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ふと突然、列車で旅に出てみた。(1日目)

所要で地元の山形へ帰っていた1月31日。ばあちゃんに最寄りの駅まで送ってもらい、新庄行きの列車に乗った。新庄で山形新幹線「つばさ」に乗り換えて、東京までひとっ飛び。反対方向、宮城県の古川から接続する東北新幹線のほうが速いが、ミニ新幹線である「つばさ」も十分速い。さあ、千葉に帰ってゆっくりしよう。

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…とはならなかった。突然、どこか遠くへ行きたいと思った。何がそうさせたのかは分からないけれど、移り変わる景色や天気や心地よく揺れる車内が、自分の中にある旅心?を刺激した…とかなんとか、ここでは書いておく。

それじゃあどこに行こうか。どうせならあまり行ったことがない所が良い。そういえば、3年前に広島に行ったときにちらっと寄った尾道がスゴくいいところだったな…とかそんなことを思って、とりあえずの行き先は決まった。でも何泊するか、その先はどこへ行くのか、まだよく決めてない。完全に行き当たりばったり。

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東京駅に着き、福山までのきっぷを買って、東海道新幹線のホーム、19番線に向かう。金曜日の東海道新幹線はいつも以上に人でごった返していた。仕事を終え、家路につく人。はたまたこれから仕事だという人。格好は似ていれど、いろんな目的を持った人々が列を成している。今日も例に漏れず、いつもの日常が繰り返されていて、その風景になんだか少し安心する。でもスーツ姿の人が多い中で、青のコートを着てリュックとカメラを背負い、グレーのニット帽を被った自分は、少し浮いていたかもしれない。

山陽新幹線の「新尾道駅」は在来線、山陽本線の「尾道駅」から結構距離があるので、「のぞみ」が止まって且つ、乗り換えもしやすい「福山駅」までこの日は向かうことに。それでは出発。

信号60、戸閉めヨシ、時刻ヨシ、緩解ヨシ。(東海道新幹線運転士の喚呼)

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自分の乗った「のぞみ391号」は東京を16時47分に発車。遅れもなく、19時20分には終点の新大阪に到着した。普通に広島か博多行きののぞみに乗れば乗り換え無しで行けるけれど、鉄道が好きな自分としては乗ってみたい車両があった。

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N700系8000番台。山陽・九州新幹線用の車両で、新大阪から東京方面にはやって来ない、自分にとっては珍しい車両。この車両はJR九州所属で、他にも車体が同じな、JR西日本所属のN700系7000番台がある。山陽〜九州直通の「みずほ」や「さくら」に充当されるこの車両は、どの列車にどの編成が充てられているかは分からないので、何が来るかはその時までのお楽しみ。7000番代は19編成、8000番台は11編成あるので、確率的には7000番台の方が当たりやすい。どっちの編成も好きだけど、出来ればよりレアな8000番台に来て欲しい…。

その願いが通じたのか、今回やってきたのが8000番台。JR九州の車両だった。

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東海道新幹線の新大阪(JR東海管轄)でJR九州の車両と出会う…なんともロマンチック。かつて九州方面からの寝台特急「さくら」や「富士」、「はやぶさ」に大阪や東京などの遠い場所で遭遇したとき、過去の鉄道ファンも同じような感動を覚えたに違いない。時代や車両は違えど、遠い場所への憧れやロマンは同じだと、20時過ぎの新大阪で変な感動を覚えて泣きそうになる。変な目で見られるといけないので、このくらいにして車内に乗り込む。そういえば、この列車の名前も「さくら」だった…あ、また泣きそうになった。

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東海道新幹線より線形がいい山陽新幹線を、「さくら573号」は時速300kmでかっ飛ばす。先代のさくらが今のさくらを見たらきっと目を見張るに違いない。この列車は熊本行きの最終列車なのか…九州もいいなあとか思っていると、あっという間に岡山駅のホームへと滑り込む。

ちなみに、N700系7000番代と8000番代では車内チャイムが違う。7000番代の「いい日旅立ち」も好きだけど、8000番代のオリジナルチャイム(向谷実氏作曲)がとても良くて、これを聴くだけで鉄道旅に出たくなるような力があると思う。下にリンクを張っておくので、是非聴いていただきたい。これで旅に出たくなったら、きっとあなたは仲間です笑

