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忘れたくないことがたくさんあるよ

暗い気持ちは波のように満ちては引く。悪化している時に書いた文章を読み返すと、あまりに醜悪で吐き気がするのだけれど、これもまた貴重な資料なのかとも思う。整然に書こうとしたnoteの過去記事を読み返し、ほどほどに理知的な今日の私は苦笑いをする。


物忘れがひどく激しくて、健忘と読んで良いレベルなのかはわからないけれど、とにかく日々の忘れ物から、自分の言ったこと呟いたこと、人の顔や名前、大事だったはずの思い出もぽろぽろと忘れてしまう。家族は記憶力が良いもんだから、私はよく、家族の思い出についていけなくなってしまう。「それは忘れてはいけないことだったのじゃないの?」と激しく自問しながら。

Twitterなどで昔大好きだった作品を薦められて、「大好きでしたよ!」と返答しつつもその内容が思い出せないことにショックを覚えてしまった。私はなるべく忘れないで、覚えていたいのだけれど、私の記憶はすぐに私が得たものを捨ててしまう。

日記で記録出来たら良いのだろうけれど、そんな習慣づけも苦手だ(書こうとすることを忘れるし、ノートやファイルをどこに保存したのか忘れる)。と、いう訳で、私は日々、自分でも気づかないくらい多くを忘れてしまう。そして結局、それらはすべての私の不誠実ゆえと名がつけられる。

その割にフラッシュバックは治らないから、困った記憶力だ。


いつかみんなを懐かしむことが出来るように、覚えるか、記録していたいとは思う。あの頃の楽しかった気持ち、何かを追いかけた気持ち、苦しかった気持ち、悲しかった気持ちが、薄っぺらくなって、消えてしまうんじゃないかと思って怖いのだ。

消えてしまうことは、それとも当然なんだろうか。日々、生まれては消えていく感情は、忘れてしまうのが当然のことだったんだろうか。一生忘れないよ、って言葉を、あと何度忘れてしまうんだろう。


暗い気持ちな時に書いたnoteの記事をずっと後に読んで、「こんなこともできなかったの?」と笑っていたいけれど、その頃にはきっと、こんな文章を書いていたことだって忘れてしまうんだろうな。

日々のごはん代や生きていく上での糧になります