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人から指摘してもらったことを元に自分の美点を分析してみる。

つい先週、とあるご婦人に「あなたって、めげないわねぇ」と言われたのだが、

どうして数回くらいしかお目にかかったことがないのに私がめげない性質だってわかってしまうんだろう?

たしかに私はなかなかめげない。

自分を客観的に観たとして、見た目の美点が2つあると思う。(自信満々で感じ悪いけど)

ひとつはおそらく素人のわりに「姿勢」が良いことだ。
もうひとつは、だいたいいつも笑っているということと、笑った時の破壊力がものすごいということだ。

みんな私を思い出した時に浮かんでくる顔の印象は、笑ってる口元しか思い出せないというんだから、(何を着てたかもとどんな化粧だったかも、もしかして何を話したかも吹っ飛んで笑った顔のみインプットされてるというのだ)多分みんな口元しか見てないのだ。

いつも母が私に言ってくれてた言葉がある。
「あなたは姿がいいもんね」という表現。

剣道をしている時の芯が通って構えでスッと立つ感じ、水泳をしている時にあまり水しぶきが上がらないでスッと進む感じ。
陸上部だった時の400mを走るフォームの形。

母はそんなところをいつも褒めてくれていた。

形が整うのは気持ちも整う。
違うな、気持ちが真ん中にスッと整うと形もまた整う。

いつも笑っていることは楽天的であるということだけど、めげないということは芯が強いということでもあるようで。

芯があるから楽天的でいられるのかもしれなくて、それは「姿勢」と「笑う」という行為と全部繋がっていて、人の見かけは中身と連動しているものだな、と思う。

顔がどうの、スタイルがどうの、ではなくて「姿がいい」のは、言われるのも目指すのも気分がいいことだ。

見た目の美醜ではなくて「人として」を見てもらっているようで、それは性や品物としての評価の対象ではなくなり、競争に巻き込まれなくてよいというところが一番良い。

競争から離れれば他と比較する必要もない。
そうして心静かに、自分の興味に打ち込めてるわけだから。

めげないところは楽天的でもあり、突き詰めてまた次に進むチャレンジの感性でもあるわけだから、頭のネジが何本か外れててもいい、緩い教育をしてもらったことには感謝しかないな。

時間をどうにか捻出してまた学ぶために東京に来ている自分がとても好ましい。

めげないためにやってきて、やってくるから多分めげない。

鶏が先か卵が先か、スタートがわからないものはなんでもいいから好きな方からやっちゃうしかないんだよな。
(1100文字)

ヒカル

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