1/10 SW9と新年の抱負

あけましておめでとうございます。


論文を終えたので無事に春を迎えることができました。いや~よかったよかった。

改めまして昨年はお世話になりました。今年も良い年でありますように。新年早々よくない国外のニュースなどが続き、節目だろうと何だろうと陰惨な気持ちになりますが、せめてどこかにいるあなたが平穏であることを祈りたいと思っています。

という訳でスターウォーズEP9を見てきました。本来ならば公開日に見に行きたかったのですがここまでずれ込んでしまったのは無念です。しかし2020年をはじめるにあたってはこのくらいご機嫌宇宙ドンパチを見るのが縁起が良いのでしょう。見に行くのが遅れたせいでもう字幕やってなかったので吹替で観ました。

まあ細かいところは気になったりはしましたし、納得いかねえよ!となったりもしましたが、評価点が下がったり面白くない要素となるノイズには成りきらず、え~!?と思いながらも笑えたり、ハラハラしたり、そして最後のエンドロールでは虚無に陥るくらいには面白い作品でした。続三部作から登場したさまざまな登場人物に与えられた結末は、個人的には満足のいく出来だったと感じます。特にハックスとカイロレンがめちゃ…良かったので、続三部作をきちんと追い続ける価値のあるものだったなと感じます。とにかく、このジョージルーカスの物語の続きを描こうと試みて、きちんと風呂敷を畳むことに成功したんですからそれは賞賛に値すると思います。え?更に続編やるんですか?ま~たまた…そんな…嘘だよね…?


年数を重ねてSWのシリーズを見てきた人間のみなさまに置かれましては、各々「自分の中のスターウォーズ」があると思うのですがいかがでしょうか。私は家人が初代からの世代であるためか幼児期から見せられ「EP4のポンコツチャンバラが原典にして頂点」と刷り込まれていますが一番すきなのはEP2のオビワンとアナキンとパドメが闘技場で戦うところとドロイド工場のくだりです。ポンコツチャンバラが好きな人間がいれば、拘束された三人が怪物に殺されそうになるところで性の目覚めを感じた人間もいることでしょう。家人はジョージルーカスが関わってない時点で見る気をなくしたので、わたしはこの7からはじまった新三部作をひとりでせっせと見に行ったわけです。

で、「自分の中のスターウォーズ」とこの7~9の続三部作が当てはまったかといえば、それは確かにそうなんですよね。リアルタイム世代ではない自分にとってははじめて映画館で観れたSWになって、そこにはやはり幾度か見て「面白い世界観だった」という補正、思い出ありきで、その中で銀河で起きた激しい戦いと人間たちの愛情と美しい星々は私の好んだスターウォーズだった訳です。激しく燃え上がるような熱意は自分の中にはなくて、何だろう…見守り…?ある意味で読めている結末を見守っているような気分になりました。それがSWというこれからも続こうとしている作品にとって良いのか悪いのかはわからんけど(続編をまた劇場で見に行くか?と問われれば、魅力的なキャストやシナリオが来ない限り厳しいかもしれん)とにかく、「続三部作」というものの結末としてはよかったんじゃないかと感じます。

ただな~自分が記憶を消した自分にSW見せるとしたら、やっぱり4,5,6を見せてから1,2,3を見せて、それから続三部作を見せるかどうかは怪しい…いや見せるな…アダムドライバーが良いから絶対見せるわ………………


まあそんな感じで良い映画はじめになりました。わ~い。あと予告でやってた映画キャッツのビジュアルがめちゃ怖かったです。


有料部は今年の抱負など。


さて、ようやくこれで自分の読みたい本なり、自分の見たい映画なりを自由に見れるようになりました。

ここ数日はカスみたいな鬱とゴミみたいな躁が交互に訪れていて精神的に参ってます。多分色々なものの反動が来ているのでしょうが早く落ち着いてほしいものです。訳の分からないことを口走ったり、ものすごくたくさんのやりたいことを抱えてわくわくしたと思ったら何もやる気が起こらなくなって布団にくるまってます。いつもそうだったじゃないかって?まあそりゃその通りなんですけどね。ワッハッハ

去年は確かインプットやら筋力をつけるとかを目標に掲げてたような気がしますが特に達成は出来ませんでしたね。なので今年の目標もインプットやら筋力をつけるやらになることでしょう。去年の正月に立てた目標は「生き延びる」でしたので、また生き延びちゃったな~って感じです。

数年単位で考え続けたひとつの事柄を言語化するのは自分が思うよりも何倍も大変な作業でした。結論は出ていても、それをどう説明すればいいのか、自分の中に組み立てていた論理をどう言葉にすれば、他者に伝わるものになるのか、そこに苦心しました。学術研究って結局、シェアして発表することを最終目的にするので、投げ打って終わりでは、それではあまりにも無責任なんですよね。

自分の論理を発表する過程の、苦痛や恐怖心と共に現れる何とも言えない高揚感は、「自分が自分の言葉を発せられるのだ」という充足感でもあったと感じます。この解放感がなかなか癖になるやつで、その一端を味わいたいから同人誌活動してるんだよな、と遅れながらに気付く感じです。ですから、この数年辛かったですけれど、研究は楽しいものだと胸を張れます。そして研究があまりにも報酬の無い、金と時間ばかりかかって自分を養うことができないものであることには絶望しちゃいます。お金があればもっと上に行きたかった。これは素直に無念です。わたしみたいなちゃんぽらんにはまあ良いですけど、もっと誠実な学生が純粋に学問をやり続けられる環境を整えてほしい。まあむしろ逆行してるから難しいでしょうけど。口頭審問とかがあるので、それが終わったらまた感慨も出るかなと思います。

で、多分この虚無はその「数年単位で頭の中で組み立てていたこと」がなくなってしまった寂しさなんでしょうね。おもちゃを取り上げられた子供のような…今はただからっぽの空間が目の前に広がるばかりですし、ここからどこに行けば良いのかわからなくて悲しいです。怖いぞ!

今年の目標はなるべく呑気でいることかもしれません。私はとにかく不安が強くて、いつもいつも不安と恐怖に支配されているので、もう少し自分の生を楽観視して、死にたいと思う以外の時間を増やしたいです。

日々のごはん代や生きていく上での糧になります