
わかり合えなくてもいいです。
人にやさしく、というドラマを見たことある人はどれくらいいるでしょうか。
私が中学生だった2002年くらいにやっていたもので、今見返すと、このホモソーシャルなノリは無理〜😖とか、ジェンダー規範〜😭とか、いろいろ思うところもあるのですが、登場人物があけすけに馬鹿正直だったりして、今の世の中では作れないまっすぐさのある作品なんじゃないかなと思います。
THE BLUE HEARTSの曲がたくさん使われていて、特に私は当時、挿入歌の一つ『ロクデナシ』という曲が好きでした。
登場人物はみんな自分のことでいっぱいいっぱいで、他者との関わりを避けたり話が聴けなかったりもするのだけど、それでも誰かのために、あの人のために、この人のために、とそれぞれが考えて動いている…。
人にやさしくって、なんでこのタイトルなのかなって当時思っていたけど、今見返してようやくわかった気がします。
女子少年院視察

2025/01/10
北区議会議員の青木のぶえさんにアテンドしていただき、狛江市にある愛光女子学園(女子少年院)を視察しました。
複数の自治体、複数の政党や会派の議員と一緒に、再犯防止の取り組みとして各自治体で行っていることと重ね合わせながら、甦育と地域社会のネットワークを考える機会となりました。学びのチャンスをいただけてとてもありがたいです。
学園へは自転車で向かいましたが、相変わらず緩やかな長い坂道が苦手で、特に帰りは上り坂になるので息も絶え絶え。。。
学園は住宅街にあり、すぐ横にマンションや公園などがあります。福祉避難所として地域防災の拠点となっており、建築としても地域に開かれた構造になっていました。
12〜20歳までの女の子たちが、衣食住を何も心配しなくていい環境の中で、自分がどうして今ここにいるのか、自分はどんな存在か、自分を大事にする方法、他者を大事にする方法、楽しいことややりたいことを見つけて動くこと、自分がこれからどうしたいか、、、段階を経て内省的に向き合うことをしているんだ、ということをまずお聞きしました。
虞犯(犯罪に加担したり巻き込まれる可能性の高い行為)、詐欺(特殊詐欺や無銭飲食など)、窃盗(万引きなど)、薬物など様々な理由で入所することになった背景には、虐待や性被害、発達障害などの要因もあります。
前日に法務省矯正局の方から事前学習の機会もいただきましたが、今の少年犯罪は集団で行うものより個人のことが多く、「反社会的」行為ではなく「非社会的」行為なんだ、という言葉が印象に残りました。

そもそも家庭や学校や地域の中に安心できる身の置き所がなかった人もいれば、犯罪行為という一点を境に、家族や地域との関係が変わる人もいます。
そうした中で、自分を見つめ直して前向きに生きていこうとする彼女たちが、安心できる拠点を地域の中で見つけ、未来を向くために今を安定させられるように、自治体行政が体制を整えて地域の方々と連携をしていくネットワークが拡がっていることがいかに重要か、よく知るところとなりました。
杉並区では地域福祉推進計画の中で『再犯防止の取組』が計画事業として記載されていますが、他の自治体では『再犯防止推進計画』が別途策定され、実態を踏まえてより細かく計画されているところもあります。
私ももう少し杉並区の実態を詳しく調査した上で、より地域連携に寄与できることにつながる取り組みができないか、模索していこうと思います。
間違えて、やり直して、その先を生きていくことが大事に見守られる、そのくらいの余白をちゃんと持てる社会であるように、政治をしなければなりません。
対話のつくり方
2025/01/11
午前中に杉並消防団の始式に来賓として参加し、午後は杉並建築会のイベントへ。
私も時々、イベント事で壇上に登って発言をする機会があるのですが、人前でマイクで喋りながらその時々の質問に的確に答える、というのはなかなか難しいものがあります。
シンポジウムに客席で参加していて、パネリストのやりとりを見て「えっ、今のは全然質問に応えてないのでは…」などと客観的に気付くことがあるのですが、自分は果たしてちゃんと毎度応答できているのかというと、うむむ、と思います。
応答的なやりとり、そして対話をするには、必ず相手の話を受け取る余白が必要です。自分が話したいことや伝えておきたいことで頭がいっぱいの人同士が会話をすると、お互いに一方通行で、対話にはなりません。
自分の思いや考えと、それとは違うものを置いておく余白との両方を、それぞれの人が持ってテーブルに就かない限り、対話は始まらないのです。
なんでこんな話をするかというと、建築会の方々が昨年一年かけて行ってきた過去の住民参加の取組の掘り起こしの中には、杉並区の行政と地域住民、そして専門家がともに知恵を出し合ってきた事実があり、そこにはぶつかり合ったり平行線ですれ違うところから、対話までちゃんとたどり着いたことが読み取れるからです。
「まちづくりや施設整備について行政と住民が話し合う場で、建築の専門知を使ってほしい」ということをずっと言ってくれているこの人たちの話は、とても重要です。
もちろん、建築会の人たちにもいろんな人がいるので一概に全部は受け入れられません。
しかしそれでも、建築はそれ自体が哲学的であり、人の動きや関係性から、造られた空間に文化的な営みが生まれるか否かまでもその専門性によって形作ることができる以上、具体的な設計のプロポーザルなんかよりずっと前の段階で先に話を聞いておくというのは、アリな話だと思うのです。
そういう意味で、昨年から続いた建築会の試みのまとめである今回のイベントで、区長や区の職員が相手の話を聴き取る余地をどれだけ持ってあの場にいたのか、というところに注目して参加していました。
しかし区長は次の予定があり、パネリストとのやりとりが始まる前段の司会者とのやりとりだけをして会場を後にしてしまったので、私としては不完全燃焼。
うむむ、後半の方で話が深まる場面があったので、後半にもいてほしかった…。
あとで双方に聞き取りをしてみたいな、と思います。