『コリアン 世界の旅』(野村進)講談社文庫 を読む

「世界が違って見えてくる」驚きと発見の名著! 日本に住む韓国・朝鮮系の人々が、なぜ日本人の目に「見えない」存在になってしまったのか。この謎に果敢に挑む著者の旅は、日本、アメリカ、ベトナム、韓国に広がり、再び日本に戻る。私たちのすぐ隣にある「コリアン世界」を真摯に描いた、大宅壮一ノンフィクション賞・講談社ノンフィクション賞ダブル受賞作品。
 

年を取れば取るほど、自分が何も知らないことを思い知らされます。
64年間、一体、何をしていたんだろう、と愕然とします。

この本を読んで、あらためてそのことを痛感しました。

第1章を、「スター にしきのあきら」から語り起こしています。彼が韓国だということは、何となく知っていました。ただ、「韓国・朝鮮系の有名芸能人がマスメディアにこのように取材を快諾した前例がまったくなかった」ことは、全然知りませんでした。日系韓国人どうしの結婚式のスピーチで、「自分は帰化しているが、韓国人の血を引いていることに変わりはない。大晦日の『紅白歌合戦』は、われわれがいなかったら成り立たないんですよ」と言った彼の言葉に、満場から拍手と喝采があがったということも、もちろん知りませんでした。

周囲に韓国・朝鮮系の人たちが少なくなかったのに、私は何を見聞きしていたのだろう。彼らの本当の気持ちを何ひとつわかっていなかったことに、今、ようやく気がつきました。

第2章は「焼肉」。実は、テーブルの上で肉を焼いて食べるというやり方が始まったのも、タン塩という人気メニューが生まれたのも、この日本の地ということも、初めて知りました。
第3章は「民族教育」、第4章が「パチンコ」と読み進むにつれ、著者と同様に、世界が違って見えてきます。
中学・高校時代の韓国・朝鮮系の友だちもパチンコ屋でした。何度か大勢で自宅に泊めてもらいましたが、階段には赤い絨毯が敷かれ、ちょっとしたホテルのような大邸宅でした。料理が食卓にあふれんばかりに並べられ、キムチがやたら辛かったことを覚えています。

そして、在日コリアンが日本人から差別されてきたことが、多少分かった気になったところで、第2部「コリアン世界の旅」に突入します。第5章「ロサンゼルスの在米コリアン」、第6章「サイゴンから帰ってきた韓国兵」と読み進めるにつれ、一転、それまでとはある意味真逆のコリアンの姿が立ち上がってきます。第7章「韓国人ボクサー」、第8章「済州島」まで読むと、もう何が何だかわからない。自分の中のコリアン像が、複雑に多様化していきます。被差別、差別を超えて、当たり前だが、ひとりひとり異なる人間が蠢く実相が見えてきます。

第3部「コリアン 終わりと始まり」。第9章「金日成は生きている」、第10章「大震災のあとで」。次々と、漠然と信じていた常識が覆されていきます。

「在日の問題を、日本の植民地支配以降の問題としてだけ見るのは、見方が違う。日本と朝鮮とのつながりは、近代の支配・被支配の枠を越えて、千年・二千年の視野で考えなきゃいけない。そうすると、『恨』という表現がいつしかとけていくようになる」。在日二世の作家、高史明の口からそんな言葉が出てきました。これまで何ひとつ考えてこなかった私は、それについて何も言うことができません。何を言っても軽々しすぎるのです。何も言う資格がない。

第11章「Jリーグのコリアン」。新しいコリアンが生まれています。

そして最終章「新井英一・夜明けへの旅」。近年、涙腺が極端に弱くなった私は、嗚咽が止まらなくなりました。まさに絶唱。客席の大半を占める中年の日本人たちが、自然に立ち上がって力一杯の拍手を送りつづけるのである。こんな光景を、私は見たことがなかった。

私は、こんな本を、読んだことがなかった。

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