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捨てたい、けど捨てられない―機能不全家族で育って

第35回

高校生の頃のことを思い返しても、正直楽しかった思い出は見当たりません。昭和から平成になり、世の中の景気は上り調子、お金に苦労しているような級友は一人も見当たりませんでした。そんな中、わが家だけは金銭的な余裕がなく家庭環境もめちゃくちゃの状態でしたが、それを友人には絶対に悟られたくなかったので、会話には随分と気を遣いました。幸い周囲には自分のことばかりを話す子が多くて都合がよかったのですが、それでも流行りの歌の話などになると、やはり話題についていくことができずに苦労しました。
下校後はいつも、私が母に代わって店番をしました。その間に母が買い物に行き夕飯を準備して、店を閉めてからパートへ出かけていきました。私は父が帰ってきてから、弟たちも一緒に夕飯を食べ、その後の家事などもしていたため、宿題や予習の時間は夜まで取れませんでした。
父はパートに出る母のことが気に食わなかったようで、夕飯時に酒を飲みながらいつも「俺の給料がいくらだろうと、その金額で生活するのが嫁の役目や。」と言っていましたが、私は心の中で「実際、それじゃ生活できんやん。」と呟いていました。
(2024.3)

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