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2022年上半期のとてもよかった小説 10冊選んでみた

 ごきげんよう、あわいゆきです。

 月日が経つのは早いもので、いよいよ2022年も折り返しみたいです。
 一区切りということで、今回は上半期に発表された小説のなかから、かなりよかったものを10作選ぼうと思います。

対象作
・2021年12月~2022年5月に刊行・掲載された小説
・シリーズものは上記期間内に「1巻」が刊行された作品に限る
・刊行タイミングで既読だった小説は省く(例 : 遠野遥『教育』など)


 とはいえ直木賞と芥川賞の予想noteも書きたく、あいにく時間は有限です。
 堅苦しい文言をつらねていると肩が凝ってしまうので、今回はいつもと違うかたちで感想を書いてみました。


高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」(『群像』2022年1月号)

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 味覚音痴の私は毎日ラーメンとマクドで生きているので、いまもマクドフライドおいもさんを食べながらこの文章を打ち込んでいます。食べ物に対してそこまでこだわりがないため、飲み会の場で「おいしいね~っ」って言われても「おっ、そうだな……」と一歩引いてしまいがち。
 その「おいしい」空気を強要されているような、ささいな違和感を明確に言語化してくれたのがこの小説でした。全編通してうんうんわかるよ……って頷きにあふれています。会社につとめる登場人物たちも一癖二癖あって、だれにムカついてだれに共感したかで言い争いに発展することもあるとかないとか。

 ちなみに私は要領の悪い「芦川さん」に共感を抱きがちで、これはわりと少数派。芦川さんについてTLで「職場にこういう人いるけどマジでイライラする」って言われてるのを見るたびにこっそり凹んでます。芦川さんみたいなケアすることでケアされないと社会に適応できないひと、すごく危なっかしいんだけど、少なくとも私だけは否定したくない。その弱さは強さにもなるし、守られるべきなのかはわからないけれど、根本的なところで弱さであることには変わりないはず。
 それはともかくこの小説、お仕事、お料理、お恋愛、いろんな視点から「空気」を切り取っているのでかなり楽しい作品です。どのジャンルとしても読めます。文章も読みやすくてそれほど長くないので、ぜひ。

 ゆるふわ料理エッセイを騙った装丁は普通に詐欺だと思うんですが、見ているうちに不穏なきもちになってくるのですごいと思います。


年森瑛「N/A」(『文學界』2022年5月号掲載)

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 普段から新刊ばかり読んでいるのもあって作品を読むときに「新しさ」を求めがちで、そのなかでもひと際輝いていたのがこの小説。「N/A」。〈何にも属していない〉って意味のフレーズ。
 新しさって一口に言っても色々あるけれど、この作品の場合は「現代社会」の汲み取り方が最先端に立ったものでした。人をなにかにカテゴライズする / される ことの暴力。「個人」ではなく「集団」に属してしまうことの楽さ。そして現代社会に抗おうと「個人」であろうとする行為自体の限界。
 いざ言葉でまとめようとすると難しいテーマを、女子高生のまどかははっきりと語ってくれます。あらゆる切り口で、言葉の海をけんめいにもがきながら。
 だから、たとえまどかが物語の世界で「個」の限界を迎えてしまったとしても、この小説に宿された唯一無二の言葉たちが現実の希望につながっていました。「ああそうだ」と気付きを与えてくれること自体に、物語としての大きな意義があるのです。
 
 あらゆる問題提起を抱えながらも物語として破綻していないのは「伝えたいこと」が一貫していたからだと思います。そして伝えたいことを正確にすくいあげることで、時代を一歩先に進めようとしていました。
 だから私の区分ではたとえば朝井リョウさんの『正欲』みたいな、時代の一歩先を描いている作品だよなと思っています。『正欲』の価値観に揺さぶられた人はぜひ読んでみてほしいです。


島口大樹「遠い指先が触れて」(『群像』2022年6月号掲載)

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 人間である以上は好きなものも千差万別で、琴線に触れるポイントだってばらばらです。たとえば文体とかユーモアセンスとか、あるいは作者がこめているテーマの一貫性とか。
 それを踏まえたときに島口さんは私の「好き」すべてに合致している作家さんなのだと思います。

