見出し画像

人のぬくもりが恋しい。爺ちゃんと婆ちゃんに会いたいな。

こんにちは。ゆっぴーです。

今日も私のnoteに遊びにきてくれて、ありがとうございます。

月曜と火曜日は、心身ともに疲れきって脱け殻状態になっていました。

土曜の深夜に大きな地震があって、気持ちが休まりません。皆さんは大丈夫でしたか?

昨日、お昼ご飯を食べた後、2時間も昼寝をしたのですが、

昨年、亡くなった、大好きな婆ちゃんの夢を見ました。婆ちゃんは笑顔で私を見ていました。誰か家にいるのかな?という気配で起きて、

「婆ちゃんに会いたいな。あの笑顔に会いたいな。」とポロポロ泣きました。

大好きな婆ちゃんと爺ちゃんが亡くなったのが昨年でした。

はじめて、「死」と向き合うことを経験した出来事だったので、受けとめられないというか、淋しい気持ちでいっぱいなのです。

今でも、人恋しくなったり、苦しくなると、「爺ちゃんと婆ちゃんに会いたいよ~」と泣くことがあります。

私にとって、婆ちゃんと爺ちゃんは特別な存在でした。

悩みがあったり、疲れた時は、爺ちゃんと婆ちゃんに会いに行くと自然と元気になるんです。「なんか、嫌なことあったな。婆ちゃん家にでも行くか!」って。

爺ちゃんは、畑仕事をして、新聞を見て、大好きな焼酎を飲んで、私の話に「そうか。そうか。」と聞いてくれて、よく戦争の話をしてくれました。人を笑わせるのが大好きで、社員旅行の宴会では芸を披露するために熱心に練習したり、よく「歳をとっても勉強はしなきゃあダメだな」と言っていたっけ。

婆ちゃんは、自営のスーパーで歳をとっても仕事をして、とにかく優しかった。韓流ブームが日本に来たときは、「冬のソナタ」や「天国の階段」を一緒に見たね。ヨン様って婆ちゃんが言ってニコニコしてたのが私も嬉しくてベットにヨン様の写真を貼ってあげたよね。腰を痛めた時、一緒に整体にも連れて行ってくれたり。

結婚式にも来てくれて、ドレスのお色直しの退場は爺ちゃんと一緒に歩いて、参列してくれた人に「どうも。どうも。」と言いながら、私のドレスを踏まないようにする姿がなんとも爺ちゃんらしかったね。

一番後悔していることが、直接会って、私が母親になって、娘達を会わせることができなかったことなんです。

1月の爺ちゃんの旅立つ日、

「わかる?○○だよ!元気してた?」「私ね。お母さんになったんだよ。双子のお母さん。」

爺ちゃんの葬式に来た、婆ちゃんの手を握り締めて泣きたくなる気持ちを抑えて満面の笑みで話かけたんだよね。何も話せなくなって、白髪頭で、車いすに座っている婆ちゃん。

そしたら、婆ちゃんの目から涙がポロっと流れて、ポロポロ泣いて頷いてくれて、嬉しかったな。

爺ちゃんが亡くなって8ヶ月、後を追うように、婆ちゃんも亡くなりました。

「爺ちゃんと婆ちゃんに会いたい」「その笑顔に会いたい」

心の温かさ、ぬくもり、肌に触れたい。そう、日々、思うんです。

デジタルが進化する世の中、スマホやパソコンを通して誰でも会える、繋がれる便利な世の中になってきたけれど、

私は、直接会って、話したり、肌に触れたり、その空間、空気感が恋しいのです。

人のぬくもりを感じられるのは、AIでは冷たくて、なんだか変な感じで、偽りもあるようで、

肌が触れ合ったり、話している呼吸、仕草、空気を感じれるのには最先端なデジタル化になっても、難しいと私は思うのです。

ただ、単純に「会いたい。」触れて、ホッとしたい。

「ねぇ、爺ちゃん、この世から争いが無くなるのは、いつかな?」

「ねぇ、婆ちゃん、この世に優しさが戻ってくるのは、いつかな?」

爺ちゃん、婆ちゃん、ありがとう。孫として可愛がってくれて幸せだったよ。ぬくもりって大切なんだよね。

ねぇ天国って本当にあるの?

爺ちゃんと婆ちゃんとの思い出は、たくさんあるから、このnoteに書いて、クスッと笑える日があったらいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?