4月4日のこと

朝はゆっくりして、お母さんと車中花見に出かける。こんな時だからこそ外でぱあっとお花見したいけれど、祖父母のこともあるので、と、少し神経質になりながら、車から桜がきれいに見えるところを探す。高速に乗って、明石SAであまおうミックス、高速を降りて、明石時代によく買ったコロッケとチキンカツとハムカツ。揚げてくれるおばあちゃんに、私小さい時毎週ここに買いに来てたんですよ、今大学生なんですけど、と声をかける。ぱあっと顔が明るくなって、もう50年以上やってるからなあ、私もう84になってん、なんもすることないよりなんかあった方がええやろ、と話をしてくれた。どうしてここでお店始めたんですか?ときいてみたけど、私の孫知ってる?と違うことをきかれたので否定してから、開いてて嬉しい、また来ますねと声を掛けて、新聞紙に包まれたフライを受け取る。

なんとなく天文科学館の方へ向かうと、柿本神社のあたりの桜がとても綺麗だったので、神社に車を止めて、フライをいただく。ちゃんとお参りもした。私はおじいちゃん含めて、身の回りの人たちの健康と、あとは自分の成長のことをお祈りしたけれど、お母さんは、初めて世界平和を祈ったわあ、と言っていた。

木の芽でんがくを食べて春を感じ、桜の前で写真を撮る。少し下り坂になっている道の端には手すりがあって、お母さんがそうするのに従って私もなんとなくそれを伝って降りていたのだけれど、ふとお母さんが脇にそれて、私も思わず手すりから離れる。坂の下の方を見ると、おじいさんがゆっくりと手すりを握って坂を登ってくるのが見えた。お母さんがどうしてこんなにも早く出世しているのか、分かったような気がした。

その後アンクルに行ってたくさんパンを買って(若い子はとても愛想がよく、おばさんは不機嫌だった。おばさん。)、小学校の近くのきくやで鮭コロッケ、かぼちゃコロッケ、えびだんごを買う。お母さんに、私あさしょうやったから、昔よく来てたんです、今大学生になって、と、声を掛ける。ほんまか、顔見してみ、と言われて、絶対わからへんで笑みたいなことになったのだけれど、おばちゃんはこの子を知っているかどうか本当に気になったのかもしれないけど、小学生だった少女が女子大生になった、その顛末をみたかったのかもしれない。開いてて、潰れてなくてよかったね、また来てね、また来ます、と会話を交わす。

思い出の味を巡って、店員さんと言葉を交わした訳だけれど、少しでも彼女たちのお店に対する活力になれば、と考えて言葉を発してしまう自分の卑しさに気持ちが悪くなる。もちろん嘘をついている訳でなくて本心なんだけれど、それでも、自分がなんらかの思い出の一部になろうとしている、その姿勢に腹が立つ。

ジェームス山のサティで買い物。食料をたくさん買ってもらう。長屋に帰ってくると、みんな揃っていて嬉しい。だけど少しの距離を感じた。お母さんという、私のいちばん近しい人と1日一緒にいたからなのか、帰ってくるのが3日ぶりくらいだったからなのか、わからない。一緒に住んでいれば、家族だと思っている。 長屋のみんなも、もちろん血の繋がったおじいちゃんおばあちゃんお母さんも。だけれど、やっぱり、血の繋がった家族は、特別なものだということを、思うだけじゃなくって、カタチで伝えないといけないと感じる。長屋のみんなにはあれしてもらったからこれして返さないと、みたいな構図があるけれど、実家の3人にはまるでお世話になりっぱなしの私。どうにかお礼を、少しでもしなければ。毎日憂鬱な話題ばかりだけれど、大切な人との時間を、関係を考える、いい機会になっている。

晩ご飯にカコイチの手際で麻婆豆腐を作る。それなりに美味しくできたのでよしとする。他愛もない会話をして、主に洗い物をしてお風呂に入って寝た。

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