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最北の路線バスの車窓から

 先日、北海道の稚内へ行く途中の話を書いた。我ながらひどい文章ではあるが、そのエピソードの続きを書きながら(描きながら)色々と話をしてみたい。

https://note.com/smartbranch/n/n918aaf6c7a9e

 稚内についた翌日、稚内から音威子府という場所まで、路線バスを5時間乗り通すということをした。この路線の大半は元々天北線という鉄道が30年近く前まで走っていた場所で、今も鉄道の線路跡らしきものや旧駅舎が沿線に数多く残っている。ちなみに稚内から音威子府に行くには宗谷本線という鉄道が現役で活躍していて特急で2時間くらいで繋いでいる。

 今回、この路線を私が利用したのは稚内から音威子府に移動したかったというだけではない。それならば多少高くても鉄道を使う。この天北線の沿線を見てみたかったからだ。ちなみにこのルートは1日1本しか走っていない。下手な場所で下車すればそこで世を明かすことになる。

 ちなみに同じルートを車で行けばノンストップで3時間以内で着くわけだが、もちろん運転手さんの休憩も必要で法定速度を守っているので5時間もかかってしまうのである。普通、路線バスに乗ったら目的地まで降りることはないと思うが、この「休憩」が挟まることで乗客も降りて軽く街を散策できることもある。実際、今回の私もいくつかの街を歩くことができた。
 
 この路線の面白い点は車窓から見える景色が海、山、森、畑、河と移り変わっていく様だ。5時間も乗っていて飽きないかと思われるかもしれないが、これだけ色々なものを見られればそんな心配はいらない。また、こんなことをできるのも私が大学院生だからであろうし、その中でも担当教授がこうした自由な研究環境を提供してくれていることに他ならないだろう。

 ちなみにこの路線は以前別ルートを通っていたが、宗谷岬を通るルートに途中で変更されたという経緯を持つ。理由は想像に難くないかもしれないが、観光客の利用による収益の増加を睨んでのことだ。実際、私が稚内の駅前から乗った時は満席でまるで東京の通勤時間のようであったが、宗谷岬でその9割以上の方が降りていった。残ったのは私と役所の職員さんらしき人でその方も途中の浜頓別というバス停で降りていった。途中で地域の高齢者の方が数名乗ってきたが、皆すぐ降りてしまい、最終的に音威子府まで乗り通したのはもちろんわたしだけであった(普通は鉄道を使うので当然だ)。

しかし、あの乗車人数でどこまでバスを持続できるのか。美しい風景とは裏腹に私の心情は暗い雲がかかっていた。


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