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涙を流す大人の姿を見るのが好きだ

涙に至る背景は問わない。
必死に堪えようとしながらも、抑えきれない魂の躍動が、コントロールを失った感情が涙となって形を成す。その姿は堪らなく、ただただ美しい。
なんなら最初から耐えるつもりのない号泣だって構わない。

ひたすらに愛おしく、私にとっては大きな虹を見つけたような貴重な瞬間に出会えた感覚になる。宇宙に触れたそんな不思議な体験。ただただ立ち尽くし眺めてしまう。

もちろん悪趣味での意図的に人を泣かせるようなことはしない。
泣きたいことがありそうな人にはそっと背中を押す程度のことはしてしまうが
私が意図的に作り上げた涙には何も心は震えなかった。

生きていれば稀に出会うイベントだと思っている。

私が巡り合って来た涙の種類は、他人の結婚式で流す顔も知らなかった新郎新婦のご両親の涙、別れの涙、絶望の涙、何かに感動したのであろう涙、枯れた先からも出る涙、悔しさからくる涙、守るため切り捨てる時に流す涙、生きることを諦められず流す涙、映画やドラマ程度の作り物を観て流す涙、もらい泣き他にもきっとあるだろうが思い出せない。

私が流した涙もこの中にいくつか含まれているだろう。

人前では泣いてはいけない、その美意識を破ってでも流す涙が大好きだ。
特に男の涙は世界遺産のように美しい。女性の涙は挨拶のようなものを秘めているので注意が必要だが、その姑息さまでもが光り輝いて見えてしまう。

人の涙と出会った後の、その涙の背景に思いを巡らせることも好きだ。決して傷口を広げるような質問をしないのが私の作法。それを破ってしまうともう二度と私の前で泣いてくれないのではないのかと思ってしまうのだ。

願わくば泣きたいことがあれば私を思い出す、他者にとってそんな存在でありたいと思いながら、私自身はきっと誰を思い出すことなく一人で泣くのだろう。

そんな孤独に今私は涙を流している。この涙を美しいと思ってくれる人なんているはずがないと知っているから。

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。