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11/20 群馬レポート


背筋バキバキ恋々です。こんばんは、今日も寒いですね。自宅はリビングに石油ストーブを出しました。シチューをことこと煮込んだり餅を焼く季節の到来ですね。


先週末に群馬に行ってきました。目的は犬と酒です。赤城山からの風がさぞかしつらかろうと厚着をしましたが、思いがけず日中は温かく良いお日柄でありました。

①犬

群馬県は前橋市にある世界の名犬牧場に行きました。ここにはたくさんの種類の犬が暮らし、病院ペットショップドッグラントリミングエステルームペットホテルなど、おおよそこの社会で犬と暮らすに必要なものが大体揃っています。

家その他の都合で犬を飼うことが出来ないのですが、犬という生き物のことは大好きなのと、犬と密接に触れ合いたいという理由で行きました。いわゆる触れ合いコーナーというのがあるのですが自分が予想するよりもはるかに犬と密接に触れ合うことができました。おやつがあれば媚びるという非常に打算的な関係が構築され、犬と暮らし犬と生きる日々を更に憧れさせる経験となりました。

追課金すればお犬さまとお散歩できるというのもあったのですが、私のお犬さまと触れ合うにあたっての経験不足等が祟りお犬さまに楽しんでいくことが叶わなかったのがとても残念でした。コミュニケーションがうまく通じないその瞬間には確実に「やっぱ人間は言語を介せるから最高やな!」という気持ちになれました。これからはもっと人間さまとも付き合っていきたいと思います。

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うまく散歩ができず挫折をかんじる恋々です


②酒

栃木県足利市のワイン醸造所「こころみ学園」では収穫祭というイベントが行われており、今回の群馬行の主目的はこちらでした。ワインの新酒が出来上がるこの時期に開催されるこちらは、摘み終わったワイン畑にシートを引き晴天の中とれたてのワインを飲めるというすてきイベントです。幸い天候に恵まれ、場所も斜面ではないほどほどの平面を確保でき、とれたての赤と白、あとなんか白ワインを飲むことができました。

行く前に下調べをしたのですが、ここは知的障がい者の自立支援施設を母体としており、全国的にもそこそこ有名で、ググってみても色んな記事に取り上げられています。

2014.12.19 【JA革命】第5回 知的障がい者の社会的自立を 栃木「こころみ学園」のあゆみから考える

私はこうゆう系の福祉にちょこっと…爪先ほど…関わっておりまして、興味深く拝見させていただきましたし、偶然とはいえこのような空間に赴くことが出来て良かったと思います。実際、広く開かれた葡萄畑の中で老若男女問わず楽しい時間を過ごしている様子は心地よく好ましく思えました。ワインめちゃ美味しいし。

つみたてのワインを飲んだのははじめてだったのですが、やはり熟成させているものに比べて口当たりが若いような気がし、心地よくべろべろになることができました。記念品にワイングラスがもらえるのですが帰り道の電車で叩き割ってしまったので持ち帰れませんでした。無念。

群馬はかれこれ数度行っておりますが魅力的なところが多いです。駅近に温泉があるし酒は美味いし温泉は楽しいし酒は美味いのでまた行きたいです。何が便利って群馬直通のバスが出ているんですよね。関西から群馬に行こうとしたら、新幹線なら東京から乗り換えなければいけなくて、それが非常に面倒だったのですが、今回往復高速バスでそこそこ気軽に行けることが判明したので、今後も積極的に使って行こうと思います。


有料部は最近好きコンテンツの話など。


前の前くらいの記事で作業用BGMにTRPGのセッションアーカイブを聞いているという話をしたかと思うのですが、チェッカー卓を聞いて各個人の配信に興味を持ったところでロマーヌスさん(旧石川さん)に惹かれました。

上:個人配信 下:講座用

とりあえず私が何この人面白い、と思ったファーストインパクトは、アーカイブを聞いている時に彼の作るキャラクターが一際異彩を放っていたからでした。実在人物の白黒写真を使用し、祖父の代から歴史を語りキャラクターを作り込み、しかもそれが奇想天外で、尚且つ饒舌にRPで演じ切る姿が格好良く、時々飛び出す知識造詣の深さに「何者なんじゃ?」と思った次第。ラテン語とギリシャ語を喋れる(ソースは曖昧ですがおそらく事実として)、ケンブリッジ大学卒(ソース略)、そしてそのソースが曖昧ながら裏付けされるようなこんなクオリティのものを無料で見て良いのか教養西洋史講座、毎週の飲酒報告会、雑談で飛び出てくる教養の深さ、おだやかな語り口、その精神性とぴったりそぐうイギリス紳士のような出で立ちetc…で毎日度肝を抜かれながら配信をちょこちょこ聞いています。

教養講座、勿体なさ過ぎてなかなか聞けていない。落ち着いたら勉強兼ねて聞いてみたいです。

かしこい人間(定義:知識教養が自らの芯となっている人間)が私は大好きなのですが、そうしてみるとロマーヌスさんはあまりにも純正高級品のかしこ人間なんですよね。興味を持ってしまうのは至極当然のこととして、彼のその芯のあるさまや穏やかな言葉は安心させてくるものでありまして、子守歌代わりにその言葉を聞いている次第です。


余談。

こういったかしこ人間に対し自分が持つ欲求といえば「この人と喋ってみたい」「この人の言葉(思想)を聞いていたい」とかそういったものなのですが、そんなわたしのかしこ人間への憧憬に対して「傍に寄り添って支えたい(伴侶となりたいなど)という意思はないのか」というご指摘が比較的一般人視点を持つ他者からありました。

3秒ほど考えたのですがやはり「支えたい」という気持ちがあったとしてもそれは妻という形ではなく、たとえば友として、仲間としてというところから発するものであり、自分の欲求も含めると「対等でありたい」というのが正直なところの自分の意識であるようです。そういったものが自分の中で当然のようにあるのが前提として、ご指摘(比較的一般人視点を持つ他者)から「彼女や妻になりたいという感情」があるのはある種当然(女性として?)なのではないか、というようなお言葉をいただいたことに対してちょっと新鮮で考えさせられました。もしも私が過激な思想を持つフェミニストであればそんなこと言わないで!!と怒ったかもしれませんが、まあ自分の中での当然の意識と、他者が持つ当然の意識の違いになるほどと思った次第でありました。

比較的一般人視点と言いましたがこれが総体の意識とは思いません。ただまあ、たしかに私の中の学者とその妻の関係のイメージって大体「奔放で熱意ある学者と献身的に支える妻」って感じなんですよね。考えてみれば「仕事をする夫と家庭的な妻」にも通じるイメージでありますので、なかなかこれは「一般イメージを間接的に味わう」というひとつの機会として貴重であったと感じます。

日々のごはん代や生きていく上での糧になります