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幸せはここにある

お坊さまから聞いたお話

ある会合でお通夜帰りのお坊さまがいらっしゃいました。

とても悲しいお通夜だったのだとおっしゃいます。50代の男性で急な亡くなり方だったので、みんな何も心の準備が無かったし、息子さんは20歳だったそうです。

遠方にいる息子さんは成人式の晴れ姿をLINEで送りましたが、それがLINEの最後で既読になっていたのが救いだったと言います。

あなたはどう受け取りますか?

この別れは確かに気が動転するでしょう。昨日まで普通に存在していた人が明日からはいないのですから。

泣いて悲しんで当然の別れです。式を行い、講話する立場の人はお辛い事でしょう。

あなたはどう受け取るでしょうか?

わたしは本音を言うと、実は悲しいとは思いませんでした。幸せなご家族だと思ったんです。

なぜなら心が通いあっているから。

誤解したり、孤独だったり、理解者がいないのが一番の悲しみだと思っています。

亡くなった方は幸せな方だと思いました。惜しまれているし、息子さんの成人式の晴れ姿を見ています。

本人はとても幸せな気分になっていただろうし、息子さんは孝行を充分にしたと思うのです。

本当の幸せはすぐそこにある

わたしは好きなものを極めながら、人に役立てる生き方しようとチャレンジしています。

そして、同じようにちょっぴり変わった思考回路や行動の人たちが地方で活動しやすいようなつながりを作っていきたいと模索中です。

そういう意味では道半ばです。というか、始まったばかりです。

でも、身体の悩みのある人にレッスンして、自分の身体づくりをし、次の舞台の練習をしている‘今’が幸せなことを感じています。

自主練が終わり、お客様を待っているとき、「今、死に時だなぁ。今死んだら最高に幸せな気分の時に死ねるんだなぁ」としみじみ思いながらその空間を味わっています。

理想の死に方とは

そんなことを考えるのは実は先例があるのです。学生の頃、あるダンスカンパニーのレッスンに参加していましたが、ソロリサイタルが決まっていた方が自主練中に亡くなったのです。

師やカンパニーの悲しみようは一通りではなかったし、若かったわたしも非常にショックを受けて、稽古に行きづらくなったまま、大学卒業を迎えてしまいました。

それでも率直な思いは「羨ましい。あんな死に方したい」だったのです。

現実的には後始末とか、発見した人のショックや苦労など申し訳ないこともあるんですが。

ソロリサイタルに向けて自主練中に稽古場で死ぬなんて、わたしの理想ドンピシャじゃん!というのが正直な気持ちでした。その自分の気持ちに気づいてショックだった、という側面があります。

これからを生きる人が心に留めること

死ぬ本人はその後が無いけれど、残された人たちにはその後があります。ああしてあげたかった、こうしてあげたかった、と苦しむのは生きていく人たち。

せめて、亡くなった方は幸せだったのだと伝えてあげたら、少しは救いになるでしょう。幸せは頂上ではなく、登っている最中にあるのだから。

これから先その思いを裏切らないよう幸せに生きていくのがなによりの供養なのだろうと思っています。



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