旧中山道柏原宿〜滋賀県米原市
9月に入り、郡上おどり最後の夜を見届けて、いつものように琵琶湖へ向かいました。高速道路ばかり走っているのは退屈なので、僕が岐阜方面から滋賀県に向かうときは、いつも関ヶ原インターで下ります。ここから長浜市内まで、一般道で20kmほど。意外に近いのですよ。
今回も、紹介すべき「いいもの」をたくさん見てきましたが、その前に、途中で立ち寄った柏原宿にも予期せぬ発見が多かったので、先にそちらの話から進めます。
国境を越えるわくわく感と、寝物語。
今回は関ヶ原の古戦場には寄らず、旧中山道方面に向かいました。その道沿いに、おもしろい県境があると聞いたからです。
それが、ここです。
この溝は、古くから美濃国と近江国の国境であり、今もこうして県境となっているわけです。つまり、中部地方と近畿地方の境でもあります。
で、この標柱の向かい、狭い道を(とは言っても、これが旧中山道なのですが)はさんで反対側には、このような石碑が置かれていました。
かつて、この国境をはさんで、20数件の集落があったらしい。とは言えここには番所が置かれ、自由に国境を越えられなかった時代。それでも溝をはさんだ住民どうしが、夜、寝る前にお互いの国のようすを語り合った。そこから名付けられた里の名とのこと。いっそ地名にすればいいのに、と思う。きれいな名前だし、両県に同じ地名の集落がまたがっていたら、それだけで有名になりそう。
美濃と近江の竹を組み合わせた、寝物語という名の茶器もあったというくらいだから、ここは旧中山道時代の名所だったようですね。
今では21号線で関ヶ原を抜け、県境付近から分かれる右手の小さい脇道の踏切を渡ると(実はこの脇道が旧中山道)、工場の裏に、見落とされそうなほどひっそりと、この石碑が置かれています。
ここから柏原宿まで4km無かったと思う。のんびり歩いても、ちょうど心地よい距離でした。
そしてやって来ました柏原宿。
寝物語と柏原宿の間には東海道線の柏原駅があり、そこから歩いて数分で到着です。
この宿場には、皇女和宮が江戸に向かうときに滞在したという本陣跡があります。お供の数もかなりの数だったと思われますが、彼らが泊まれるほど賑やかな宿場町だったわけですね。
この造り酒屋の向かいあたりに、ただならぬ建物を見つけた。後で調べたところ、ここは『伊吹堂亀屋佐京商店』という、江戸時代初期から残る建物なのだった。かつてこの一帯は艾(もぐさ)の生産量日本一を誇っており、この店は今でも最後の一軒として艾を商っている、と。この日はたまたま定休日だったようです。惜しいことをしました。こんなわたしに、一度お灸をすえてほしかった。
『伊吹堂亀屋佐京商店』のウェブサイトがあったので、貼っておきましょう。なお、司馬遼太郎さんも『街道をゆく 近江散歩』の中で、柏原宿や、この商店について詳しく触れています。
かと言って、決して寂れているわけではない。
距離にして1kmほどの宿場町を往復していると、たしかに空き家や空き地が目立つ。とは言え、町家を利用した飲食店や喫茶店、あるいは柏原宿歴史館もある。決して寂れているわけではなく、新たな復活の兆しを感じる街、という印象を受けました。何より、立ち寄る価値は充分にあります。
以上です。
新幹線や高速道路が通ると、かつての在来線の沿線や宿場町が廃れて行く、という話はたびたび聞きます。佐賀県が長崎新幹線に反対した理由も、まさにそれだったはず。とは言えその流れが止められないのであれば、ワレワレ観光客の側から、わざわざ旧街道や在来線を辿る旅を選べばどうでしょうか。新幹線を引っ張ってきたり、高速道路を延ばしたり、それが地元の暮らしのためであればともかく、観光目的で、これ以上速さを競うことには何の意味も感じません。
多くの人にとって、東海道新幹線に乗れば名古屋の次は京都、なんて、あまりに乱暴です。新幹線で言えば、岐阜羽島、米原駅から始める岐阜〜滋賀〜福井の旅などは、歴史の上でも文化においても食においても、あまり経験のできない旅になるはず。とくに柏原宿のように、JRの駅からも近い宿場町には(去年の秋に寄り道した奈良井宿も駅が近かった)、大きな掘り出し物が隠れていそうです。これからは、旧中山道の宿場町もいろいろ回ってみようかな。
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