徳島→スタンフォード→
日本の田舎からアメリカの一流大学に合格した高校生の物語。
素晴らしいサクセスストーリーのはずが大炎上。
なぜこうなったのでしょうか。
https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1524962994148347904より
「貧困層から貧困を奪う」という着眼点は面白いです。全然思いつかなかった。
僕はもう少しシンプルに考えています。この本の炎上ポイントは
忘恩
だと思っています。
◆
味方無し、お金なし、英語力無し。
この三つのワードの内、味方無しとお金無しはペアで、英語力無しはこの二つとは色合いが違います。
英語力無し、は筆者個人の問題ですが、味方無し、お金無しは第三者が関わるという点で大きく異なる。
というかですね、そもそも論として本当に、お金なし、味方無しで、高校生が日本からスタンフォードに行けるはずないでしょう。
味方はいたはずだし、お金だってあったわけです。
そして別にそれは悪いことでも何でもない。
生まれた環境は違っていて恵まれていたり、そうでなかったりします。それは本人になんの責任もないし、その環境を活かしても何の問題も無い。
英語力無し、は誇大表現であったとしてもあくまでささやかな嘘とかに留まります。
でも味方無し、お金無しは彼女のために労力やお金を出してくれた第三者を貶めることになるわけです。
ここが大きく違う。
百歩譲ってお金を出した親は子に対する義務があったと言えるかもしれません。だからお金無しはギリギリで許容できるかもしれない。
でも、この人のために恐らく膨大な労力を割いた周囲の関係者に対して、味方無しと言い放つ。
恩を忘れたどころか、後ろ足で砂を掛けるような振舞は、忘恩の輩と謗られても仕方ないでしょう。
炎上した結果、この人は被害者のように見られています。
若き才能が妬みによる誹謗中傷を受けて、不当に潰されそうになっている、こんな感じでしょうか。
しかし、もし炎上しなかったらどうでしょうか。
お金無し、味方無しの逆境の中、徳島からスタンフォードへ行った、若き才能の美しいサクセスストーリーは事実として世に受け入れられます。
そして、この人のために労力やお金を費やした親御さんや関係者は、自分たちのしたことを無かったことにされる。
そればかりか、若き才能の躍動に協力するどころか妨げようとした旧弊な連中というレッテルを張られるわけです。
彼らはそれを見てどう思うでしょうか。
この人の気持ちを考えるついでに、彼らの気持ちも考えてみませんか。
この人の夢のために、親は恐らく安からぬお金を投じ、周囲の関係者は有形無形のサポートをして、ついにその人は夢をかなえた。
そのエンディングに、私にはお金は無かった、味方は居なかったと言い放たれたらどう思うでしょうか。
もし、この「逆境」からの大逆転が世に認知されたら、きっと彼等、彼女らにそれを主張する場は与えられないでしょう。
(https://twitter.com/aya_harvard/status/1524699973253804032より引用)
本人の努力や能力に疑う余地はありません。達成した結果も偉大です。
しかし、徳島からスタンフォードへ、という偉業を成した(周囲の多大な協力があったとしても偉業だと思う)としても、周りを貶めていい道理はありません。
そして、周囲がその汚名を受け入れる理由もありません。
感謝の欠如。露骨な忘恩。
これこそが今回の炎上ポイントだと僕は思います。
◆
というか、この話の最大の謎は、なぜお金無し、味方無しという文脈の本を書いたのか、という点につきます。
少し考えてみて下さい。
日本からスタンフォードに進学って普通に考えてそれだけで十分に偉業なんですよ。金と周囲のサポートがあればできるわけじゃない。
僕は地方の進学校に居ましたが(一応県下2位)、そこの同級生が、俺はスタンフォードに行くから!と言って本当に夢を叶えたらマジで尊敬したでしょう。
たとえ親が医者で金銭面の不安がなく、学校の先生がその為に色々とサポートしても、最後は自分の努力と実力がないと壁は破れませんからね。
このサクセスストーリーに、お金無し、味方無しという「逆境」の文脈、協力してくれた他者を貶める忘恩の文脈は全く必要なかった。
徳島の進学校に通う高校生がスタンフォードを目指す。英語力無しからの挑戦!
とんでもなく高い壁、でもそれを正面突破しようとする強い気持ちに周りも動かされる。
本人の努力と周りのサポートもあり、ついにその壁を打ち破った!おめでとう、貴方!ありがとう、みんな!若き才能の飛躍だ、やったぜ!
……これでいいじゃないですか。十分なサクセスストーリーですよ。
なぜこうしなかったのか。
◆
この文脈を当人が望んだなら。
つまり本当に自分は金無し、味方無しと思っていたのなら、炎上は残当です。今回炎上しなくてもいずれ同じことになったと思います。
他人からの助力を恩義として認識できない人は、どういう形であれ何処かでしっぺ返しを食らいます。
学生ならギリギリ子供だからと大目に見てもらえますが、社会に出たり、同級生とか同格の間ではそうはいかない。
そして、もしこの文脈は、売らんかなのための出版社の演出なら、炎上の原因は出版社に在ります。
出版社はこの人を守るために全力を尽くすべきでしょう。高校生を矢面に立たせるなんて言語道断です。
◆
名を成す奴には、影に山ほど支えがいる。
お前は活躍し金を掴んだ。でもそれだけだ。
エニィ・ギブン・サンデーという映画で、引退寸前のベテランが、ちょっと活躍して一躍時の人になり傍若無人に振舞う若手に言うセリフです。
支えてくれる人への感謝をこの人は持っていたでしょうか?
……ていうか、この炎上、日本の陰湿性がとか出る杭を打つ国民性とか言われてますけど、アメリカで同じことやっても恐らく猛反発されると思うんですけどね。
アメリカの演説とか見てると、周囲への感謝が無いタイプへの反発はアメリカの方が強い気がする(個人の感想です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?