楽器を習う際の、いわゆる上達について

最近、面白いなぁと感じるので書き留めておきました。生徒さんから年賀状を頂き、その年の抱負として、上達したいですなどと講師である私に伝えてこられたりします。もちろん嬉しいことです。それは、ひと言添えるべき場に、習い事の先生に向けた一番当たり障りの無い言葉だと思いますから、どこまでの本気度であるか読み取ろうとするのは愚かでありつつも、本心からの願いがそこにあるのは間違いありません。その期待に応えられたらいいなぁと気持ちは改まります。

弦楽器の操作について、特に左手(右利きの場合の)は、指を1本ずつ独立して動かす必要が生じます。両手とも、全ての指をバラバラに使うであろうピアノよりは多少とも楽ではないかと想像しますが、私と同世代や、先輩の方々は一様に、それが難しいようです。

例えば、ウクレレで、そこは小指を使った方がいいですよ、といった指摘を、断固拒むようなシーン、そういうのはもう日常茶飯事です。楽器を弾き始めるまで、各指を別の動作に用いるなど普通は経験しませんから、もしかすると生まれてこの方、何十年も意識的に使ったことのない指があったかもしれません。でも、その時のそれを何指で押さえようが大差ないとしても、すぐまた同様のシーンが現れ、そこは中指、とか人差し指を寝かせて、とか必要な動きを指示されるわけです。

そのときそれがうまくいかなかった、という現象は理解できるけれど、私はそうはしたくないと、理由まで付けて宣言されるお気持ちは不思議だなと思います。

弾き方を説明しているのであって、体に無理がかかるような苦渋を強いているのではありません。考え方をお伝えしているにすぎず、今それができなくても、トライしていくうちに感覚が行き届くようになって、いつかできる、という日を目指しているのです。

ですから、続けているとできるようになりますよ、とお話しするのは、少なくとも、もう少し未来には小指が行くようにはなるでしょう、という意味なのでした。

意外に多くの方が口にされる、プロになりたいわけじゃないから、というエクスキューズは、笑ってしまいます。左手の指を任意に動かせることとプロ演奏家になることとは次元の異なる話であって、弾けるからプロになれる(食べていける)とか、習い続ければプロになれるとか、なんかそういうロジックが存在しているようで笑えるのです。成績優秀者だって就職試験で落とされることはあるでしょうに。

音楽は、ただその時を楽しめばいいのであって、部分的に弾けないところがあったってそれは可能だと思います。当然、そういう空気を一所懸命演出してるつもりではあるのですが、やっぱり指はバラバラに使えるように、そういう運動は、無理の無い範囲でしてもらうのですよね。必要なことですから。

1本ずつ指がコントロールできるようになったとしたら、それも上達と言えますから、うまくなりましたね、とか弾けるようになりましたね、と一緒に喜ぼうとしますが、当のご本人がまるで満足していないような顔をされるので、そこが一番難しいなと思います。本人が成長を自覚できないんですね。

1 曲のうちの難所を弾きこなせなくて、全然それでいいですよ、とお話しするのですが(代替案を提示することもあります)、けっこうストイックにそれでは嬉しくないみたいで、だったらちょっときついくらいに毎日自主練習したらいいのに、と思うのだけれど、決してそうはされないんですね(笑)。今年も多くの出会いを、楽しみの共有へと導ければ幸いです。


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