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開府500年 甲府の街夜散歩 19.06.29

今年、甲府が開府500年なのだそうだ。
開府ってなんだ?甲府は永正16(1519)年、武田信虎が躑躅ヶ崎に館を建てたのが始まりということなのだそうだ。甲斐の府中を略して甲府らしいのだが、そもそも律令の頃の甲斐の国の国分寺は今の笛吹市にあった。ただ特に武田信虎が館を建てたのも人も通わぬ未踏の地を切り開いて建てたわけではないはずで、甲府はそこそこ開けていたはずなのに。それまでの甲斐の国の守護所は石和に置かれていたらしいので、武田氏が甲府の地に定着してから500年というとインパクトが弱いからという話なのだろう。

2021年には山梨県人唯一自慢の武田信玄生誕500年らしいので、そこを大々的にプッシュすればいいのにとも思うのだけれども。

そんなわけで清里の帰りに甲府に寄って、今日はここに泊まることにする。
横浜までは目と鼻の先で帰れろうと思えば苦もなく帰れる位置関係なのだけれども、いろいろが諸々でどうしても宿泊したくなったのです。
(ホントは食べたいものがあったからだけれども)

甲府は桜の季節に訪れていて、甲府といえばの躑躅ヶ崎の武田館もその時に参っているので改めてという気にもならず、なんとなく甲府の街をフラフラと散歩する。

甲府の開府500年。正直あまり盛り上がっている感じはしない。
所詮観光客の印象なんだけれども、こういうお祭りって観光客のためにするっていうのも行う理由だと思う。観光客に響いていないって、なにかやり方が可笑しいと思うんだけれども。

そして、街は開府500年よりも迫る七夕まつりの賑わい。
天下に号令の願いの叶わなかった武田氏よりも、庶民の願いが叶うと信じられる七夕こそ今。
街はすっかり七夕モード。そりゃまぁそんなもんだよ今どきは。

甲府とその周辺は太平洋戦争終戦の年、1945年7月6日から7日にかけて甲府空襲と呼ぶB29による爆撃があった。通称たなばた空襲。
あぁ、そのためなのかな?甲府の人たちの七夕への思い入れは。
さすがにそれを経験した人たちが生存しているとしても少数だろう。ただ、いま大人の何万、何十万っていう人が生き残った親や祖父母から当時の話を聞いているはず。刷り込まれているはず。大した軍事工場もなく、今も田園風景が広がる甲府がなぜ狙われたのかは疑問だが、今でこそのんきな甲府の街の地獄絵図。想像を絶する。

だからと言うか、甲府の街の区画は整然としている。
城下町特有のクランクや曲がり角だ少ない印象を受ける。
悪いことを、将来展望で良いことにさせた甲府魂を薄っすらと今も感じる。

雨の少ない盆地を利用しての果物づくり。高温になりがちな夏の気温。
暮らしやすいとは簡単には言い難いけれども、自然が残り懐かしい日本の匂いがすることは確か。
高速道路や中央線の特急を使えば東京までもあっという間だ。

東京からの微妙な距離感と独特の風土。
金丸が暗躍した辺りから、首都圏とかわけのわからないくくりで関東に入りたがる山梨。
甲信越の特別感を捨てるには惜しいと思うんだけれども。(ただの観光客の意見です)




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