短編小説「逢いに行く。」

電車を待つ間、聞こえるメロディーを鼻歌で奏でる。
ただ、ホームで流れている曲には歌詞も無く、曲名も知らない。
耳が覚えたメロディーを、つい鼻歌にしてしまう。
電車に乗るのは、あなたに会うとき。
だから、このホームで聞くメロディーは私に自然とあなたを連想させ、鼻歌を歌わせるほどに気分を高めてくれる特別なメロディー。

初めての時は、スマホと電光掲示板を交互に見比べながら、調べていた行き方と表示されている乗り場の案内や発車時刻を確認するばかりだった。
メロディーなんて聞く余裕すらもなく。
電車に乗った後も、合ってるのかな…という不安から窓の外に答えを求めるよう視線を送ってみたが、その景色だって初めて見るものであり、合っているかなんて分かるわけもなく。
またスマホを取り出し、アナウンスで流れる通過駅と調べていた行き方が合っていることだけが、唯一の安心材料だった。

電車がホームに入り込んでくる。
目の前をゆっくり通る電車の騒音と風圧で鼻歌はかき消され、髪が乱れるのを気にしつつ、プシューっと音を立てて開いたドアから車内に乗り込む。

乗り込む人はまばら。
私は決まって、一番後方の座席に座り込む。
手元にはスマホ、イヤホン、タブレット、コーヒー。
発車するまでの時間はスマホでSNSを眺め見しながら、車体が動き出すと同時に音楽へ切り替え、タブレットで読書するのがいつもの定番。
移動中はこの過ごし方が一番いいと、何度か乗っているうちに確立された。
休憩がてら、外の景色に目を移す。
この辺りってことは、あと何分くらいか。
見慣れない景色も、今では到着時刻の予想までできるほどになった。
もう少しで、あなたに会える。

初めての時は、駅に着いてからもまだ不安でいっぱいだった。
改札口の表記を確認して降りる。
知らない土地、慣れない駅、初めて感じる空気に居心地の悪さを感じ。
周囲を行き交う人々にとってはいつもの駅であり、いつもの日常。
私だけが違う空間にいるかのような違和感。
落ち着かず、帰りたくなるような心細さを感じ始めていた時、
現れたあなたによって、私はこの場所にようやく溶け込むことができた。

手元の荷物を片付け、降りる準備を整える。
会える嬉しさと久しぶりであることの緊張感で、掌がややしっとりし、心臓の拍動がドクン、ドクンと異様に強くリズムを刻み、速さも増している。
嬉しいこと、楽しみなことが目の前で待ち構えていると、身体はその高まりを緊張感と捉えてしまうようで、いつもこうだ。
この反応にはなかなか慣れず、自分でコントロールできないのが厄介。
会える喜びの興奮を抑えることもできないわけで。
車体が停車し、ドアが開く。
もう迷うこともなく、まっすぐ改札へ向かう。
逸る気持ちを抑え、コントロールできない興奮状態をなんとか見た目だけでも整えようと、ゆっくりとした歩調を意識する。
少し落ち着けるかも、と思っていた矢先、あなたの笑顔を見つけてしまい、あっけなく小走りで近付き、嬉しさも喜びも全部隠すことなく表出する。

今日も、あなたに逢いにきました。

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