そうこうしてる間に福山に到着。

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名残惜しいけれど、N700系8000番台「さくら」ともここでお別れ。YouTubeでも聴けるけど、やっぱり車内チャイムは生で聴きたい。

そのままホテルに直行するのは気が引けるので、少し駅を観察してみる。

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まず目に止まったのは、大きく「福 山」と書かれた看板。ホームの端の方にあって、あまり人の目に触れることのない看板かと思いきや、かつては大きな意味があったそうで。

今でこそ、通過した駅の情報は客室とデッキの仕切り扉の上にあるLED表示機ですぐに分かるけれど、それがなかった国鉄時代やJR化直後の時代、この看板が乗客に何駅を通過したのか示していたそう。高速で通過しても分かるように、たしかに看板はかなり大きかった。かつては東海道新幹線を始め、多くの駅にこの看板があったそう。個人的にJR西日本は、古くからの施設を大切に使い続けているイメージがあるので、きっとこれもそのまま残しているのかもしれない。でも、多くの人が携帯の画面を見ている今の時代、この看板を見る人はどれくらいいるのか、それは未知数…。

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在来線ホームにも行ってみた。どうせ明日も来るのに、その日のうちに行ってみたくなるのはきっと鉄オタの性。

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まず目についたのは、公衆電話が置かれていた台。いかにも古そうな(黒電話?)電話のロゴがある。

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その近くにあったのは小さな部屋。今も使われているのか分からないけれど、うっすら見える「放送室」の文字。かつてはここから列車の案内放送でもしていたのだろうか。先に書いた寝台特急を始め、昼行特急「つばめ」や「はと」など、挙げればきりが無いほど数多の列車が走っていた時代に…ちらほら見える止まった時間の欠片に、少しだけ胸が熱くなる。

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隣のホームに停車していたのは、福塩線の105系。1981年にこの場所に配属され、今年で39年目を迎えるらしい国鉄型の車両。末期色と揶揄させる黄色の単色に塗装されながらも、いい音を響かせながら走り去っていった。

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夜も遅い時間になってきたので、ホームを後にして改札のあたりを観察してみる。まだ帰らない。もうちょっとだけ。

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新幹線改札にあるこのフォントがかなり国鉄みを感じさせるけれど…詳しいことはよく分からない。どことなくノスタルジックな気持ちにさせるこの看板が妙に懐かしく、なんだか愛おしい。(僕自身は国鉄時代に生まれてない)

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この駅構内にある時計も渋い。国鉄時代によく見られた「すみ丸ゴシック」のような、丸みのある書体で、筐体のサビ具合もいい具合。何年この場所で時間を刻み続けてきたのか、とても気になるところ。

…と、いろいろ見ていたら福山に着いて1時間も経ってしまった。さすがにそろそろホテルへ向かう。

今回泊まったのは駅近くにある「サンホテル福山」。最近になって客室のリニューアルがされたそうで、部屋はかなり綺麗。2泊で値段も9,000円と、かなりリーズナブルに予約が取れたと思う。

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ベッドの幅も広く、一人で過ごす分には十分な広さ。隣部屋の音も気にならず、かなり快適に過ごせたのでおすすめ。福山や尾道方面に行かれる際は、ぜひぜひチェックしてみてはいかがだろうか。ちなみに、自分に充てられた部屋はちょうど線路の真正面だった。ずっと行き交う列車を見ていたら夜が更けた、というのはまた別のお話。

本当なら千葉に着いてゆっくりするって、朝はそう思っていたのに、全然予想もつかない場所に来ている。これだから行き当りばったりの旅は面白い。寝るまでの時間、尾道の次はどこに行こうかとか、どの路線に乗ろうかとか、時刻表やグーグルマップを眺めている時間が結構幸せ。時代が変わっても、ずっとこういう旅をしていたい…なんて考えていたら眠くなってしまった。今日はこのあたりで。おやすみなさい…。


次回はいよいよ尾道へ。天気もいい予報だし、きっと素敵な出会いが待っている…?

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つづく…。

使用機材:X-Pro2 / XF35mm F1.4 R

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