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過去の自分と出会うとき

 19歳の頃の私は、それはそれはもう尖っていて、すべてを破壊する勢いで、人間を睨みつける気持ちで生きていた。なぜそんなに怒り狂っていたかと言えば、他の命を大切にせず、環境を破壊しまくり、理由をつけて新しい戦争をはじめたりするのが、人間だからだ。それに、私は私自身の命の使い方にも憤っていた。恵まれた環境で育ち、苦しいことを何も知らないまま、平然と大人になんかなれっこなかった。

 バンドを始めてから、私はステッカーやパスが壁一面に貼ってあるライブハウスの楽屋をとても居心地のいい場所に感じて、住みつきたいと思ったりもした。自分の知らない世界のこと、自分の知らない音楽のこと、年齢も性別も国籍も何も関係なくいろんな人と話ができた。ただそこでいい音が鳴っていて心が動くこと、それ以外のことは何も関係がなかった。そういう中でも時々、他人の努力や楽しみを受け入れられなくて、心の中で悪態をついて後で悶々と考えたりもした。

 ライブハウスのブッキングで、全然知らない人たちと対バンする日があった。企画したイベントもあったし何度も出ている箱だから、きっとまた素敵な音楽に出会わせてくれるに違いない、と期待していた。その日はバンドだけでなく、弾き語りの人も一緒だった。20代半ばで、私より6つか7つくらい年上の女の人。すごく楽しそうに演奏していて、すごく一生懸命歌っていて、私はその姿を見て「なんでこの人音楽やってるんだろう」と真顔で考えてしまった。もちろん、失礼な意味でだ。確かに演奏はうまくはなかった。でも自分だっていつまでも下手くそなドラムをバコンバコンやっているくせに、他人の演奏にとやかく言う筋合いもないだろうに。その時の私は「なんでこんなに下手なのに人前でできるんだろう」「なんでこの人の演奏を、みんなそんなに嬉しそうに聴いているんだろう」と、わけがわからないまま立ちすくんでいた。

 私は自分が20代半ばになった時、バンドでドラムを叩くだけでなく、自分で曲を作ってみたい、ギターを弾いて歌いたい、と思った。それまでずっと1万円の初心者用のアコギで時々スピッツとか歌っていただけだったギターを、ちゃんと練習し始めた。これまでは押さえられないからカポを多用しまくっていたコードもちゃんと練習して、曲を作ったりして、そして録音して馴染みのライブハウスに持って行った。

 23歳の時に3.11があり、地震、津波、原発事故、放射能汚染で帰れない故郷を後にする人、デマや誤情報の拡散など、あらゆることがいっぺんに押し寄せ、私はどうしよう、と足元が全部崩れるような感覚に襲われたのは、私だけじゃないと思う。
 そして東京で一人暮らしをしていた私の家にも、計画停電がやって来た。タイミングの悪いことに(いいことに?)母親が実家からわざわざ様子を見にきてくれていた時だったので、ろうそくに火を灯してラジオを聞いたりした。「なんか他にないの」と母が言うので、「スピッツとユーミンとフォーククルセイダーズの曲ならなんかできるよ」と私は得意げにギターを手に取った。母はフォーククルセイダーズは知らないし、「The Beatlesがいい」と言われた。私は『Let It Be』しかちゃんとコードを覚えていなかったので、繰り返し二人で歌った。どうしようもない夜には歌をうたうと、下手でも何でも、気は紛れるし、悪くない。学校でこれまでやってきた合唱や合奏とも、バンドでせーのでジャーンとやるのとも、ちょっと違う音楽だった気がする。

 原発事故の後、民主党政権が倒れてからというもの、混乱に乗じて政府が滅茶苦茶なことをやりだして(特定秘密保護法→安保法制と、戦争できる国づくりがほんの4年間で一気に進んでしまった)、そんな理不尽が私の中に言葉を貯めてくれていった。おかげで曲ができるとすぐ歌詞が書けた。ラブソングなんか一生歌えないと思っていたので全部反戦歌にしてやりたかったけれど、出来上がったのは、ほとんど全てが、情けない自分をどうにかして受け入れて生き延びようとしたり、理不尽や悪魔的な要求には怒るんじゃなくて盛大におちょくってやろうとしたり、というような歌ばかりだった。

 何度ライブをやっても、時々コードをミスったり、声が裏返ったりしていた。それでも毎回自分の出せる精一杯を出して、それを聴いて喜んでくれる人がいて、出会えて良かったと言ってくれる人がいて、ある時ふと気がついた。そうか、19歳の私が睨みつけたあの人は、今の私かもしれないな……。


 私は政治家になる前には保育園で働いていて、一人の市民として、子どもたちにどんな未来を渡したいのかを考えて、今あまりにも狂ってしまった政治を変えたい、と思って声を上げていた。デモをやったり、講師を呼んで勉強会や講演会を開いたり、選挙の応援をしたり、政党や会派を回って要望を出したり。そういう時、私は議員にはこう言っていた。「よろしくお願いします。ちゃんと見てますからね。」

 区議会議員になって1年8ヶ月が経ち、街頭に立ったり、いろんな場面でいろんな人と話す。私の作った区政レポート呼んでくれていて、意見をくれたり、相談を持ちかけてくれたり、いつの間にか一緒に活動していたり。

「みんなの1票を託されてるんだからね。ちゃんと働きなさいよ。」
「同じ思いでいてくれるのはわかりました。期待してますよ。見てますからね。」

 そんな言葉を向けられるたびに、私も自分がかつて議員たちに言った言葉を思い出す。不断の努力によって権利が奪われないようにする、そのためにすべての市民が政治家の言動をきちんと見張ることは、民主主義社会における責任ある行動の一つだと思う。しかしまぁ、立場を入れ替えてみると、とても恐ろしい気持ちになったり、潰れそうになる時もある。税金で飯食ってるんだから当たり前だろう、ちゃんと働け!と思われるのも当然だし、私も思っていたので、「働きます。」「がんばります。」「しっかり見ててくださいね。」と返事をする以外あり得ないとも思っているけれど。

 3.11よりも前は、選挙には行くけれど違いがわからない時もあり顔で選んで投票したこともあった。そういうところから始まって、今自分は、大切なそれぞれの一票を託された立場として、ここにいる。その間にあった12年の中で自分が考えてきたことを思い返すと、目の前の人はどんな思いで声をかけてくれているのか、きちんと思いを聴いて受け止めたい、と思う。私とは全然違う思考回路で近づいてくる人もいるので、びっくりしたり落ち込んだりすることもあるのだけど。

 それでも、一緒に変えよう、と言い合いながら動いて、動かしていく、それが言葉としてうわ滑るのではなくて、ちゃんと土を耕しているとお互いに実感しながら進めるようにするのが、私が今ここにいる意味じゃないかな、と勝手に思っている。

 まぁ、具体的に解決したり改善したりしないといけない課題が山積みなので、年末の街宣で色々考えたことはここでまとめておくとして。
 来年はもうちょっと区政課題をちゃんとこまめにブログでも報告するぞー!おー!

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