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反対するなら対案を出さなければいけないのか

「反対するなら対案を出せ!」について「対案がないなら反対してはいけないのか」という反駁がある。これは答えは決まっていて「対案がなくても反対して、いい」である。はい、OK。反対OK。理由なんてなくても反対、OK。当たり前の事だ。対案が無ければ反対してはいけないなんてルールのある世の中は息苦しい。どんどん表明したらいい。とは言え同時に思うのは、議論を建設的に前に進める為には、誰が用意するかはさておいたとして、やはりそれなりの対案は必要である。その為には背景の理解とロジカルな考察、他者への想像力、人を動かすが必要で、その積み上げの結果が成熟した民主主義に繋がっていくと私は信じている。あれはクソだよね、これは違うよねの力任せの感情アクセルのベタ踏みは結果、対立と溝だけが広がっていくように思える。アクセルを踏む前に、一度立ち止まること。高田渡に「冷やそうよ」という歌があって、これは所謂リベラル側から体制への皮肉が成立した時代の歌だったが、体制に対しても反対体勢に対しても適用すべき時代が現代、という時代と感ずる。感情では何も解決はしない。市井に生きるひとりの人間として、湧き上がる感情の理由を構造的に把握して、意見の違う他者への想像、建設的な方法の模索、必要なプロセスの洗い出しにもパワーを振り向けつつ、自らの考えを深める態度が肝要であると改めて自戒する。

アスティル、2回目。体も心も休まる。500円クーポン使用し、1500円で4セット満喫。オートロウリュのついてるフィンランド式を中心に、テルマーレのミストサウナも堪能。タイルの寝そべり系整い椅子でととのう。別日でスパラクーアへ。サウナが3つ、セルフロウリュも可能。溢れる木の香りとロウリュのアロマ水の香り。リラクゼーションスペースでオリンピックを観ながら独りでチルアウト。数ヶ月に一回くらいは行きたい桃源郷。さらに別日で、東京タワーまで朝ジョグり、その足で大崎の金春湯の朝ウナへ。銭湯のサウナなのでこじんまりとしているが、湿度、木の香り、そして何よりサウナは水風呂と思い知らされる。今更、TTNEのサウナーブックやタナカカツキの「サ道」もkindleで全4巻全て読み、ととのえ親方のyoutube、アルピーチャンネルのサウナ動画、&saunaを貪るように徘徊し、遂にサ道のLINEスタンプを購入するに至る。サウナブームに後追いで入って行くと、吉田類の酒場放浪記や町中華ブームと同じ構造で、つまりタモリ的な<日常に溶け切っているどんくさいと思われている文化>にビビッドな名前をつけて価値を再構成するお馴染みの俄かサブカル的態度と理解しつつも、沼へ入るのを止めらない令和のテンプレサラリーマンこと、俺。なんとでも言うが良い。僕ならばここにいる(a.k.a 稲垣潤一)。なんのこっちゃい。

娘の寝かしつけの時に「お父さん、○○ちゃんのこと大好きだから、くっつこ~っと!」と言ってスリスリとすり寄っていくと「それは知ってるけど、近すぎる!」と言って思いっきり足で金的をくらわされ、悶絶。局部の痛みによりゆらゆらと揺れ動く天井を見ながら、イクメンの道は果てしなく遠いと思い知る。

遂にTOKYOオリンピックが始まった。コーネリアスの件について爆笑問題カーボーイの久々の太田語りをYouTubeで聴き、唸る。因みに私はあまりコーネリアスの音楽はあまり好きではない。ロジカル過ぎて、スカしてて、機械的で冷たいと感じるのである。私が好きなのはざっくりいうと、この動画のチャックベリーの1:17あたりみたいなやつであって、大袈裟にいうのならば人間のそういう部分を愛しているし、信用している。





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