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臨死体験 その① 14歳冬

 母は、19歳で姉を身ごもり、21歳で私を産んだ。若いころに結婚・妊娠・出産をしたから、子育てにはフルに自分の両親と義理の両親の手を借りていた。保育園には、毎日東京から父方の祖父が送り迎えのために通ってきてくれていた。母がお迎えに来たことは、記憶にない。いつも、保育園から帰るときの坂道をおじいちゃんと一緒に走り抜けていた。
 長期休みになると、母は姉と私を連れて自分の実家に行った。母は一緒に滞在しない。一日か二日一緒にいたら自宅に帰る。私と姉は、中学のころまでまるまる一ヶ月程度母の実家で過ごした。
 茨城の、自然豊かな場所にある、非常に大きな家だった。母方のばあちゃんはとても厳しい人で、じいちゃんは口下手だったので、私はできる限り離れて暮らしていた。隠れては、母の実家に置いてある本を片っ端から読み、布団の隙間に挟まっては昼寝をし、鳥の声をきき、夏なら昆虫を捕まえ、冬なら芝生の上に積もった雪で遊んだ。
 その年の正月休みは、不思議なことに母が一泊していくと言った。その時から私は何やら具合が悪く、珍しく母が残ることなどどうでもよかった。昼食も夕飯も特にいらず、ひたすら横になっていた。帰省するときは基本的に電車だったが、当時は電車の中でもたくさんの人がタバコを吸っており、私はすぐに気分が悪くなり、毎回具合悪くなるのはお決まりだったから、誰も気にしなかった。私自身も気にしなかった。
 夕飯が終わると、母がいそいそと何やら準備をして、いつもよりもキレイにして出かけていく、と言った。しかしそう言われた瞬間、私の意識が遠のいて、もう立ち上がれなくなった。ばあちゃんが何やら言っているのと、母が嫌そうに「こいつはいつもこういうときに具合悪くなる」と言ったような気がするが定かではない。次に気が付いたら、1人で10畳くらいある、大きな部屋の真ん中に寝かされていた。周りは暗く、なんの音もしない。段々と目が慣れてくると、その部屋はみんなが集まったり食事をしたりする部屋の隣の、普段は使われてない部屋だということが分かった。自分の頭の上側には下半分がガラスになった障子がドア代わりに備え付けられており、広い庭につながる縁側と部屋を区切っている。右足の方向には大きな大きな洋服掛けタンスがあり、存在感を放っていた。左側にはおそらくだが襖があって、その先に押し入れがあったように思う。押し入れの脇には掛け軸。基本的な昭和の大きな家だ。
 急にトイレに行きたくなったが、身体が痛すぎて辛すぎて、驚いた。無理やり起き上がったら視界がぐにゃっと曲がった。それでも漏らすわけにはいかないので、床をはいずってなんとか廊下に出た。広い家だから、トイレに行くにはたくさんの部屋を通る。覚えているのはキッチンだが、広いキッチンには誰もいなく、古い掛け時計がこっこっこっこっ、ぼーーーんと、リズム良く動いていた。良く覚えていなかったが、夜中の0時に近かったように思う。誰も起きていない。みんな二階で寝ており、不思議なことに誰の息遣いも聞こえなかった。
 祖父は剥製などを作る職人だった。ガレージにはたくさんの鶴の剥製があったり、祖父が作った様々な作品が並んでいた。キッチンを抜けた後に通る廊下からは、ガレージの入り口は見えるものの、剥製たちは見えないはずだが、その時の私には剥製たちの目が見えた記憶がある。色々と混同していたとは思うが、何も見ていないビー玉の目が、並んで私を見ていたような記憶があるのだ。思い出すと怖かったのでは?と思うが、意外にそうでもなかった。目線を確認することで、自分がまだ死んでいないような気分になっていた。頑張れ、頑張れRal、トイレはもうすぐだ。
 トイレに入った記憶はないものの、謎に再度床を這って元いた部屋まで戻ったような気がする。息があがり、身体中びっしりと汗をかいていた。それでもなんとか布団にもぐりこみ、そこでまた気を失った。
 目を覚ますと、誰かが自分の顔の右側にたち、まっすぐ上から私を見下ろしていた。真っ黒で大きいその人間は、マントのようなものを持ち、杖のような、鎌のようなものを持ち、ただただ上から私の顔を見下ろしていた。身体は動かなかった。身体が動かなかったことで、恐怖の感情が湧き上がってきた。湧き上がってはくるものの、震えることすらできない。
 黒い何か人間のような形をしたものは、顔や髪形は全く分からなかったが、大きな目がぎょろりと開き、まるでアニメのように目の焦点をゆらゆらと合わせながら、気が付いたら顔を私の顔の真横に持ってきた。しゃがんでいるのか、寝転がっているのか。立っている姿勢からどうやったら一瞬で顔を寝ている私の顔の真横にもってくることができたのか、いまだにわからないが、それは私に耳もとでこういった。