 三作目となる「遠い指先が触れて」も例にもれず、私の好きがいっぱい詰まった作品でした。指の欠けた男性のもとに女性があらわれて「記憶を奪われているの」と告げる。この時点ですごくワクワクします。そして二人の仲が進展していくドラマ、人称が溶け合っていく語りの心地よさ、過去と現在にまつわる思索、年相応の幼さを残した会話。すべてが心地よくて、読んでいてとても面白かったです。

 ただこの作品、客観的な視点を交えて作品を見ていくと、ストーリー面で無視できない欠陥を抱えています。いきなり登場する謎組織、記憶を抜き取られる舞台装置、そして終盤で明かされるあれやこれ。かなり都合がよく、テーマのためにとってつけたような物語が用意されている印象が否めません。それにどれもパワプロクンポケットで見たが――?というか00年代の恋愛ADVにありがちな展開がてんこもりで、とても既視感があります。
 でも、だからといって個人的な「好き」まで流されてはいけないのだとは思います。そもそもこの手の展開がかなり好みな私は、たとえ既視感のある物語でも非常に面白く読めました。

 ふだん感想を書いていると、主観的な好みと客観性を交えた評価の境界線を見失いそうになります。個人的には両方の感性も大切にしたうえで、どちらかに過剰にならないようにしていきたいです。そのうえで好きなものは堂々と好きだと言えるようになれればすてきだな、とは思います。私はこの作品、好きです。
 ただ、好きだからこそ、もっといい作品を読めるのも期待しています。

 なお、島口さんの作品だと「遠い指先が触れて」はテーマがわかりやすくストーリーも明確。読みやすさはピカイチです。まだ読んだことがない方はこの作品から入ってみてもいいかもしれません。


蝉谷めぐ実『おんなの女房』(KADOKAWA)

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 私は小説を読み終わると9割以上の作品に対して、「いいもの読んだなあ」とにこにこしています。それと同時に、9割以上の作品に対して「ここがもっとこうだったらなあ」とも思います。
「ここがこうだったらなあ」はひとつとは限りません。たとえば構成だったり動機だったり現代性への配慮だったり。はっきり瑕疵だなあと思うものもあれば、個人的な感覚にのっとった言いがかりにしかならないものもあります。
 ただなんにせよ、なんらかの「こうだったらなあ」を抱いたことは間違いなくて、それはある種、小説という媒体に期待をしているがゆえの願望なのかもしれません。
 ただその一方で「ここがこうだったらなあ」と願望を抱かせすらしてくれない作品がごくまれにあります。無駄なく完成されきった作品と、期待するのをあきらめてしまった作品です。

 私にとって『おんなの女房』は、前者に該当する作品でした。武家の娘である志乃が女形に嫁ぐことではじまる物語は、余計な願望を抱かせる一縷の隙すらも与えません。現代まではっきりと見据えたテーマ、魅力のあるキャラクター、なにひとつ無駄のない展開。饒舌な語りで引き込まれるように進んでいって、気付いたらラストの志乃のすがたに胸をうたれています。
 ただただ圧倒されていたら読み終わっていた。その事実に茫然とし、恍惚とします。

 上半期読んだなかでもっとも素晴らしかった、と言える作品でした。


河﨑秋子『絞め殺しの樹』(小学館)

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 私は小説を読んで泣いたことがありません。……なんて書くといやいや自虐風自慢か?と邪推されそうですが、決してそうではありません。読書をしていて感情を揺さぶられるのは毎日のようにあって、涙を流すことだけが感情の発露とは限らないでしょう。

 現に私は『絞め殺しの樹』を読んでいるあいだ、おんぼろの船にのってひどい嵐に遭っているときみたいに、感情のぐらぐらが止まりませんでした。昭和時代、北海道の親戚に引き取られたミサエが味わう苦難のかずかずは、海を越えて時代を超えて、胸につきささってきます。読んでいてひたすらにくるしい。そしてくるしさこそが読み進める原動力になっている、おそろしさ。おぼれるような読書体験です。
 そしてミサエの逃れられない過酷な運命は、読者と息子へ引き継がれます。彼が最後に出した結論には、人生を背負うことに対する覚悟を感じました。

