
はたちのつどい
私も群馬から東京に来て20年になる。
杉並公会堂の座席に座る20歳を迎えた人たちは、私が尖った気持ちで全方位にエネルギーを撒き散らしていた頃に、生きるために産まれた人たちだ。
生まれて、生きていること
『二十歳の集い』というのは、成人年齢が18歳になったことで考え出された式典のネーミングだけれども、お酒が飲めるようになるのは20歳からだし、18歳だと就職やら受験やら何やらでやたらと忙しいし、集まりましょうと呼びかけるのはやっぱり20歳がちょうどいいのかなと感じる。
杉並区では式典を地域ごとに分けて時間を違えて行っている。(1日3回、9:30〜、12:30〜、15:30〜)私は高井戸や松庵など、杉並区の南西部に位置する地域で育ってきた人たちが集う、朝イチの回に参加した。
昨年に引き続き、私は来賓紹介で「生まれてきて、生きてきてくれてありがとう。おめでとうございます。」と伝えさせてもらった。
こんな困難な時代に生まれて、ここまで生き延びてくれただけでも本当にすごいことだと思う。
人が集まる場に来ている人も、来ていない人も、来れない人も、本当にすごいことだよ。ちゃんと生きてきたことを振り返る節目になるといいなと思う。
驚いたのは、毎年恒例の参加者有志が壇上で述べる「ハタチの〇〇」で、私が参加した回で話した2人が、2人とも『感謝』について話していたことだ。
怒られていろんなことを学びながら育ったこと、今は怒られることより、褒められることを目指して行動していきたい、とか。
友達や家族とたわいもない話をしたり、ダメになりそうな時も支えてもらったりしてきた、とか。
緊張しながらもしっかりと前を向いて、抑制的に語る彼女たちを見ていて、複雑な気持ちになってしまった。他者との関係を大事に紡ぐことを、10代の間にちゃんと身につけることができなかった方の人間である私からすると、あまりにもいい人だったからだ。
子どもでいられる時間をきちんと保障されてきたから節目で感謝を述べて次のステージに進める、ということなのだろうか。それとも、貪欲な遊びや学びより、他者との関係を気にすることの方が多かったのだろうか。
話を聞きながら色々余計なことを考えてしまいつつ、人前に出て大きな声で言いたいことが『感謝』であり、素直にそれを言葉にできるという、それぞれの生きてきた物語に大きな興味を引かれた。
用意された場所
誕生、卒業、入学、就職、などなど、生まれて育っていく最初の25年くらいの間には、「おめでとう」と言われる機会が大人たちの手によって何かと用意されている。(そうでない環境もあるのだけれど、親や親戚や学校の大人たちが用意をしてくれなくても、その時々の精一杯で、その心持を向けてくれる人というのは必ずいる。信じられないかもしれないけれど、いる。)
二十歳の集いというのは、行政が個人に向けて「おめでとう」と言ってくる機会としても節目であり、その先は75歳くらいまでほとんど音沙汰がない。
その間の55年間では、引っ越したり、結婚したり、パートナーシップを結んだり、離婚したり、子どもが生まれたり、家族が死んだり、保育や教育の相談をしたり、介護保険を利用したり、生活保護を申請したり、自らの求めや必要に応じて行政と関わる機会はあるが、「おめでとう」と言われることは片手で数えるくらいだろう。
今ここに節目があり、その節目を迎えるあなたのためにこの場はあるんです、ということを他者からは与えられなくなるのが、大人になるということかもしれない。
祝いたければ祝いの場を自分で用意するか、あなたのために用意したいと思って実行してくれる誰かがいるかしなければ、成立しない。
偶然や突然の機会というのもあるけれど、ほとんどは自分で期限や目標を定めて作らなければ、節目そのものもない。
自分の誕生日も忘れて働き詰めになったり、毎日何かと理由をつけて祝うことにしてみたり、生きていくうちにはいろんなことを試したり試されたりしながら、生きていくのである。
生きていこうとする限り、その試みは大小様々続けるものだ。
社会とのつながり方
生まれてから死ぬまでの間、知らない人からも「おめでとう」なんて言われる機会というのはそうそうないもんなんだ、と気がついてみると、二十歳の集いというのはとても大きな節目だなと思う。
私は37歳にして今更こんなことを書いているけれど、20歳の時やそれよりも前に気付いて、大切にこの日を迎えている人というのも多くいるんだろうな。。
そしてここから先はほとんどのことが、自ら求めない限り動かない。
誰かと繋がって、ともに生きるコミュニティをつくっていくこと。自分や他者が生きやすくなるために何ができるかを考えて実行すること。誰かの自由を邪魔したり、大事なものを蔑ろにしたりする社会の仕組みを変えていくこと。
生きるって大変だけど、生きていたら会いたい人に会えたり、間違えたことをやり直せたりもするので、自分の感覚で他者と繋がりながら、人間として社会をつくっていくことを、あきらめないで一緒に生きていきましょうな。
すべての二十歳のみなさん、おめでとう。