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『アンネの日記』に憧れていた、話。

中学校の図書館で出会った本『アンネの日記』を、何度も借りて読んでいた時の事を思い出します。
第二次世界大戦の中、ユダヤ人であるが故に隠れて暮らさなければならなくなった少女が「日記」を友として、素直な心の内を打ち明けていたのを出版した本です。

日記帳が、書く事が「親友」だったアンネ

アンネは、誕生日プレゼントとして贈られた日記帳に「架空の友人キティへの手紙」として日記を書き始めます。
「キティ」に読まれる事を意識して書かれる文章は、時にユーモラスで、時に感情をあらわにし、そして時に内緒話のように特別な想いを語るのです。

アンネの夢は、ジャーナリストになる事。
「死んでからも生き続ける事」。
その夢は果たされませんでしたが、『アンネの日記』が読み継がれる限り彼女は「死んでからも生き続ける」事が出来ているのかも知れません。

私のアンネへの憧れ

日記を書いていた当時のアンネと同世代の時に本を読んだせいか、私はアンネに、アンネの支えだった「文章を書く事」に憧れを持つようになりました。

(今思えば、私が二次創作とは言え小説のようなものを書き始めたのも中学時代でしたね……。書く事自体は嫌いではなかったし、空想や妄想も好きでした)

アンネを見習い、架空の友人に宛てるような文体の日記に挑戦しようとした事もあります。
「友人」の名前をつける段階で挫折しましたが。日本語の名前だと誰かとかぶるかも知れないし、変な照れがあって。外国語の名前だったら続いたのかな。

今こうしてインターネット上で何かを書く事を続けているのは、もしかしたらあの時の延長なのかも知れません。

思春期と言う特別な時期

アンネが日記をプレゼントされたのは13歳の時で、丁度ティーンエイジャーと呼ばれる年齢でした。
ティーンエイジャーは今の日本だと中学生から高校生の時期で、第二次性徴も起こり、心身共に大人へ近付くため周りの人々に対する感じ方も変わって反抗したりもします。

戦争を生き延びた父親がアンネの書いていた日記を読んだ時、家族への反発や性に関する事が包み隠さず書かれていたのにショックを受けた、と言うエピソードがあるそうです。
そのため、初版は父親によって修正され削られた部分がありました。
(現在は日記の完全版や、他にアンネが書いていた文章をまとめた本も出版されているそうなので、手に入れたいと思っているところです)

迫害から逃れるためとは言え、思春期の女の子がプライベートスペースもない空間で家族などと四六時中顔を合わせているのですから、苛つきもするでしょう。
そして、同じように匿われていて一番近くにいた男の子に恋心や性的な関心のようなものを抱(いだ)くのも、アンネにとっては自然な事だったのかも知れません。

愚痴も素直な気持ちも受け入れてくれる日記帳「キティ」は、変わって行く自らを独りで見つめていたアンネにとって大きな支えだったのだと思います。

日記帳だったからこそ受け継がれるもの

アンネが亡くなってから80年近くが経とうとしています。長い年月の間、私を含めどれだけの少女(と女性)が『アンネの日記』を読んだのか、彼女に影響されて何かを書き始めたのか。

その理由はきっと、1人の少女が心の内を吐露した「日記」だったからに違いありません。

アンネ自身は将来、日記などを出版する事を望んでおり改稿したものも遺してあったと言います。
それでも、アンネの書きたかった事の根本は変わっていないのです。

誰かに見せるつもりで書いてはいないけれど、その中に自らの全てが詰まっていて「いつか誰かに読んで貰えたら」とも思えるもの。
日記帳に独りで綴っていたからこそ、アンネはそんな日記が書けたのだろうと想像するのです。

一番新しい『アンネの日記』の単行本はこちら↓のよう。

私が手にした古い本は、今でもあの中学校の図書館にあるでしょうか。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

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