 読んでいてひたすらくるしいので、人に勧めるのも少し難しい作品です。読むのにも覚悟が必要だと思います。  
 ただ、相応の「壮絶」さを宿した作品であることは約束します。


春暮康一『法治の獣』(ハヤカワ文庫JA)

 宇宙を舞台にした国産のハードSFが減って久しい、と口にするといやいや待ってほしい。最近もあれやこれみたいな大作がいくつもあるじゃないか、と言われそうです。ただ新人作家で理論を突き詰めた宇宙SFを描いているひとは、かなり減っているように感じます。

 そんな時代にあらがおうとしているのが春暮康一さんです。本作は4年前にデビューした氏の二冊目。収録されている中篇三作はいずれも宇宙が舞台となっており、ごりっごりの知識で構築された重厚な世界観が、ページをめくれば広がっていました。
 特に未知の生命体の〈社会性〉に注目しているのが、とてもよかったと思います。未知の生命体の社会の営みには、彼らなりの生き抜くすべが存在している。その切実な生きざまを突きつけることで、理解できない生命体が身近な存在に感じられました。
 また、異種生命体と人間の距離を近づけることで、二種のあいだにあった境界線はとけていきます。どれだけ発展していても宇宙の前には同じ生命でしかなく、知性の下に彼らを侵犯するのは、あまりに傲慢ではないのか。まだ見ぬ存在を見据えた問いかけは、より普遍的なものへ、現代の地球を生きる私たちの問題につながっていました。

 まだ見果てぬ宇宙に広がっているワクワクを味わせながら、現代を生きる私たちの生き方を問いかける、王道のハードSFです。どの中篇もよくできているのも、面白さに拍車をかけていました。


如月かずさ『スペシャルQトなぼくら』(講談社)


 読み終わったとき、「こんなアプローチがあるのか」と思わずため息をつきました。そして「こんなアプローチをしていいのか」とも。この作品で示されている「寄り添い方」はそれほどに斬新で、誠実だったのです。

『スペシャルQトなぼくら』最大の特徴は、「大人が登場しないところ」にあります。

 これだけきくと、「大人が登場しない作品なんてたくさんあるじゃん」となるでしょう。しかし、この作品の場合は事情が異なります。
『スペシャルQトなぼくら』は、中学生の男の子がLGBTQ+の「Q」(クエスチョニング)の同級生と知り合うところから始まります。かわいい服を好きなままに身に着ける彼に感化されて、主人公も、子どものころに好きだった「キュートなもの」を身に着けるようになります。

 こうしたマイノリティをテーマにする場合、一世代上の大人は古い価値観の象徴として登場することが多いです。そして古い価値観と対立させることで、新しい価値観を理解させようとするパターンがほとんどでした。児童文学だとなおさらでしょう。

 でも、この物語は価値観を理解させる方向に話を進めません。相手を認めたうえでどう寄り添っていくか、そして自分らしさをどこまで追求していくか。その二点をひたすら誠実に描き、あくまでもふたりの関係を描くことに焦点を絞っています。
 また、中盤以降はアセクシャルを絡めた恋愛感情の有無につながり、「感情を一方的に抱いてしまう」加害に触れていきます。その際、児童文学としての目配せも隅々まで行き渡っていました。最初から最後まで、テーマに対する誠実さであふれています。

 いつだったか、「児童文学に大人(親)との関係は必要不可欠」と聞きました。あえて大人を登場させないことで対立を省き、寄り添いかたを模索していく姿勢にはほんとうに、おどろかされました。
 価値観の対立によって読者に思想を理解させる時代は終わった。それを強く感じさせる一冊です。


七都にい『ふたごチャレンジ!①』(角川つばさ文庫)


