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沖縄戦から75年、修学旅行から5年

先日6月23日は、沖縄戦終戦から75年の慰霊の日であった。

私は高校2年生のとき、修学旅行で沖縄に訪れた。
沖縄は小さい頃旅行でも訪れたことがあるが、素敵な土地だ。

しかし今回の内容はけして青春の煌めきが迸るようなものではない。

たしかに当時私が記した修学旅行文集は、半分以上が楽しかったエピソードについてであった。しかしあの修学旅行から5年が経った今でも私がはっきりと覚えているのは、友人と作った輝かしい思い出よりも、沖縄戦について学んだ記憶の方なのである。

もちろんこのように月日が経ってしまうと、当然記憶の正確さには欠ける。事実と異なるものもあるだろうし、抜け落ちている部分もあるはずだ。
それを承知の上で、文集にも残せなかった私の記憶の断片の話をぜひ読んでいただきたい。

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沖縄には、ガマという自然洞窟があり、沖縄戦の際に住民や日本兵の避難場所として利用された。

私たちは「轟き豪」というガマで体験学習をした。
ガマはとても大きく、そしてとても暗かった。足元も不安定で、気を抜くと足を踏み外して落ちてしまいそうだった。

最深部に到達したとき、その場所でたくさんの人が生活していたこと、そして亡くなっていった人、残されてしまった人々なことをひたすら想像しては、胸が苦しくなるのを感じた。

地上に出てから、ガイドの男性から以前体験学習に訪れたある女子生徒の話を聞いた。それは、体験学習に訪れた生徒全員に向けて話されたものではなく、その男性ガイドさんが何かのタイミングで私に向けて話してくれたものだ。

ガマに体験学習に訪れた生徒のなかには、気分を悪くしたり、倒れてしまったりする人が度々いるらしい。私のクラスメイトの中にも、確か気分が悪くなってしまった人がいたような気がする。

ガイドの男性が話してくれた女子生徒も、気分が悪くなり倒れてしまったという。しかしその後、その女子生徒からガイドの男性宛に、一通の手紙が届いた。
記憶が曖昧ではあるが、その内容はこのようなものであった。

ガマのなかで、生徒ではない、恐らく亡くなった多くの人たちの姿が見えた。その人たちはこちらに向かって、ありがとう、と言い拍手をしていたのだそうだ。

ガマでの心霊現象といった類いの話はよく耳にする。
それに対して信憑性がない、スピリチュアルだとする人もいるだろうし、私もそういったものを感じ取れるわけではないので信憑性についてはわからないとしか言えない。
けれどもあれだけ多くの人が亡くなった場所であることから、敏感な人が何かを感じ取ってしまうことはありえると思っている。

ネットで「ガマ 心霊現象」と検索すれば怖い内容ばかりが出てくるし、実は私も何か起こるのだとしたらそれは怖いものだと思っていた。そのためその女子生徒が「ありがとう」という声を聞いたことに心底驚いたのだ。

もしこの話が本当だとするならば、体験学習の持つ意味は、私たちが歴史的惨劇を知る以外にもあるのではないだろうか。
もしも亡くなった人たちの魂が未ださまよっているのならば、ガマで祈りを捧げ、ご冥福をお祈りすることは、けして無意味とはいえないのではないだろうか。

NHKの調査によると、現在県内で少なくとも1563のガマや旧日本軍によって造られた壕などの戦争遺跡があり、このうちおよそ5分の1にあたる296の現存が確認できなくなっていることがわかったという。崩落の危険性によるガマの閉鎖が問題視されている。

沖縄戦で住民の避難場所となり、戦後は平和学習に活用されてきた沖縄県糸満市山城にある県管理のガマ「マヤーアブ」が、崩落の危険性があるとして閉鎖されていることが6日、分かった。保存には多額の費用がかかり、技術的にも難しいため県は補強工事はせず、現地の案内板や内部の様子が分かる画像などの整備を進める方針だ。
沖縄タイムス+ニュース「沖縄戦伝えるガマ 崩落の危険で閉鎖 地元住民「やりきれない思い」」

私にとってあの体験学習は、とても大切な意味をもっていたと思う。もちろん、体調が悪くなってしまう人を無理矢理連れていくような状況があるとすれば、それは好ましいとはいえない。
しかしこのまま、いつかガマがなくなってしまうのだとしたら、それは沖縄戦の悲劇を語り継ぐ上で大きな壁となるのではないだろうか。

私が平和な国、時代に生まれ、今日まで生活していることはけして当たり前ではない。過去を知ることは今日の私の足元を知ることだと思った。

これからの日本においても、過去を語り継いでいけるこの平和学習があり続けることを祈っている。

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