「あー・・・もうダメだ」

それは、その言葉を言った瞬間、笑ったような悲しんだような不思議な表情をして、杖を使ってゆっくりと起き上がった。最初の頭があった場所よりも高く高く起き上がった。浮かんでいるのか足は床についているのかよくわからなかった。その瞬間、頭上にあった障子が「パーン!」と音をたてて左右に開き、庭の方から狐のような黒いものが4~6匹くらい勢いよく飛び込んで、私の足元に整列した。
 右の足元側に置いてあった左右開きのタンスがバン!と開きそこから白い手が伸びてきて、私はそこに吸い込まれるような感覚があった。

 「あ、死んだな」と思った瞬間、部屋の襖が開いて、母が入ってきた。

「わ~、Ral,なんかやばそう~」

 最初の一言で、母が深く酒に酔っていることがわかった。後から聞いたら同窓会に行っていたそうだ。さっきの段階で0時だから、おそらく帰ってきたのは1時か2時か。しかしとにかく帰ってきた。
 母が入ってきた瞬間、私を取り囲んでいたものは消えてなくなった。顔の横に立っていた何かも、たくさんの狐たちも、タンスから伸びていた手すら、何も残っていなかった。
 母はフラフラしながら私の熱を測った。熱は当時の体温計で42.0、つまり、体温計の限界値を越えていた。もっとあったとすると、視界が歪んでいたことも、まともに立ち上がれもしなかったことも、何やら謎のビジョンを見たことも説明がつくような気がして、少し安心した。
 測り終わったあと、母が水を持ってきた。
「ねえRal,なんでこの障子開いてるの?寒かったでしょう。」
「あら?タンス閉めてあったと思うけど」
 私は、まだ身体が辛すぎて動けなかった。汗をかいたパジャマを着替えさせてくれ、布団のシーツも換えて、母は自分の部屋に行った。
 私はしばらく眠れなかった。障子やタンスは、もうろうとしながら私が自分で開けたのだろうか。
 小さい電球がついた電気を見つめながら、自分が見たものを確認しようとしたがよくわからなかった。わからなかったが不思議なことに、その熱のせいで、一回すべて溶けた脳みそが、また一つに固まって頭の中でぷるぷるのゼリーにように新鮮に生まれ変わったようなビジョンが飛び込んできた。自分の脳みそのカタチを確認した瞬間、また気を失った。

 起き上がれたのは、一週間ほどたってからだった。母は「別に大丈夫でしょ」と言い残し、自宅に帰った。姉はどうだったか。部活があるから帰る、と一緒に帰ったような気もする。定かではない。
 
 私は父に叱られ、空気が読めず、非常にめんどくさい子供だった。イマジナリーフレンドのような存在もいたような気がするし、多分妙なことをたくさん言った。不思議の国のアリス症候群も抱えていたので、母は本当に面倒だと思っていたのだろう。わからなくもない。
 母は、天然といえば聞こえがいいが、とにかく世間知らずの田舎のお嬢様だった。父はどちらかというと東京育ちのシティーボーイだったので、惹かれたのだと言っていた。
 私は、母が、そういったスピリチュアルな存在をはねのけるタイプの人間だと信じている。あの時、母が入ってきた瞬間に部屋の中が明るくなり、私を取り囲んでいた暗い空気は一気に消え去った。黒く見えた壁は真っ白になり、ざざざっと何かが影になって母とは反対の方向に集まったような感覚があった。母の力が、ものすごく強いように思えたのだ。これは、今にもつながる。私の母の、思いこむ、信じる力はものすごい。
 そしてこのころから約15年間不思議なことが起きる。毎年1月1日から5日までの間に、必ず私は熱を出すようになった。
 その話はまた次の機会に。

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