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つらいよ~って話だけです。


最近いろいろ調子が悪いのですがなんとなく認めることもできず、しかしようやく「自分は不調である」ということを認めざるを得なくなってきました。毎日さまざまな不安を交互に掘り起こしては考えすぎて肥大した頭を抱えているわけですが、結論を出すことはとても難しいです。悟りとか、諦めとか、そういった「着地点」に辿り着けないから毎日不安がっているわけですものね。なので身体に影響が出ない限りは、自分の不快感を言語化することができないのですが、ストレス性とおぼしき不眠・頭痛・胃痛・悪夢・パニック反応などを経、カウンセラーで話すことも1から10までどん詰まりの苦しさばかり、あげく薬の量が増えたので、ようやく「あ、こりゃ調子が悪いんだわ」と認めるしかなくなるのです。認めちゃえば楽になるのにね。

それにしても療養中なはずなのにどうして具合が悪くなるんでしょう、と首を傾げるのですが、結局何にしたって自分という存在のことを世界一許せないからなのですよね。自分がやった行いを承認できず、自分が出来なかったことばかりをあげつらい、ささやかな杞憂をすべて不安として膨れ上がらせているわけなので。

ほうほうのていで大学を卒業した矢先には、「とにかく休もう」というような心意気であったはずなのですが、休み休み行うつもりだった非正規雇用が思いのほかうまくできていて、ただ、そのうまくできていることを褒め称えることはできず、「もっとがんばらなければ」とウンウン考えてしまいます。折しもこれまで働いた場所の中で一番人員が不足しているためか、入社した瞬間から責任を負わされ続け、まあようするに体よくこき使われているわけなんですが、使われること、願われることに対してなにひとつ拒めず「喜んで!」と承る結果、現在の自分の限界値を越えることが容易すぎるのです。無理をすること=がんばっている、という風に考えてしまうので、無理をしていないと不安になります。

最近気づいてきたのですが休日の運用がへたくそです。休日の前夜が一番元気なのですが、朝起きると疲れがどっと押し寄せ動けず、「休日は楽しまなければならない」と己に科されたノルマばかりが重い。そもそも世間様のどこかが常に働き続けているのに自分だけが休んでいるという時点でマイナス五百億点なので、働いているほうがよっぽど気が楽だ、と思い、精神が摩擦していきます。なので休日が来るたびに負い目で苦しみ、休めた気が全然しない。

わたしはあらゆるすべてよりも劣っているという劣等感で生きており、自分が世の中に与える影響など害ばかり、せめて益虫になりたかった、と、この世で一番わたしのことを貶めているのがわたしなわけなので、到底自分の行いを褒める、ないし認めることができません。生きていてごめんなさい。それでも楽になりたいので日夜色々頑張っているのですが、どうにもその方向性を間違えまくっている頑張りが悪影響を及ぼしているようですね。めちゃくちゃ辛いです。わたしのことを一番大事にしていないのもわたしなんだろうな、と、思考ではわかっているのですが、いやはや、理性と感情は別物ですよね。

ああそれにしても安定した生活がほしい。お金がほしい。せめて普通の人間くらいの生き方がしたい。でも普通の人間って何ですか?普通に生きるって何ですか?わたしの人生はいつ終わっても良いものですか?

「無理をしない」「将来のことを考えない」「何もしないことをする(休む)」あたりが今必要なことなんだろうな、とカウンセラーと喋りました。全然できてませんし毎日とってもつらいんですが、なんとなくこのつらいは数か月前のつらいよりもつらさが増してる気がするな、と思ったのでしたためました。つらいね。

日々のごはん代や生きていく上での糧になります