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町工場でカイゼンをした少年時代の話。

実家は東京の下町で小さな町工場を営んでいた。

創業100年近い鋳物(いもの)屋である。いまはよそへ移転してしまったが昔は自宅の隣に工場があって、そこでさまざまな金属部品をつくっていた。木や砂でできた型にドロドロになった熱い金属を流し込み、冷えたところで取り出す。その後削ったり磨いたりして部品として出荷する。

金属はいろんな種類があって僕は真鍮が好きだった。金色で綺麗で、たぶん5歳くらいまでは金(ゴールド)だと思っていた。工場の一角には壊した砂型でできている高さ3メートルほどの巨大な砂の山があった。砂の中にときどき真鍮のかけらが混ざっていて、それを集めるのが幼稚園時代の趣味だった。集めた真鍮は形の良いものはヨックモックの缶に保管し、残りは父親に買い取ってもらってお小遣いにしていた。人生で初めての労働体験。自分で稼いだお金で買う駄菓子はひと際おいしかった記憶がある。

小学校高学年になると僕の仕事は残土でのかけら集めから「バリ取り」へと変わった。バリというのは型から外した部品のまわりにくっついている余分な部分である。鯛焼きのふちに付いてる薄い膜みたいのもバリだ。部品として出荷するにはバリを回転するヤスリで削らないといけない。それが僕の新しい仕事になった。職人のおじさんたちに囲まれて小学生の僕はたまにバイトをした。

もともとプラモデルづくりが好きだったりしたので細かい手作業は得意だった。しばらくするとバリ取りはかなり上手くなり、一個にかける時間がどんどん短くなった。最初は1時間で箱ひとつぶんの部品をやるのが精一杯だったが、腕が上がるにつれ一箱半、二箱と増えていく。ヤスリをかける力を調整したり、持ち方を工夫したりすることで、確実に効率が上がるのが楽しかった。

しかし、ある程度上手くなると1時間にバリ取りできる数は伸びなくなった。一生懸命にやってはいるが、一生懸命だけでは足りない。これ以上増やそうとしたら仕上がりが雑になってしまいそうで、それは几帳面な自分には許せないことだった。

その時ふと気がついた。自分はいかにうまくヤスリをかけるかに集中してきたけれど、問題はそこではなく、ほかの部分にあることを。

バリを取る作業は、左手に部品を持ち、右手の電動ヤスリで削る。作業の流れをもっと細かく言うと、バリのついた部品が左側の箱の中に納められていて、①そこから左手でひとつを取り出し、②バリを削り、③できあがったら右側にある箱へ並べていく。問題は③のやり方にあった。右側の箱へ部品を並べるには右手でやらねばならない。そのために「右手の電動ヤスリを一旦置き、バリ取り済みの部品を左手から右手へ移す」という作業が発生していた。

時間にしたらほんの数秒程度のことだ。でも積み重ねたらまあまあな時間にはなる。僕は試しに右の箱を左へ移動してみた。こうすれば左手で部品を取り出し、バリを取り、ヤスリを置かずに部品を持ち替えずに、左の箱へそのまま並べることができる。

やってみると箱の配置を変えた後は1時間でやれる数が実際に増えた。気のせいかと思ったがその後もコンスタントに増えたので、やはりこれは工夫がよかったのだと確信した。自分で考えた工夫の効果がきちんと証明された喜び。それは残土の中から宝を見つける喜びとは違う種類のものだった。もしかしたらこれはアイデアというものかもしれない。小学生の僕はちょっと興奮した。

味をしめた僕はその後もさまざまな自己流の工夫を試した。箱の高さを調整することで部品を並べるスピードアップをはかる。事務所の回転椅子を借りてきて、体の向きをスムーズに変えられるようにする。さらにはほかの作業をしている職人さんたちにも「これはこっちに置いたほうがよい」などと指導をはじめた。赤ん坊の頃から工場に出入りしていたので、みんな「じゃあそうしてみようか」と嫌がったりもせず聞いてくれた。人が自分の工夫を採用してくれる。また新しいタイプの喜びだった。

大人になり「カイゼン」という言葉を知った頃、父はこういう経験をさせるために僕にバリ取りをさせたのかと思ったこともあった。が、当時は人手不足がひどく、小学生の手も借りたかったというのが本当のところだろう。それでもいい経験だった。自分の工夫によって物事を良くする。その楽しさと喜びは学校では教えてくれない。町工場が僕の学校だった。

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