げるとするならば、「奥ゆかしさ」だと私は思います。
「日本人は個より集団を大切にしている」というのは常識に近い程、広く伝わっていることだと思います。これを肯定するとしたら、「奥ゆかしさ」を持ち合わせていると幾分か日本で生きやすいのかもしれないですね。
長ったらしい前置きから始まって、湾曲的に、モヤっと伝える。
この自分の文章こそ「日本人」らしいんじゃないの?!
と今気付いたので、急いでこれを書いています。
先日の私のような「湾曲的」な伝え方は、相手に考える余地を残す効果があります。それによって、「相手はこう思ってるのかもしれない」という考え方をすることに私達は慣れていると思います。「集団」に属しているという意識が高い日本では、そういう考えができた方がやっぱり生きやすいのでしょう。衝突嫌いだし。他人に合わせてた方が楽だし。出る杭は打たれるし。
その一方で、「一直線」な伝え方は、自分はこうであるというのを分かりやすく伝える効果があるので、「相手はこう思っているのか。自分は賛成か否か。」を聞き出して、活発な意見交換を産みます。「個人」を大切にするという意識が高い外国では、互いを尊重するために差別を徹底的になくしていく流れが強まったと言えるのではないでしょうか。
((※一口に外国といっても色々ありますね。
もっと勉強します。))
将来 日本語教師を目指す人間として、このような「日本的」な考えと「外国的」な考えが両方持てる人間でありたいものです。
そういった立場の目線から、身の回りの人から(自分もよく言ってた)よく耳にする「外国のこういう文化本当に素敵だよな〜」や「日本のこういう文化って本当に嫌だよな〜」を改めて考えてみると、
自分に合ってると思った方に合わせればいいよね。「文化相対主義」なんだから。
と思う反面、
グローバル化によって日本の国民性はどのように変化したのだろう。
という疑問が残りました。
「言語」と「人間の心理」の関係性を突き詰めていくと、こんなにも視野が広がって楽しいものなのですね。
考え慣れしていないせいか、頭がショートしそうです。寝ます。
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