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「今度の8月で家賃更新となります。」


家賃更新の知らせが来た。この部屋に住んで、この街に来て、間もなく2年が経とうとしていた。

「つきましては、6月○日までに更新の可否をご連絡ください」

今住んでいるのは上京して2軒目の部屋だった。
探していた当初の条件は
・前よりも駅近
・部屋のグレードは維持
・広さは前の部屋より+1畳以上
・職場には電車で楽に通える距離
・落ち着いた街の雰囲気
で、当時は特段こだわってはいないつもりだったけれど、今整理してみるとそれなりのこだわりがあったようにも思う。

それでも、この部屋に決めた時の私は、ただ「引っ越し」をしたかった。
この街でこの部屋で「暮らす」ということをイメージすることよりも、「引っ越し」というものを経験したかった。田舎からでてきた上京人の小さな憧れの一つにすぎなかったんだろう。

結果、この街に引っ越した後も、ただ家と駅と職場を往復するだけの生活は変わらなかった。
・家賃が高い
・帰りがけにスーパーがない
・荷物が増えすぎて結局部屋は狭い
・近くに美味しいパン屋さんがない
こんな小さな不満ばかりが目立つほどには自分の住む街に愛着などなかった。自分の家がある、すなわち「安心してご飯を食べて寝ることができる場所が確保されている」くらいの価値だった。私はいつだって実家の窓から見える緑が恋しくて仕方なかった。


更新の知らせを受け取ったのがもうあと半年早かったら、私は迷いもなくその場で電話一本「更新しません」と連絡していたに違いない。



4月。生活が一変した。

私の暮らしにもコロナの影響があった。

私はある意味、この街に閉じ込められることになった。


4月に緊急事態宣言が発令されると世間は一気に「ステイホーム」になって、私も間も無くリモートワークになった。
家から出ない異色な生活が始まった。

今までの私は土日になればひたすら買い物や映画などの娯楽に浸るアウトドアな生活が中心で、そんな貴重な土日に一日中家なんぞいることは、もはや”もったいないこと”だと思っていた。
やむなく家やその周辺にいることを強いられる生活になり、私は仕方なしに家の周りを散歩を始めることにした。

すると(ありがちな話だが)自分の住む場所の周りにももちろん素敵な場所はいくらでもあった。

少し先に歩くとある川辺がとても気持ちいいこと。
そこでテイクアウトしてきたモスバーガーを食べるのがめちゃくちゃ美味しいこと。

窓を開ける習慣なんてなかったけれど、自分の部屋にも実は気持ちのいい風と陽が入ってくること。
そんな日の昼下がりに家の中で運動したあとの三ツ矢サイダーがめちゃくちゃ美味しいこと。

家の風呂の設備が実は良かったこと。
今までシャワー生活で、今年になってお風呂に浸かる生活に切り替えたけれど、追い焚きもできる、保温もしてくれる、つよつよ仕様な我が家のお風呂設備を1年半越しに知れたこと。

免許証を近くのコンビニのコピー機に忘れたのにずっと保管してくださっていたこと。
無くして半月後に気付く私みたいなアホにも、よかったですねって店員さんが優しく返してくださったこと。(女神のようだったなぁ)

近くに実は小さなカフェ屋さんを見つけて、宣言が解除するまで毎日開くことを楽しみにしていたこと。
解除後に嬉しくてすぐに訪れて、そこで入れてくれたコーヒーがとっても美味しかったこと。
そして上京して初めて店員さんと「顔なじみ」のお店ができたこと。

4月から2ヶ月が経ち、気づいたら私はこの街で”暮らし”ていた。
この部屋とこの街にいることを楽しんでいる自分に気づいてしまったのだ。



上京して1軒目に選んだ街も、今思えばとてもいい街だった。

内見を一緒に回ってくれたお父さんも、一緒に引っ越しを手伝ってくれたお母さんも叔母さんも「なんだかうちの地元に似ているね」と最寄駅につくとすぐそう呟いた。私もその街の雰囲気が気に入ったことが決め手だった。

新卒1年目の生活は、ハードだった。上京して間も無く社会人生活が始まって、なれない土地で初めて一人暮らしをする。毎日23時ごろにフラフラになりながらも徒歩20分の家までの道のりを歩く。1日頑張るぞ、と気合いを入れるのにも、悔しかったなとかつらいな、と1日の反省をするのにも十分すぎるほどの距離だった。

そんな忙殺された生活は私には長続きがせず、やがて私は転職した。それを機にこの街を出ようと決意した。
駅と家の間の長い道のりは、正直色々なものを思い出してしまいあまりいい気分にならなかったからだ。

引っ越す直前、前職で仲よかった先輩が最寄駅まで遊びにきてくれた。
帰り際に、先輩は駅前の雰囲気を見ながら
「そっかあ、この場所で頑張ろうと思ったんやね、あなたは」
と呟いた。
私はその時何も言い返せなかった。頷くこともできなかった。
私もこの街を見つけた時は間違いなくそう思っていたのだ。でも今の自分はこの場所から逃げるように去っていく。胸を張って「この場所で頑張った」って言えるのだろうか、そんなことを考えながら帰路に着いた。



そんな日からもまもなく2年がたつ。
今の私は、今住む場所で頑張れているのだろうか。
自分なりに暮らすことができているのだろうか。

きっと少なくとも前の街の時よりは自分らしく頑張れているだろうし、この街にもようやく馴染むことができるようになった。
暮らしやすさなんて最初からわかるものでもないし、条件全ていい場所なんてごくごくわずかだろうし。
少しずつ時間をかけてでも自分なりの暮らしを作っていけるのならそれでいいのだと思う。どんなに落ち着いたところでも都会のど真ん中でなくても、
「私の居場所がある」って胸を張って言える場所があるならその時点でゆたかな暮らしができているはず、と今なら思う。
「ここが私のアナザースカイ!」とかいつか言ってみたい。(いや、やっぱはずいな)



この間、ブルーインパルスが私の街の上にも飛んでいった。
あの日、みんな同じ方向に向かって歩いていって、
おんなじ場所でおんなじ方向を見上げて、おおお〜って声を出して。
なんだか久々に嬉しかった。ほっとした。
見ず知らずの近所のおじさんおばさん、子どもたちと一緒に同じ時間を楽しめたことだけでも素敵な思い出だった。


東京には緑がないかもしれないけれど、その代わり、ビルの合間に見える空が飛び抜けて蒼く綺麗なことも、この街で初めて知ることができた。

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私はやっぱり、もう2年この街にお世話になることにする。

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