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慈愛とは。してもらえなかったことを、してほしかったことを、差し出していくことなのかも。

※この文章は2019年の12月24日にメルマガで書いたものを転載しています。
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最近は、親方とけんかすることもほぼなく、
思い込みとかブロックとか、過去の出来事の反射反応はだいぶなくなってきたとは思うのですが、、、


小学校に上がった娘とはたびたび衝突してしまいます。


というのも、昔のわたしそーーーっくりな部分がちょいちょいあるからなんです。
先日個人面談で先生に言われたところも、わたしが心配しているところと同じだったし


どうしても、幼いわたしを投影してしまう。


娘がどうしてそうなってしまうのかも、わかるのに


心配になって、あれこれ過保護になりすぎて
ぜんぜん聞いてない娘にめっちゃ腹が立って怒って。


わたし一人空回りしています。


さっき、めっちゃ親方に指摘されて。


すごい無意識に母親とのことをかぶせてました。

最近田丸家の講座やセッションでは


敬意を払う とか 慈愛  という言葉がテーマになっているんですが
まさにそこで。

わたしは自分がしてほしかったことやしてもらえなかったことを
娘にしていくのだよね、と親方と話していました。


してもらえなかった人にしか理解できないことがあるのです。
もらえなかったものにしか知らない世界があるのです。

それを拗ねるのでもなく、見返りを求めるのでもなく
ただ差し出すことができるなら。


それこそが慈愛なんじゃないかとおもうのです。
  


キリストは愛を説き、仏陀は慈愛を説いたといわれています。

わたし自身は、ずっと過去の亡霊から逃れることができませんでした。
満たさせなかった気持ちや、悲しみや、言えることのない感情が
ずっと私を追いかけてきていました。

わたしが、弱者で被害者でいる限り、それはずっと続きました。


感情は、エネルギーです。
くすぶったり、暴れたり、抑え込んだりすれば
生きること自体に影を落とします。


上手くいかない、ずっと苦しい
ひとりぼっち・・・・

でも、それは終わらせることができます。


少なくともわたしは、今そこに苦しむことはなくなりました。


かならず終わります。


そして、今度はあなたが愛する側に、慈愛を送る側になるのです。


そこで見る景色は、あなたが一番望んでいた景色そのものなんじゃないかなと
そうおもうのです。


そんな感じです。


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2020年12月24日のわたしは、これを読んで少し懐かしい気持ちになりました。

さらに感情を揺さぶられることも少なくなって、
わたしはあの頃なりたいと思った自分に、そうありたいと願った姿に
今なっているんじゃないかなと思えたからです。


娘はいつまでサンタを信じてくれるのでしょうか?
今年はまだわたしと親方が送る側です。

いつも読んでくださってありがとうございます♡