 誰も傷つけないで今日まで生きているひとは存在するのでしょうか。私たちは常に、誰かを無自覚に追い込んでいるような気がします。加害と被害は表裏一体で、いつも〈加害性〉は背後にまとわりついている。
 そんな〈加害性〉とも向き合いながら、社会にはびこる偏見に立ち向かっていくのがこの作品です。

 物語の主役は二人の双子、「絵をかくのがすき」な男の子のかえでと「サッカーで遊ぶのが好き」な女の子のあかね。二人は周りに押し付けられるフツウ(ジェンダーロール)から解放されるため、周りにナイショでお互いを入れ替えて学校に通うようになります。
 入れ替わりを楽しみながらフツウに立ち向かっていくのも、ひとつの反抗のかたちでしょう。でも、周りに嘘をついて性別を偽るのは、加害性をともなっている行為でもあります。それはほんとうに正しい反抗の仕方といえるのでしょうか?
 二人がそれに気付いて、別の方法で偏見に立ち向かおうとしていく展開はとても未来があってまぶしいです。被害者とされている側がふとした拍子に加害側に回っている、その危うさをていねいに描いて、その先を照らしています。
 もちろん児童文庫としてのエンタメ性も存分に発揮されています。キャラクターがワイワイしているのは読んでいてたのしいし、面白いです。

 二巻では「同調圧力」をテーマに、今度は双子が多数派にくみします。少数派への一方的な気遣いが価値観の押しつけにすり替わってしまう「加害性」に触れており、こちらもよくできているのでぜひ。
 本を読む楽しさをあたえながら問題にも深く切り込んでいく、現代の最先端をひた走っている新シリーズです。


日日綴郎『青のアウトライン』(富士見ファンタジア文庫)


 作品の感想を書くとき、よく「熱量」という言葉が使われているのを目にします。私もけっこう使います。そして簡単に使いながら、あいまいな感覚だよなあこれって、いつも首をかしげています。
 熱量とはなんでしょう。気概?執念?使命感? 思いついたフレーズを並べても、すべての小説には熱がこもっているような気がしてなりません。だからきっと度合いの問題です。「熱量」のある作品には人を引き付けるなにかがある。そしてときに、膨大な熱量をたぎらせた作品は唯一無二の魅力をぎらぎらと輝かせます。
『青のアウトライン』は登場人物がぎらぎらと熱をはなって、まるで生きているかのようなエネルギーにあふれていました。

 この作品で描かれているのは、天才と凡人の相互不理解です。天才とされるヒロインに、凡人の主人公は嫉妬と憧憬を爆発寸前まで抱いています。そこに恋愛感情はありません。あるのはただ一途な執着。そしてヒロインの、誠心誠意をもって応えようとする力強さ。二人のあいだにある強固な信頼は、ラブコメに回収されない「男女の関係性」をものの見事に提示しています。

 物語が結末に向けて動いているとき、まだ終わってほしくない、と私は心から思いました。この世界にもっとひたっていたい。泥臭くあがいて前に進もうとする姿を、目に焼き付けたい。
 きっと、そうした物語世界の魅力が、「熱量」という言葉にあらわれているのだと思います。
 おさえきれない熱量――「もっと読んでいたい」と思わせる言語化できない引力を、最も強く感じた作品でした。


ふりかえり

 10作品思い浮かばなかったので、9作品になってしまいました……。タイトル詐欺じゃん。

 普段はある程度の客観性を持たせて感想を書くようにしているのですが、今回はわりと主観にも重きを置いたので、多少なりと違った形になっているような気はします。いや、大して変わってないかもしれません。
 どれも非常によくできたおすすめの作品なので、ぜひ読んでみてくださいね。

 それでは、ごきげんよう。


余談メモ : 上半期に読んだ対象外作品のなかでよかった小説
グレゴリー・ケズナジャット『鴨川ランナー』
川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』
空木春宵『感応グラン=ギニョル』
神田暁一郎『ただ制服を着てるだけ』
うさぎやすぽん『キミの青春、私のキスはいらないの?』
砂原浩太朗『黛家の兄弟』(本当はこの小説を10作品目にしようかと考えていたのですが、よくよく考えたらこれ一応シリーズものやんになりました)

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